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256DAY -2400年前にひろゆきがすでにいたらしい‐

 「ひろゆき」と言えば、2ちゃんねるの創始者であり「論破王」としても名高い人物である。

 しかし2400年前にも、そうした「弁術」で当時の話題をさらった人物がいた。

 それがソクラテスという人物である。

 ソクラテスは、釈迦、キリスト、孔子と並んで世界四大聖人に名を連ね、古代ギリシャに始まる西洋哲学の基礎を築いた先駆者の一人である。ソクラテスは、一切の著述を行わなかったとされており、現代までの彼の伝承やイメージは弟子のプラトンやクセノフォンの著作を通して今日に伝わっている。

 なぜ自分がこのソクラテスを「ひろゆき」みたいだというかと言うと、それは勿論、ソクラテスは「論破」することが生涯の大部分を占めていたからである。

 ソクラテスの思想の中でも代表的なものに「無知の知」というものがある。神からの神託によってあなたが「地上で一番の賢者」であると告げられたソクラテスが、それが本当のことなのかを探るために各地の実際に賢者と評判のある学者や政治家、文学者、職人らを訪ね、それらと対談して自分が彼らより優れているか否かを検証しようとした。

 しかしいざ彼らと会ってみると、彼らはその道のことについては誰よりも詳しかったが、それを以て自分たちが他のことにおいても識者であると思い込んでいた。それどころか、自分が今語っていることの理解すらできていない人もいた。

 この現状をみたソクラテスは、「知らないことを知っていると思い込んでいる人間よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢いことは自明である。その点において自分は他の者よりも賢いのだ」という考えに行きつく。これが「無知の知」である。

 「無知の知」の思想を開拓したソクラテスは、その思想の確信を深めるようになり、「実は知恵とは微小、もしくは空虚な価値しかない」「そのため真の賢者とは、自身の持つ知恵が実は無価値であることを自覚する存在である」という考えに行きつき、そこからソクラテスは「神託の実行者」として各地を放浪し、出会った賢者たちが無知であることを指摘する生活を送るようになる。

 こうしてソクラテスは、ひたすら会う人会う人の無知を指摘し、「論破」して各地をまわる存在となったのである。

 そうした「論破」しまくった結果、ソクラテスは各地での敵を数多く作ることとなり、あらゆる諸事情も重なって彼は起訴され、公開裁判を受けさせられ、そこで弁明を行うことになる。これが「ソクラテスの弁明」という出来事なのだが、ここでもソクラテスは持ち前の論説力を発揮、起訴したメレトスという詩人を次々に言葉でねじ伏せるも、それが逆に民衆の怒りを買い、ソクラテスは死刑に処される。

 これが古代ギリシャの「ひろゆき」。元祖論破王のソクラテスの生涯である。ソクラテスは死ぬまで自身の根を貫き、そして最後まで知恵に対する意思を抱きながらこの世を去った。彼は死刑に処されるまでの獄中で、弟子から脱獄を勧められたが、「単に生きるのではなく、善く生きる」という自身の哲学を貫いたと伝わっている。彼のような強い意志を持つ人間は、はたから見るととても場違いに感じるかもしれない。しかしそうした人間がしていることの裏には、大きな意味が隠れているのである。


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