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243DAY -氷点下の奥多摩日記⑵-

 「氷点下」とあるように、この時の奥多摩の気温はマイナスにいっていた。吐く息は白く、肌に張り付くような冷たさが襲いかかる。自然の恐ろしさ、寒いだけならまだその末端中の末端にすら触れていないだろうが、我々のような一般人が「温かみ」というものの素晴らしさを理解するには十分すぎるものであった。

 今回の奥多摩は、(と言っても一週間くらい前だが)、猟友会の方から鹿と猪の肉をいただいたことで、それらを全て具材とともに鍋にぶち込み、いわゆる「ぼたん鍋」と「もみじ鍋」にしてしまう。冬における鍋は石油(笑)にも匹敵するほどの価値がある。

 ああ素晴らしきかな。まだまだ未熟者の自分ですが、歳をとるごとに白菜の素晴らしさがわかる。そしてスーパーの肉で作るのではない、大自然の中で育ち、調理の際に血が溢れるほどの新鮮さがある肉を入れた鍋は、それこそ至高の領域に到達している。

奥多摩参加勢にかかれば鍋二つなど瞬殺である

 部屋の中に充満する鍋と米の湯気、立ち上るのはそれだけではなく、舌鼓をうつ彼らの喜びだ。命のありがたみを知り、自分の生を実感するその黄金体験。学生のうちからこんな濃密な体験をしていては、これから人生で経験するレジャーも霞んで見えることだろう。

氷点下が襲う中、彼らは最高の朝を迎えている

 朝起きると、早速薪ストーブを焚く。そしてその温かみに釣られるように、彼らはのそのそと起きてきて、冷える体を髄まで叩き起こす。そして全てを整えて、朝の学習に耽る彼らは、なぜかとても調子がいいように思える。その理由はわからない。感覚がそうなっているのだから仕方ない。自分もこの感覚は何度も経験したが、なぜ調子が良くなるのかを理屈で理解できたことはない。
 しかし調子がよくなるというのは断じて言えることであり、変えようのない事実だ。

 自分はこのプチ合宿、朝の10時ほどに帰ってしまったのでその後のことは書けない。しかし彼らが何かしらに目覚めてこの後家に帰ったのだろうことは容易に想像できる。去年から続けている「奥多摩日記」。こうして続けていると、いずれこれをやりたいと思う諸兄が出てくるだろう。そしてそれが続いていけば、自然と焚き火の効力も後世に残り続けるのだろうと自分は思う。

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