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これで、私のドラクエ人生は終わりました。

 私――40歳半ばで、
 もうゲームを買うことないだろうと思っていたけれど、
 故あって、steamでドラクエ11sを購入して遊ぶことにしました。

 小説も今はリメイク作業の連続で、新作を書いていないから、
 また、アニメーションも今のところ本気で見たいそれがないからということも重なって、
 更には、自分の過去の清算を一通り終えることが無事にできたから、

 ドラクエを遊んでみようという心の余裕が生まれたのです。

 およそ6年前の夏に発売されたドラクエ11です。
 あのとき、私は右脳に違和感を感じて、それからずっとパニックになって生きてきた思い出があります。
 その違和感が数年前に、無意識に抑圧された怒りと恐怖の幼い頃の記憶であることに気がついて、
 最近までずっと、田舎の思い出を忘れる旅をしていました。
 その旅もなんとか無事に終えることができて、こうしてドラクエを遊ぶ余裕ができたのです。

 自分も物語を書くことが多くなって、そうした視点からドラクエを遊んでいたらいろいろと気がつくことがありました。
 キャラクターのバランスが絶妙に上手いのです。
 それぞれのキャラクターの背景にあるプロットというか、背負っているものがしっかりとベースになっているのがすごいと思いました。
 男女比のバランスも、身長も、年齢もすべて上手く関係性を持たせています。
 武闘会で出会ったのは、力を得なければ孤児を救えないと思った男、魔物から力を得てまで優勝することに何の意味があるのでしょう?
 外海で出会ったのは、生きるために恋愛よりも現実を選んだ男と、その男に翻弄されてしまう人魚でした。
 大恋愛から失恋へと変化する関係を叶わぬ恋に置き換えて、現実を生きていくために生きるための恋を選択しなければいけないという『愛の本質』みたいな表現に、堀井雄二はすごいと思いました。

 育った村に幼馴染の女を置いて旅に出る主人公が、やがて出会ったのは幼い頃にとても仲良くしていた敵国の姫です。
 敵国に追われる主人公と、自分の国を信じられなくなった元姫がパーティーを組むというのは、そこに村の幼馴染の女を思うと、とても奥が深いと思うのです。
 理不尽さに愛をもって立ち向かい、愛をもって共に戦おうと思い、ひそかに愛を想って遠くから応援し、あのときの愛を今の愛が引き離そうとする。

 物語のセオリーとして、とてもすごい!

 ベロニカの魔法で子供にされたままという設定も、大人びた性格と魔法が使えるをキャラクターデザインで絶妙に上手く表現されています。
 幼い子供という設定だったら、「子供を魔物と戦わせるのか!」というクレームがくるから、こういう設定なのです。

 十数年ぶりにドラクエを遊んでみて、
 やはりドラクエはドラクエであり、とても面白いと感じました。



 エンディングを見終わったので、感想を書き残したいと思います。
 一番印象に残ったことは、レベル上げがとても楽になっていたことでした。
 簡単にレベルがあがるので、フィールドを行ったり来たりするエンカウント行為もほとんど必要がなかったと思いました。
 昔のドラクエはレベルを上げるのが大変だったから、ドラクエ11sは昔のFFのようにサクサク進むなと感じました。

 主人公がオートでプレイできたのが嬉しかった。
 戦闘がこんなにも簡単になったことも含めて、レベル上げが楽だと思いました。
 仲間が多くて、入れ替えもいつでもできて、回復魔法で控えの仲間を回復できるようなので全滅することなくラスボスまで遊べました。
 それに、オートセーブ機能もあるので全滅しようがないのです。

 私は昔の癖で、ゴールドがたまったら銀行に預けに行っていました。

 そういう意味で、ドラクエの全滅という概念は古くなったのでしょう。
 今でもメダル集めやカジノでやり込む人もいるのだと思いますが、私はまったく興味がありません。
 これは昔から同じです。

 私にとってドラクエは、レベル上げしてエンディングを見ることがメインだったので、街中のクエストもほとんどやり込んでいません。
 過去のドラクエのストーリーを遊ぶやつだけは、やり込んでいます。
理由は経験値が簡単に手に入るからです。

 ストーリーをガッツリ作り込むドラクエというRPGは、今の時代には合わなくなってしまったなと……これが率直な感想です。
 ここまでシステムを簡単にしないと、遊んでもらえないのでしょうね。
 それに、登場人物もヴァーチャルアイドルみたいに動いて、セリフも声が入っていないと今の若者は見向きもしないのでしょうね。
 制作に手間がかかってしまって、利益はあるのかないのか?

 オンラインRPGがドラクエを越えていくのだと感じました。

 クリア後のやり込みが、過去に戻ってもう一つの可能性の世界にするとはよく考えたなと思います。
 ベロニカが生きていたらという設定の世界にしたのは、単純に裏ボスを倒すだけのストーリーではオンラインRPGに勝てないと思ったからでしょう。

 私は、ドラクエはドラクエでいいと思います。
 初代ドラクエを遊んでから、37年ですか?
 私にとって最後のドラクエが、ドラクエのままだったので嬉しかったです。




 裏ボスも倒して、気がついたらレベル99になっていました。
 今まで、ドラクエでレベル99にしたことは一度もなかったから、新鮮に驚いています。

 真のエンディングをしっかりと見て、詳しくは書けませんが懐かしいと思いました。

 これで、私のドラクエ人生は終わりました。
 次の作品になるだろうドラクエ12は、今までのドラクエとはかなり性質が違っているみたいです。
 FFがアクションRPGになっていたように、ドラクエもそういう方向性になっていくのだと思います。
 私にとっては、もはや別のゲームになっていくのでしょう。

 今の若者からドラクエ11sを見たら、たぶん物足りないのだと思います。
 でも、これが私の世代には丁度良いゲームなのです。

 今回のドラクエは、その内容の半分は『ドラゴンボール』に似ていました。
 もともと、ドラクエは当時のドラゴンボールの連載時に、似たような内容でゲーム化しようと思ったところから始まったと私は考えます。
 当時のドラゴンボールは、西遊記をベースにしたストーリーでした。
 フリーザと戦うようなアクション漫画ではなかったのです。

 ドラゴンボール人気にあやかって、ゲームを作ったというところが真相でしょう。

 鳥山明が作るキャラクターもモンスターも、今の若者たちには馴染めないと感じます。
 私が幼稚園の時に『アラレちゃん』が連載されて、小学4年生くらいに『ドラゴンボール』が少年ジャンプで連載していて、その当時はまだ人気が低かったのです。
『天下一武道会』くらいからドラゴンボールは人気が出てきました。
 その頃に、ドラクエはロト伝説をテーマにしてゲーム化していたと思います。

 ドラクエ11sは、まるで鳥山明ワールドですね。

 次回作を鳥山明がデザインするかは知りません。
 私は、ドラクエを卒業していくだけです。
 
良い思い出で終わりたいと思います。

ドラゴンクエスト、ありがとう!



 これから、サブクエストをやっていこうと思います。
 町の人からの依頼を受けて、こなしていくというやつです。
 カジノやメダル集めもありますが、私には向いていません。
 真のラスボスを倒す方向もありますけれど、レベル99でも簡単には倒せないようです。

 素材を集めて、武器防具などを作る自分がいるなんて想像もしませんでした。
 全く興味がなかったけれど、やってみたら面白かったです。

 広島で重要な会議をやっているときに、どこかの海で大地震が起きたとか、マスコミが梨園やアイドルを追っかけているとか、そんなの私はどうでもいいのです。
 真相が私にはわかるけれど、もう興味もありません。
 逆に本当のことを言ったら、面白い展開に芸能界はなっていたと残念に思っているくらいです。
 芸能人が殺人事件という話は、大昔の消されたアイドルと西部警察の偉いさんとの関係のもつれで……くらいでしょうね。
 本人が一番真実を知っているから、別に梨園だから擁護せずに突き放した方が今後のためになったのに。
 アイドルの性加害をマスコミがスルーするのも、今後のためにならないと思うけれど、相手は暴力団がらみですから報道したら殺されます。

 戦争にも地震にも飽きました。
 ウクライナの大統領を広島の平和記念公園に招いたことは、間違いなのかもしれません。
 もしかしたら、ウクライナ側から核兵器を使用する可能性だって未来にはあるのですから。

 マスコミも芸能人にも飽きました。
 津波ひとつ起こせない大地震なんて、誰も恐れません。
 大災害にならない石川県の震度6も、自ら地震の脅威を貶めていると自覚したほうがいいのではないでしょうか?

 芸能界やマスコミに影響を与えた、アニメ業界のわいせつ表現にも問題はありますよ。
 所詮は「絵」だから許されるなんて思っていたら、完全に無責任ですね。
 たぶん、何にも考えずに表現しているから、ほとんどのアニメ会社とお別れするだけです。

 小説を書いている私の見解として、
 性表現する必要性のある場合は、その対象が誰なのかをしっかりと意識することが重要だと思っています。
 性とは無意識による脳の活動であり、性の多様性を重要視している先進国や現代において、それを意識的に揶揄する行為は、性差別だと断言して問題ないでしょう。
 このことをしっかりと認識して、ラノベの対象が若者であり未成年向けであると思って、性表現は『少年ジャンプ』くらいに留めるようにしています。

 こういうことを書いても、言い返されるだけなのです。
 川の向こう側の人は私に言い返す暇があったら、自分の子供に言えないような行為を皆で隠している事実に反旗をひるがえしてほしいと願います。

 広島への原爆投下による、子供を含めた無念の死をどうか思い出しましょう――

 私は川の向こう側は嫌いだから、関わりたくありません。
 今後もどうでもいいし、私には今後も関係ありません。
 こんな世界で、再びドラクエを遊んでいる私は幸せだと心底思えてきます。
 ドラクエはちゃんと考えられている娯楽だと思います。
 小学生の時にドラクエと出会った私は、これでいいのだと思いました。
 なんだか、川の向こう側の世界は苦しい世界で、かわいそうで悲しいなって思えてきます。

 私は、そんな世界と縁を切るのです。

 ドラクエを遊ぶ度に、子供の頃を懐かしく思い出させてくれます。
 昔のアニメにもゲームにも、しっかりと流儀がありました。
 ちゃんと内容をチェックするプロフェッショナルがいたと思います。
 いわゆる名監督と呼ばれた人です。
 それが今では、こんなにも下世話なそれらに落ちぶれてしまいました。

 私が次世代アニメーションを選んでいた数年前くらいが、最後のプロフェッショナルなのでしょうね。



 こんな時代で、ドラクエを遊べたことは幸せでした。
 私にとってドラクエは、ちゃんとしたRPGなのです。
 今回、Steamで遊んだドラクエ11sは、私の最後のゲームになるでしょう。
 これで良かったのです。
 これからは新しいゲームの時代だから、私は身を引くだけだ!

 少し寂しくなるというか、
 私の本音としては、ファミコンさようならできてクリアーです。




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