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私の感覚にとても合うヒルティの「幸福論」

人間の幸福について書かれた本 — いわゆる幸福論 — は数多くあるが,このヒルティの幸福論は素晴らしいと思う.少なくとも,私の感覚によく合う.だから良いかどうかは別問題だけれども.

ヒルティ,「幸福論」,岩波書店,1961

例えば,「幸福について―人生論」(ショーペンハウアー)にも良いことは書かれているが,厭世主義的で,社会との接触を忌み,孤独を賛美し,全く同意できない部分も少なからずある.どうしても,これが人間の幸福だとは賛同しかねるところがあった.

この点について,本書「幸福論」に収められた「人間とは何か,どこから来て,どこへ行くのか,金色に輝く星のかなたにはだれが住むのか」という小論において,ヒルティは次のように喝破している.

普通に汎神論的といわれている,この最後の哲学的人生観の形式は,スピノザ以来,哲学界を支配し,ヘーゲル,ショーペンハウエルやゲーテ以来,知識階級がなお抽象哲学にたずさわっていた限り,これを一般に支配したが,この哲学的人生観は,実にあらゆる人生観の中で道徳的に最も有害なものである.これは「倫理的な力を蒸発させ」,善を実現し悪を征服する意志を失わせる.

「うん,そうだよね!」と思わずにはおられなかった.ショーペンハウエルが好んで引用するのはゲーテだが,ヒルティが好んで引用するのはダンテである.興味深い違いだ.一方,共通点もある.エピクテトスやマルクス・アウレリウスを愛読していたらしいことだ.セネカも含めて,みなストア派であるが,彼らの言葉は心に染みる.

もう1つ,「そう,そう,その通り!」と感じた部分がある.再び,小論「人間とは何か,どこから来て,どこへ行くのか,金色に輝く星のかなたにはだれが住むのか」から.

(倫理的世界秩序の存在を認めない)人生観の帰結は,諸国民の間における絶え間ない戦争,あるいは戦争準備である.そして,その政治の教科書は,マキァヴェリの「君主論」である.

この注釈において,ヒルティは,「君主論」を「無遠慮な政治技術の教科書」としている.ちなみに,「君主論」(ニッコロ・マキアヴェッリ,講談社,2004)を読んだときに書いた私の感想は,「面白くない本だった.いや,まともなことを書いているとは思う.少なくとも,戦国時代の君主にとっては.パワーゲームが好きな人種にとっては有益かもしれないが,しかし,私には関係ないことが多い.さらに言わせてもらうなら,ニッコロ・マキアヴェッリの人間性が気に入らない.」で始まる.ヒルティは「幸福論」で酷評しているが,私も好きになれない.

では,ヒルティは幸福になるために何が必要であると書いているのか.それは,正当に仕事をすること,善いことを行う習慣を身に付けること,神を信じることなどだ.その根底には,ヒルティのキリスト教徒としての厚い信仰心がある.実際,本書の至る所で聖書が参照されている.その量はあまりに膨大だ.私はキリスト教徒ではないので,キリスト教の神を信じろと言われても「はい,そうします」とは言えないが,信じるものは「キリスト教の神」ではなくても良いのではないか.何か特別なものであれば.

最後に,ヒルティが示す教育の秘訣を.

教育の秘訣は本来,学生を導いて一方では彼等の仕事(勉強)にたいする愛好心と熟練とを得させ,他方では適当な時期に,なにか偉大な事柄に生涯をささげる決意をいだかせるように仕向けることだ,とわたしは思うのである.

ヒルティの「幸福論」.オススメしたい.

ヒルティ,「幸福論」,岩波書店,1961

© 2020 Manabu KANO.

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