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『存在と時間』を読む 第61節から第71節

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記事一覧

『存在と時間』を読む Part.63

 第3章 現存在の本来的で全体的な存在可能と、気遣いの存在論的な意味としての時間性

  第61節 現存在にふさわしい本来的な全体存在の確定から始めて、時間性を現象的にあらわにするまでの方法論的な道程の素描

 ここから第2篇第3章に入ります。これまで現存在の本来的で全体的な存在可能について、実存論的な構想を立てることを試みてきました。この章は、第1章で考察された〈死に臨む存在〉と、第2章で考察さ

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『存在と時間』を読む Part.64

  第63節 気遣いの存在意味を解釈するために獲得された解釈学的な状況と、実存論的な分析論全般の方法論的な性格

 すでに第45節では、この節のタイトルにある「解釈学的な状況」について次のように語られていました。「すべての解釈には、それに固有の予持、予視、予握がある。これらの〈前提〉の全体をわたしたちは”解釈学的な状況”と呼ぶが、解釈が解釈として、ある探究の明示的な課題とされる場合には、こうした解

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『存在と時間』を読む Part.65

  第64節 気遣いと自己性

 気遣いの存在論的な構造については、すでに「〈(世界内部的に出会う存在者)のもとにある存在〉として、〈(世界の)うちですでに自己に先立って存在している〉こと」であることが示されており、この定式において、現存在の過去、現在、未来の3つの時間的な契機が含まれていることは、すでに確認してきました(Part.40参照)。この時間性については、次の第65節で考察されますが、こ

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『存在と時間』を読む Part.66

  第65節 気遣いの存在論的な意味としての時間性

 この節は大きくわけて2つの部分で構成されています。第1の部分は、投企の>Woraufhin<の概念を再検討することによって、意味と地平の概念のまとめを行うことです。第2の部分においては、このように総括された意味と地平の新たな概念に基づいて、過去、現在、未来という伝統的な時間概念に代わる本来の時間概念が提起されます。前回予告したように、この節か

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『存在と時間』を読む Part.67

  第66節 現存在の時間性と、その時間性から生まれた実存論的な分析の根源的な反復という課題

 気遣いの時間性について、将来、既往、現在化の3つの時間的な契機に関連した動的な時熟の構造が解明されました。ただしこの構造が解明されただけでは、分析は進みません。存在論的な分析をさらに進めるためには、現存在の意味は時間性であるというテーゼを、現存在という存在者についてこれまでに確認されてきた根本機構の具

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『存在と時間』を読む Part.68

  第68節 開示性一般の時間性

 まずこの節では気遣いの具体的な時間的な構造を示すために、気遣いを構成する契機としてすでに示されてきた4つの構造的な契機について、その時間的な解釈の道筋が示されます。第1篇の第5章では、現存在の〈そこに現に〉を構成する契機として、情態性、理解、語りの3つが考察されてきました。しかし、この第2篇の第4章では、開示性を理解、情態性、語りの3つに、頽落という契機がつけ

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『存在と時間』を読む Part.69

  (b)情態性の時間性

 前回は理解の時間性についての分析が遂行されましたが、理解はつねに情態的なものとして行われます。現存在はつねに情動的な存在なのであり、〈そこに現に〉は、等根源的に気分によって開示されているか、閉ざされているのです。このように現存在が情動的な存在であるということは、受動的な存在であることを意味しています。情動的な存在であるということは、現存在が気分というものによって動かさ

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『存在と時間』を読む Part.70

  (c)頽落の時間性

 これまでの分析で理解の第1義的な時間性が将来であり、情態性の第1義的な時間性が既往性であることが確認されてきました。現存在の世界内存在の開示性の3つの契機の1つとして分析の課題の対象となった残りの1つである頽落の時間性は、現在ということになります。
 この頽落の時間性の分析においてハイデガーは、頽落の3つの存在様態のうちで、好奇心の分析だけに限定しようとします。残り2つ

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『存在と時間』を読む Part.71

  第69節 世界内存在の時間性と世界の超越の問題

 現存在には、そのうちにみずからを照らし出す「光」のようなものがあることは、第28節ですでに指摘されていました。その際には、この「光」は、現存在の実存論的で存在論的な構造から生まれたものであることが指摘されていました。「この存在者が〈照らしだされて〉いるということは、自己において世界内存在”として”明るくされているということである。すなわち他の

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『存在と時間』を読む Part.72

  (b)目配りによる配慮的な気遣いが、世界内部的に眼前的に存在するものを理論的に露呈することへと変様することの時間的な意味

 現存在は世界内存在として、自分たちの作りだした道具に囲まれて日々を過ごしています。この道具連関において、すべての道具はその適材適所性に応じて配置され、使用され、不具合が発生した場合には修理あるいは処分されることになります。現存在がこれらの道具に向けるまなざしは、配慮的な

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『存在と時間』を読む Part.73

  (c)世界の超越の時間的な問題

 ここで現存在と世界の関係を再確認しておきましょう。すでに第18節において、世界の構造が有意義性であることが確認されていました。有意義性とは、現存在が自分の周囲に存在する手元的な存在者である道具を利用するための目的の連関のことです。そしてこの有意義性が統一されたものが、わたしたちが世界と呼ぶものであるのでした。
 こうした目的の連関としての有意義性は、わたした

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『存在と時間』を読む Part.74

  第70節 現存在にふさわしい空間性の時間性

 時間性との関連では、当然ながら空間性も重要な意味をもちます。ハイデガーは世界内存在にとって空間は、道具連関の存在場所として登場することを指摘していました。「わたしたちは手元的に存在するものに、それぞれに固有の環境世界的な空間において出会うが、この出会いが存在者的に可能となるのは、現存在自身がこの世界内存在というありかたのために〈空間的〉であるから

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『存在と時間』を読む Part.75

  第71節 現存在の日常性の時間的な意味

 これまでの考察において、配慮的な気遣いの時間性が分析され、先駆的な決意性のもとで、本来的な時間性において生きる実存のありかたが考察されてきました。しかし現存在はつねに本来的な時間性のもとで生きているわけではありません。基礎存在論が考察したのは日常性における現存在であり、日常性においては現存在は多くの場合、頽落して生きています。わたしたちは世人の1人と

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