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何者でもなくなることへ不安だった過去の自分へ

こんにちは。くんぱす先生です。
医師として働きながら、2児の子育て真っ只中です。

今日は、私の仕事の上での葛藤についてお話しようと思います。

医療分野に限らず、自分が積んできたキャリアの道筋から、何かをきっかけに逸れ、まったく新しい分野でやっていかなくてはならなくなった人に共感していただける内容だと思います。

私は出産前、内科医として高度急性期病院や大学病院などで働いていました。日中の急患対応、当直での救急外来受診患者の診察や病棟の急変対応、夜間の緊急透析のオンコール対応などもこなす日々でした。
そして、内科認定医、総合内科専門医、腎臓内科専門医、透析専門医を取得し専門家として誇りをもって働いていました。

そのとき、私の転機【出産】が訪れます。

育児に重きを置きたかった私は今までの現場から離れることにしました。
そして、介護老人保健施設の施設長を経て、認知症疾患センターである精神科病院の認知症治療病棟で勤務することになったのです。

今まで専門的に行ってきた腎臓内科・透析のスキルは全く使いません。
総合内科専門医として、身体合併症(尿路感染症や肺炎など)の管理においてはスキルを発揮しますが、コストの面からも行える内科的加療はその病棟では限られています。
酸素吸入が必要な肺炎や、長い期間点滴を必要とする病態の場合は、別フロアにある内科病棟へ移ります。
そうなると私の手から離れ、内科病棟医が治療を引きつぐことになっています。

内科専門医として頑張ってきた私はアイデンティティを見失いました。

それでも以下の記事で紹介したように『今自分に求められていることをしよう』『置かれた場所で咲こう』と歩み続けました。

一度手にしたであろう内科専門医としてのスキルが、時とともに使われなくなり曇っていく感覚がしました。
日頃使わない知識やスキルは磨かれないまま曇り続け、ホロホロと手の指の隙間から砂時計の砂みたいに落ち続けていくような、そんな感覚です。

対して、今までは持っていなかった新たなスキルを手に入れ始めもしました。精神症状で苦しむ患者さんに対しての精神療法や向精神薬の調整のスキルです。精神保健指定医(厚生労働大臣の指定を受け法的な資格を得た精神科医)の先生の元、内科一本では決して身に着けることのできなかった新たなスキルです。

私は何者なんだろう。

内科医としても半人前、精神科医としても半人前。
そんな感覚です。
気がつけば、内科医として診療していた期間と介護老人保健施設+精神科病棟での診療の期間がほぼ同じになっていました。

内科医でも精神科医でもない、何者でもない私。

その現状に不安や焦りが募りました。
この先、内科医として総合病院に復帰できるだろうか。
医歴だけが毎年積まれ、積まれていく度に専門性を失う私。


けれど、最近になってそれが私の強みなんじゃないか、と思うようになりました。
確かに、ここまで内科専門医として専門的な診療をしていた医師が、今までほとんど手をつけていない分野の診療に乗り込んでいく経験ってしないですからね。

私ほど、高齢者に対する向精神薬の調整ができる内科医も珍しいでしょう。そう思うようにしました。

『〇〇科』と標榜することで自分の枠を決めてしまっているという見方もできます。
よく聞きませんか?
「これはうちの科じゃないです。」
「〇〇科に行ってください。」

患者さんは困っている症状を何とかして欲しいだけなのに、どの科に行ったらいいかも分からない。行ったら行ったでたらい回しになる。

私は高齢者が困ることはなんでも診れる稀有な医師だ、と思うようにしました。

自分のテリトリーを決めていた『科』という枠から解放されたわけです。


人は社会で生きていく上で様々なレッテルを自分に貼って生きています。
それは自分の歩んできた証でもあると同時に、自分で自分の枠を決めてしまっているともいえます。

新生『何者でもない私』として胸を張ってこれからも歩んでいこうと思います。

何者でもなくなることへ不安だった過去の自分へ

気にするな。
枠を取っ払って、稀有な医師として自信をもって歩み続けろ。
周りにいた人はどんどん減って、「本当にこの道であってる?」「ナビにも表示されないけど」と不安かもしれない。
けれど、進んで振り返ったときにきっと気づくはずだ。
自分が今までいた枠はこんなにも小さい箱だったんだ、と。
今いるここは、箱の外の世界だったんだ、世界はこんなにも広かったんだとあとで気づくときが来る。
大丈夫、ゆっくり進もう。



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