人の感情に寄り添うとは。寄り添い方の一例。真正感情と防衛感情。

よく、「人の気持ちに寄り添いましょう。」と言われるが、寄り添うというときの技術はいくつかあると思う。今回はそのうちのひとつをご紹介しよう。

それにはまず真正感情と防衛感情を区別して扱うことだ。
真正感情というのは、本当の自分につながっている感情で、それゆえ自分が自分であることを感じさせてくれたり、しっかりとその感情を感じきることで自分の価値や意味、生きている躍動感を与えてくれて、意欲や行動を導くものだ。
それに対して防衛感情は真正感情などの他の感情
を感じずにすむようにさせるものだ。防衛機制という言葉を聞いたことがある人もいるだろう。自分が認めたくない感情、自尊心やそれまでの信念を崩してしまうもの、不安や恐れに飲み込まれることなどから自分を守るための心の働きだ。
いくつか例をあげよう。自分の彼女の行動に困り果て、立ち去ろうとすると、ものすごい剣幕で怒りを顕にし、暴言や暴行を働いてくる人は、見捨てられ不安や孤独感という真正感情があって、それを怒りという感情で防衛しているのかもしれない。虐待をする人は怒りを制御できないのではなく、自身に対して恥や屈辱感、罪悪感をもち、それによって見捨てられる恐怖感を覆い隠し、意識にのぼらないように抑圧や否認をして怒りという形で表出しているのかもしれない。飲みの場で説教ばかりしてくる上司は、実は孤独感や疎外感を持っているのかもしれない。抑うつ感や悲壮感が慢性的に続いている人は、自身を抑圧してくるものへの正当な怒りを表に出せず、その諦めが抑うつという形で表だってきているのかもしれない。
ちなみに最後の例では怒りが真正感情だった。これは自身を守る正当な怒りであり真正感情なのだ。怒りのようなネガティブな感情だから防衛感情だなどと決まっているわけではない。
真正な感情に対しては、聞いているこちら側も真に寄り添い、共感できるものだ。身体的に共鳴しているように感じたりもする。それに対して防衛感情はグルグル同じとこをいつまでも回っていて、自己攻撃的であり、ゆえに行動抑圧的で自己を抑制する方向に働いている。そして、感情に振り回されて柔軟性を失ってもいる。そのため共感的に寄り添うのが難しく感じるものだ。
さてここからが大切で、他人の防衛的な振る舞いに、どうしてもイライラしたり回避的になったりしてしまうだろう。終わりなく恨み言をいい続けたり、理屈が通じずに感情をぶつけてくる相手には冷淡になり、距離を取りたくなることもあるだろう。そのためその相手はさらに孤独感を強めることだろう。惨めな気持ちを認めたくないためにさらなる防衛感情を育ててしまうという悪循環となりがちだ。
素直な感情を圧し殺した表情をした人は会社や学校にもいるだろう。起こった出来事に対して釣り合わないほど怒っている人もいる。不自然な表情や態度、非合理的な振る舞いの奥には配慮や思いやることが必要な何らかの事情があるのではないか。拒絶的になったり評価したりせずにそこに寄り添うというのがまず第一歩だ。否定せずにどんな理由があってそのような防衛に至ったのか、言葉で問い詰めなくてよいので、その事情やこれまでそのやり方で自分を守ってきたということを認めて受け止める。そうすることで悲しみや寂しさなどの根底にある感情を自覚できるようになる。そんなものを認めるのは惨めだから認めてこなかったのが、寄り添ってくれる人がいることによって素直になれるのだ。そして真正感情を感じきることで、本当の自分を感じ、意欲や充実感を取り戻し、頑なさから解放されて行動力を取り戻せるようになるだろう。

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