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『存在と時間』を読む 第45節から第60節

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#ハイデガー

『存在と時間』を読む Part.47

 第2篇 現存在と時間性
  第45節 現存在の予備的な基礎分析の成果、ならびにこの存在者の根源的な実存論的解釈の課題

 これまで第1篇において、ハイデガーは存在の意味を問う問い掛けにおいて、このような問いが意味をもちうる唯一の存在者である現存在について、その世界内存在と日常性というありかたを分析してきました。第2篇の最初の節では、それまでの現存在分析の成果が確認されることになります。

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『存在と時間』を読む Part.48

 第1章 現存在に可能な全体存在と〈死に臨む存在〉

  第46節 現存在にふさわしい全体存在を存在論的に把握し、規定することが不可能にみえること

 これまでの分析の重要な欠陥を克服するために、ハイデガーは死の問題の考察に取り掛かります。死は、現存在の「終わり」であるという意味で、現存在の生に終止符をうつ瞬間であり、その時点で現存在の生の全体が終えたものとなります。
 現存在の全体性を把握するた

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『存在と時間』を読む Part.49

  第48節 〈残りのもの〉、終わり、全体性

 ハイデガーはこのように、死という現象を存在論的に考察するために、動物に欠如していて、人間だけに訪れるきわめて実存的な出来事である死についての概念を検討しながら、現存在の〈終わること〉がどのようにして、実存する存在者の全体存在を構成することができるのかを示そうとします。そのためにハイデガーがまず提示したのが、次の3つのテーゼです。

1. Zum D

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『存在と時間』を読む Part.50

  第49節 死の実存論的な分析と、死の現象について可能なその他の解釈の領域の確定

 これまで現存在について獲得されてきた根本機構である気遣いの現象を導きの糸として、死についての実存論的な分析が行われることになります。その際、わたしたちが獲得すべき死の概念についての分析が、好ましくない脇道にそれないようにするためには、死についての存在論的な解釈に、一義的な方向づけを行う必要があるでしょう。それを

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『存在と時間』を読む Part.51

  第50節 死の実存論的かつ存在論的な構造のあらかじめの素描

 世界内存在としての現存在の根本的な存在様態は「気遣い」でした。死についてもこの気遣いという存在様態から考察する必要があります。すでに気遣いの存在構造については、次のように定義されていました。

Sich-vorweg-schon-sein-in (der Welt) als Sein-bei (innerweltlich) beg

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『存在と時間』を読む Part.52

  第51節 〈死に臨む存在〉と現存在の日常性

 日常的で平均的な〈死に臨む存在〉がどのようなものであるかを明らかにするためには、これまで確認された日常性のさまざまな構造にその方向性を探ることになります。現存在は日常性においては頽落存在であり、その自己は世人でした。ここで問う必要があるのは、世人はどのようにして〈死に臨む存在〉を開示しているかということです。
 死の実存論的な考察によって、現存在

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『存在と時間』を読む Part.53

  第52節 日常的な〈終わりに臨む存在〉と、死の完全な実存論的な概念

 これまでの死の実存論的な概念の考察では、世人のうちに頽落した現存在が死に臨む姿勢について、〈もっとも固有で、関係を喪失し、追い越すことのできない存在可能性〉に臨む存在だと規定してきました。しかしこの規定は、現存在にとっては形式的なものであり、空虚なものにみえるのではないでしょうか。というのは、これらの規定は現存在がみずから

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『存在と時間』を読む Part.54

  第53節 本来的な〈死に臨む存在〉の実存論的な投企

 この節は第1部第2篇のこれまでの節に比べて長く、内容も難解な節になっていると思います。原文の引用をこれまでよりも多くして、細かくみていくことで、ハイデガーの考察の道筋を捉え損ねないようにしていきたいと思います。

 これまでの分析から明らかになったのは、現存在は日常的な生においては、死に直面することを回避し、頽落して存在しているということ

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『存在と時間』を読む Part.55

 前回の続きとなります。

 第4の特徴は、先駆において現存在は、みずからの死を確実なものとすることです。

Die eigenste, unbezügliche und unüberholbare Möglichkeit ist gewiß. Die Weise, ihrer gewiß zu sein, bestimmt sich aus der ihr entsprechenden Wahr

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『存在と時間』を読む Part.56

 第2章 本来的な存在可能を現存在にふさわしい形で証すこと、決意性

  第54節 本来的な実存的可能性の証しの問題

 最初に一点指摘しておきたいのは、この章と節のタイトルにある「証し」という語についてです。この語は原文では>Bezeugung<であり、「証明する、裏付ける」を意味する動詞>bezeugen<を名詞化したものです。第54節のタイトルは原文で、>Das Problem der Be

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『存在と時間』を読む Part.57

  第55節 良心の実存論的・存在論的な諸基礎

 ハイデガーは、良心は開示性の1つとしてこの構造に含まれているものですが、そのうちでも「語り」と密接な関係にあると考えています。良心は「呼び掛ける」ものであり、実存する現存在の心に「語り掛ける」ものです。良心の呼び掛けは語りの1つの様態なのです。
 この呼び掛けには3つの要素があります。序論における存在への問いの考察を覚えていますでしょうか。存在へ

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『存在と時間』を読む Part.58

  第57節 気遣いの呼び掛けとしての良心

 良心の呼び掛けで、呼び掛けられる者は現存在ですが、呼び掛ける者は誰でしょうか。この問いにはすぐに答えられるように思えます。呼び掛ける者もまた、呼び掛けられる者と同じように、現存在です。この現象では、現存在が良心においてみずからに呼び掛けるのは明らかだからです。
 しかしこのように答えることは、存在論的に十分なものではありません。良心において呼び掛ける

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『存在と時間』を読む Part.59

  第58節 呼び起こすことの理解と負い目

 この節は長く、日本語訳では特に難解なところだと思います。原文を参照しながら、訳すのが困難な概念の意味を把握していきましょう。

 呼び起こしは、配慮的な気遣いをしている世界内存在を、そのもっとも固有な存在可能に呼び起こします。そのためこの呼び掛けは、何に向かって呼び起こすのかを実存論的に解釈するさいには、個々の現存在における具体的な実存の可能性を画定

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『存在と時間』を読む Part.60

 第58節の続きです。

 無であること、負い目を負っていることは、現存在の存在を規定する根本的な概念です。現存在の根拠のうちにはこのような否定性がそなわっているのであり、現存在は実存することにおいてすでに〈負い目ある存在〉です。
 これは同時に、他者にたいしてもつねに〈負い目ある存在〉であるということです。わたしたちは生きているだけで、他者にたいして何らかの責任を負っているのです。他者が物質的あ

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