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【不純空想科学・BL小説】虹の制空権 第二部 4章 断崖のNarcissus



~半獣人×人造人間BL•SF小説~

白磁の花器のように、すらりと立つ人造人間の姿は、実に美しかった。
それは、内戦の当時、技術者たちの粋を凝らして細部まで作りこまれた作品であった。
特に、このツァオレンと呼ばれる人造人間は、面立ちの造形から、その骨格、皮膚の感触、色艶、あらゆる器官にいたるまで、作り手らの美意識までが注ぎ込まれた傑作だった。
くたびれた衣服に身を包み、場末に収まっていたツァオレン。彼が、不意に漏らしたその気品に、男らは圧倒された。
一変した男たちの空気を感じ、半獣人ノイルは、立ち上がったTシャツの姿を、その首から顎、引き結ばれた唇をまじまじと見て、そして、相対している下劣な男と見比べた。
初めてツァオレンの部屋を訪れたとき、彼がこの男に組み敷かれていた様子がよみがえってきた。
肉の立てる音、息遣い、余裕のない男の怒声、匂い。
今見れば、男たちよりもツァオレンの方が長身で、幅広い肩をしていた。コットンのTシャツごしにも、その体を覆うしなやかな筋肉が見てとれた。袖から二の腕が優雅に伸び、カウンターに白く細い指が置かれていた。決して小さい手ではない。骨と脈打つ血管を感じさせる手だった。
逆の手は恥じらうかのように目元をおさえていた。
その手をつかみ、隠された眼差しをさらけ出させたい衝動がわきあがった。
ノイルは我知らず息を止めていた。
ぶかぶかのTシャツの下の体。その重さと吸い付く手触り、肉の内にひそむ骨格。
その腕の中に、粉砕せんばかりに抱きしめた体だった。
脳裏に閃光が走り、獣化時の記憶を隅々まで照らし出し、散々貪った肉体の感触が、掌に、腕に、体に鮮明によみがえらせた。
まぎれもなくこれは、彼が抱いた、生まれて初めて印を刻み込んだ肉体だった。
不思議な反転であった。
あの、うすっぺらい紙切れに描かれたようなツァオレン。それが、いまや厚みをもって立ち上がってきている。
ごくりと唾を飲みこむ。
この体を、彼はくまなく舐めまわしてさえいた。首筋の脈動、耳たぶの弾力、やわらかなまぶた、乳首の尖り、なめらかな尻と内腿、ほっそりと長い足指の先まで、彼の舌はその形と質感を堪能しつくしていた。
その肉体が、今、彼の目の前で侮辱を受けている。
連れもあわせてこの4人は皆、ツァオレンを抱いたことがあるのだろう。
そうして、これからも抱くつもりだろう、手軽な欲望の処理のために、誰かを卑しめるよろこびのために。
それは自分も同じ、という哀しみと、しかし、自分が誰よりもこの体を奥深く穿ち、その形を確かめてやったはずだという妙な誇りが、ぐちゃぐちゃにブレンドされて浮かび上がった。
急に、ツァオレンはくるりと向きを変えた。
ノイルの手からアイシールドを抜き取り、装着したので表情は読めない。ノイルの横をすり抜け、少し背中をかがめると縄のれんをくぐり、表に出てしまった。
撃ちぬかれたように茫然としていたノイルも我に返り、あわてて、これに続いた。
しかし、外に出ようとしたそのとき、半獣人の丸刈りの頭が素早く傾いだ。
それは、後ろから打ちつけられようとしたレンチをよけるためだった。
ひゅん、と鋭く空気を切り、悪意と侮蔑をこめて急所を狙った重い凶器は、だが、半獣人の肩にも届かなかった.

肩越しにレンチを手で受け止めたまま、ノイルは振り向いた。
後ろにいた男が隠し持っていたものだった。背を向けた半獣人を狙い振り下ろされたのだ。
またひとつ、光が走った。
半獣人の目に、別の男の手に握られたアイスピックが突き出された。
その切っ先も、急所に届かない。
凶器は、巨大な掌の真ん中に音もなく吸い込まれた。
レンチとアイスピックをつかみとった半獣人の体が、ひとまわり膨らんだ。
不意を突く卑怯な攻撃に怒りが燃え上がる。
「この化け物が!」
男らも後にひけず罵声をあげて、襲いかかった。
ツァオレンの横に現れた半獣人。
これを彼らが見逃すわけはなかった。人造人間が怖れるに足りないことは、彼らの界隈ではよくわかったことだ。内戦中に何をしていたのか知らないが、今ではわずかな金額で遊べる従順な玩具に過ぎない。
その横の巨漢の新顔こそ、叩いておくべき要注意の存在だったのだ。
他の客らは、あわてて飛びのいた。店の中は振り回された弁当箱みたいに入り乱れた。客らの騒ぐ声と、椅子の転ぶ音が店内に響いた。
こんな狭いところでは相手ができない。体をまるめ、ノイルは店を飛び出た。男らも汚い声をあげ、後を追う。
往来の真ん中へ躍り出たノイルはふりむきざまに身構えた。
しかし、無法者らはすぐに襲い掛かってはこなかった。
店の前で、一番前の男がつんのめって倒れ、この倒れた体につまづいて、どどどう、と、後に続く者らも折り重なって倒れる。
ノイルが何かしたわけではない。
店のすぐ前に丸くかがみこんでいる誰かがいた。彼らはこれにつまづいたのだ。
一方、半獣人は縄のれんをくぐるなり、即座にこの障害物を見てとり、次の瞬間には飛び越えていた。
考えて判断したことではない。
半獣人が、危険を察知し、これに反応する速度は人間の比ではない。
それは、卓越した反射神経と運動神経によるものだけではない。人間と異なるルートで神経回路がつながり、緊急時には、考える、という段階がひとつすっ飛ばされる。動くものに襲いかかる蜘蛛のごとく、その行動に躊躇はない。
彼よりもはるかに鈍重な追手らは、まんまとこのトラップにひっかかり、無様に転がった。
しかし、ノイルも自分が飛び越えた何かを見定めると、驚きの声をあげた。
「ツァオレンさん!何やってんですか!?」
地面に這いつくばって、偶然にも敵の足を止めたのは、なんと彼の連れだった。
「ん?いや、みんな、土下座しろ、っていうけど、中じゃ狭くてできないだろ?だから、ここで…」
呑気なことを言いながら、倒れた男たちの後ろでゆっくりと膝を立てて見上げるツァオレンの腕をつかみ、無理やり引っぱり出して、その背の後ろに隠した。
あらためて、敵たちを見下ろした。
ノイルはマスクを引き下ろして、口にレンチをくわえ、空いた手で逆の掌に刺さるアイスピックを引き抜いた。
ビーチサンダルは脱げて道に転がっている。
Tシャツとスウェットを透かして、唸りをあげるような筋肉が浮かび上がっている。
むき出しの太い腕を覆う黒い体毛はすべて棘のごとく立ち上がり、木の根のような分厚い足が、じかに地面をとらえている。
「なめやがって!」
男の一人が、店の前に置かれたお品書きボードをふりあげ、打ち下ろそうとした。
男たちの眼前から一迅の風のようにノイルの体が消えた。
巨体でありながら、その動きはあまりに敏速だった。
瞬時に沈ませた上体を地に這わせ、手にしたレンチが地面すれすれを薙ぎ払う。それは、重力をものともしない、凄まじい筋肉がないとありえない動作だ。
振り抜かれたレンチに足首を砕かれた男の体がひっくり返って宙に浮き、背から落下した。
「うっわ…ばけもの!」
男らの顔色が変わった。
必死の形相で、店から持ち出された椅子や皿を投げつける。接近戦ではとうていかなわないとわかった敵は投擲に切り替えた。
だが、かわすまでもない。
丸刈りの頭で皿を砕き、胸板に当たって地に落ちた椅子を蹴りあげた。
はじめから、話にならぬケンカだった。
だが、この街ではどれほど腕力に秀でようと、人外に勝ち目はない。
星のない夜空の向こうからサイレンが響いてきた。
居酒屋の店主が腕を組み、のれんの隙間から往来をのぞいている。
安心した男たちは、ふてぶてしい笑いを浮かべた。
誰かが通報したのだろう。国営警備隊が来れば、することはひとつだ。
人間に危害を加えた人外の身柄を確保、拘束する。
人外に何をしようがこの街では罪に問われない。人外、すなわち人間ではないのだから、彼らにいかなる損害を与えても、法に触れることはない。
街に出てきてさほど経っていないノイルとはいえ、この状況は飲み込めた。
「ああ、…どうしましょう?」
うろたえてノイルはうしろのツァオレンを見た。
「…こういう時はだな」
ツァオレンは道に転がるノイルのビーサンを拾い上げた。
「“ほかに仕方のないときは、人の目を盗んで逃げるのにも立派な申し訳は立つ”」
(第二部 5章に続く)


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