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オーキドなつみの双極取説 はじめに

朝すっきりと目が覚めて

家族が起きる前に、1人時間を満喫
SNSをチェックして
大好きなボサノバを聞きながら、夢に向かって執筆活動をする

家族が起きてきたら、一緒に朝ご飯を食べて

お化粧をしたら、気分があがり

旦那と次女を見送ったら、ゆったりと過ごす

長女と一緒に家を出て
ダイエットのために、職場の最寄り駅の一駅前で降り
お気に入りの曲やオーディオブックを聞きながらウォーキング

週4日、大好きな仕事に行き
夜は、大好きな家族と過ごす

もちろん鬱の時は自分に自信がなくなって、すごく悲しくなったり
躁寄りになって、動きすぎたなと反省したりすることもあるけれど

双極性障害でも、そんな生活を送ることはできる

2年半前、激しい躁での入院から退院して

朝起きられない
下の子は私に人見知り
仕事にも行かせてもらえない
ひどい鬱、希死念慮

そんな絶望の日々だったあのころには、想像できない今がある

双極性障害と診断されても、幸せに生きることを諦めないで

大丈夫、きっと幸せに生きられる!

***

はじめまして!オーキドなつみです。

私は32才のとき、激しい躁状態になり、「双極性障害」と診断されました。(以前は「躁鬱病」、現在は「双極症」となっていますが、まだ呼び慣れないので、本書では「双極性障害」と書くようにします)

大好きな主人に、年少の長女、わずか7か月の次女と離れ離れになり、約3か月入院しました。とっても寂しかったです。

退院すればまた、日常が戻ってくる。家族と幸せに過ごせる。大好きな仕事にだって戻れる。

そう信じて疑わなかったです。

しかし、いざ退院すると、

入院した時に7か月だった次女は10か月になり、すっかりパパに懐いてしまって(いいことですが)、おそらく私のことを忘れてしまっていて。

仕事も、発症時に診てもらった主治医から、「あんな状態だったのに、すぐ復帰できるわけないでしょう!」と復帰を強く止められてしまい、絶望したことを、今でも覚えています。

家庭内で思うように活躍できない、大好きな仕事にも行けない

自分の存在価値が、見いだせなくなっていました。

朝早く起きるようにしなさいと言われても、なかなか起き上がれない

散歩がいいと聞いて、大好きなカフェに行くために散歩しても、希死念慮が止まらない

主治医とも相性が合わず、退院後は、完全に鬱状態だったように思います。

この先、双極性障害とどうやって付き合っていけばいいのか
どうやったらこのつらい状況を抜けられるのか

先生に答えを求めても、「自分で考えなさい」と言われ、薬も調整してもらえず、ただただ、日々、希死念慮を乗り越えるしかなかったです。(毎晩お風呂に入る度に、死ぬことを考えていました)

その後、主治医を変えて、お薬のおかげで少しずつ調子が上がってきました。仕事復帰も許可してもらい、徐々に日常の戻りつつあるも、どこか満たされない。どうやってこの病気を受け入れればいいのか、一生治らないというこの病気とどうやって付き合っていけばいいのか分からない……。そんな悶々とする日々を過ごしていました。

ある時、この状態をどうにか抜け出せないか、ネットで検索していたところ、ある本の画像に目が留まりました。

特徴的な水色の表紙の「躁鬱大学」です。

この本との出会いが、私の双極性障害ライフを、がらりと変えてくれました。

この「躁鬱大学」という本は、精神科医・神田橋條治先生の「神田橋語録」を元に、坂口恭平さんが持論を展開される本です。

「躁鬱大学」や「神田橋語録」には、双極性障害の人の特徴や対処法などが描かれていますが、これが本当に、「それそれ、それ私のこと!!」と共感の嵐だったのです。

・人の顔色を見て気を使うといった平和志向型
・和を大切にする人なので、つい自分が我慢してしまう
・不自由な状況に対して「しっかりしなければ」と耐えていると、躁鬱の波が大きくなる
・我慢するのが向かない、「この道一筋」は身に合わない
・一つのことに打ち込まず、幅広く色んなことをするのが良い

神田橋語録

など、「神田橋語録」には、私の特徴をとらえた言葉がちりばめられていました。

ぜひこの本を読む前にご一読されることをお勧めします。A4・3枚程度の短い文章です。

●神田橋語録

https://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf

「躁鬱大学」そして「神田橋語録」に出会えたことで、双極性障害とどう付き合っていけばよいかが分かるようになっただけではなく、双極性障害の特徴を生かせば、もっと幸せに生きられるようになれると、希望を持つこともできました。

また、私がこれまで尊敬していた、「可愛いままで年収1000万円」の著者である宮本佳実さんという方と同じ考え方も多くあり、やっぱりこの考え方は合っていたんだ、と点と線が繋がるような感覚もありました。

双極性障害の方にとって、こんなにも夢と希望を与えてくれる「躁鬱大学」や「神田橋語録」を広めたい、一人でも多くの双極性障害の方に知ってもらい、夢と希望を持ってほしい。その一心で、ブログ発信を始めました。

これまで、ブログを書いてみたいと思いながらも、なかなか軸が決まらずに三日坊主だった私が、気づけば100記事書き上げることができました。

もともと国語が大の苦手で、作文のテストは10点中2点取るような子でしたが、ブログを始めてからは「オーキドさんの文章は読みやすいです!」「いつも有益な情報をありがとうございます!」と言っていただけるようになりました。

たった一冊の本、たった一つの文章で、私はここまで変わることができました。

また、SNSで当事者の方と交流して、躁鬱の波を穏やかにする、様々な情報を得ることで、以前よりも格段に躁鬱の波が穏やかになりました。

現在は、「躁鬱大学」や「神田橋語録」の紹介だけでなく、自分で構築してきた躁鬱の波とうまく付き合うコツをブログやSNSで発信しています。

「躁鬱大学」と出会う前の自分とは全く異なり、前向きに病気と付き合えるようになりました。ブログ読者の方やSNSのフォロワーさんからも、その前向きな姿勢にお褒めの言葉をいただいたりしています。ありがたい限りです。

家庭の方では、私に人見知りしていた次女は3才になり「ママがいい!ママだっこー!」と言ってくれます(絶賛イヤイヤ期で大変ですが……笑)。主人に頼りながらではありますが、家事や育児もある程度こなせるようになりました。

仕事も、最初は就労継続支援B型から始め、週3日から以前の就業先に復帰し、現在は週4日勤務でパートとして働いています。通院やたまに調子が悪くなってお休みすることもありますが、周りの理解やフォローもあり、楽しく無理なく働くことができています。

もちろん、躁鬱の波がまったくなくなった、というわけではありません。動きすぎてしまったり、調子が悪くなってしまったりすることも、もちろんあります。

でも、躁鬱の波を穏やかにするためのツールをたくさん得たことで、間違いなく以前よりも生きやすくなりました。

といっても、私はまだ、双極性障害3年生のひよっこです。でも、そんな私でも、何か提供できることはあるのではないかと思い、今回この本を執筆させていただきました。

ここに書いてある内容がすべて正解と言わけではありません。
あくまでも、私がいいなと思ったものを記載させていただいています。

この中から、ご自身でもできそう!それいい!やってみたい!と思ったものに取り組んでいただいたり、考え方を参考にしてみていただけたりすると嬉しいです。

日本中、いや、世界中の双極性障害の方が、夢と希望をもって生きられるようになりますように。

2024年8月26日
オーキド なつみ


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