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241DAY -氷点下の奥多摩日記⑴-

 炎に一つとして同じ形はない。常に変化し、蠢いている。もはや一つの生物かと思う。それはおそらく間違いではない。人類は「火」を手にしてから進化が始まった。火をいかに自分たちの繁栄に生かすか。暖を取るためであったり、物を加工するためであったり、敵を排除するためであったり。それが新たなものを生み、現在までそれが繰り返されてきた。もはや切っても切り離せない関係性が、人と火にはある。

 火を見ると途方もなく見惚れてしまうのもそういう因果関係のせいに違いない。そう思いたくなるほど火というのは美しい。人間の意識の根底には、誰もが気づかない形で火とのつながりがある。それは人類が最初に出会った、美しくかつ繊細で強力な存在だったからに違いない。人間の遺伝子にはわずかながらネアンデルタール人の物が混ざっていると言われるように、今の我々にも火に初めて出会った時の原始人の血が流れている。あくまで自然な、そして必然な反応が起こり、今こうして焚き火を見る我々の行動に反映されてゆく。

 橙色に輝くその炎は、薪の上で踊りながらとめどなく湧き上がってくるようである。黒く炭化し、四角くひび割れたその表面から出た火が、染めるように暗黒を照らす。ボッと音を立てて薪がはじけて火花が立ち上り、頭上に輝く無数の星々に加わりたいと言わんばかりに、無限の夜空に消えてゆく。焚き火を前にした時、ネガティブな感情を持つ人はいない。もしネガティブでも、その火は閉した心を強引にこじ開け、暖かな雰囲気とともに招き入れる。これは自分がブログを始めてから何回も書いたことだ。

スマホで撮ってこれは凄くね

 氷点下に冷え切ったその外気に、宇宙に輝く太陽の如く、炎は孤独にゆらめく。炎はもはや我々自身と言っても良い。宇宙にただ一つ存在する孤独な人類。その命の輝きは、まさに焚き火の炎に他ならない。人類は資源無くして生きていけない、炎も燃料がなくては輝けない。炎と人類は一蓮托生。この夜空は、我々と焚き火とを一つにしてくれる。

 だから我々は焚き火とともに生きる。似通った二つの存在が一堂に会し、お互いがお互いを存在せしめ、お互いをより良いものにしていきながら。

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