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チューリングと岡潔を心で繋ぐ「数学する身体」は独創的だった

前半を読んで大雑把に言えば数学史かなと思ったが,違った.まったく違う話だった.数学の話に松尾芭蕉や道元が登場するとは思わなかった.

数学する身体
森田真生,新潮社,2018

1,2,3,たくさん.人間の数を把握する能力はこの程度だ.しかし,手の指を使えば,10まで数えられる.トレス海峡諸島の原住民は全身を使って33まで数えられるらしい.記号を使えば,もっと大きな数も数えられる.

Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ,Ⅴ,Ⅵ,Ⅶ,Ⅷ,Ⅸ,Ⅹ,Ⅺ,…

しかし,この記号を使って計算するのはとても辛い.計算するにはアバカスや算盤といった道具が適している.計算用の数字はインドで発明された.

本書「数学する身体」は,このような数字や数学の誕生の話から始まる.著者は本書の意図をこう書いている.

数学は身体の能力を補完し,延長する営みであり,それゆえ,身体のないところに数学はない.古代においてはもちろん,現代に至ってもなお,数学はいつでも「数学する身体」とともにある.本書ではこのことを,なるべく丁寧に描き出していくつもりである.

数学と言えば「証明」だが,その「証明」の文化が生まれたのは古代ギリシアである.当時は現代のように筆記用具が使われていたわけではない.書くよりも対話することが主だったはずだ.プラトンが遺したソクラテスの対話篇などまさにそのものだろう.

つまり,証明は他者の存在を前提としており,古代ギリシアの数学が目指すところは,命題が確かに成立するということの「公共的な承認」だったと著者は指摘する.

本書はプラトンの「イデア」にも言及している.「国家」に登場する概念だ.

この古代ギリシアにおける論証数学の誕生が,数学における1つの革命であったとされる.これに匹敵する次の革命は17世紀のヨーロッパで起きた.図の代わりに「記号」が,論証の代わりに「計算」が主役となった.

そこに至るまでに,「インド式計算の書」や「ジャブルとムカバラの書」を著したアル・フワーリズミー,「=(イコール)」の記号を発案したロバート・レコード,未知数だけでなく既知数にも記号を与えることで「一般式」の概念に到達したフランソワ・ヴィエト,そして「方法序説」を著したルネ・デカルトなどの貢献があった.ちなみに,アルのジャブルはアルジブラ(代数)の元である.

その後,ライプニッツやニュートンが微積分の基礎を作り,ベルヌーイやオイラーがそれに続いた.しかし,数式と計算を中心とする数学が限界に近づき,代わりに,リーマンやデデキントが概念と論理の時代を切り開いていく.しかし,デデキントらが導入した集合論は「ラッセルのパラドクス」により深刻な危機を迎える.

この数学の危機を救うべく立ち上がったのがヒルベルトの壮大なプロジェクトがあるが,それはゲーデルの「不完全性定理」によって論理的に葬りさられた.

このように,本書「数学する身体」の前半はまさに数学史である.しかし,アラン・チューリングが登場するあたりから様相が一変する.

どうやらチューリングは,「心」と「機械」を架橋する手がかりを,数理論理学の世界に見出したのである.計算や証明による記号の操作を「心」の問題に関連づける視点は,当時としてはかなりユニークで,その着想そのものがチューリングの独創と言っていいかもしれない.

アラン・チューリングは戦争に巻き込まれ,ナチスドイツのエニグマ暗号を解読するなど母国に大きな貢献をなした.

戦後,英国国立物理学研究所(NPL)に所属したアラン・チューリングは,1948年に所長のチャールズ・ダーウィンに「知能機械」と題する報告書を提出し,その中で「経験から学べる機械」のモデルを提示している.これはニューラルネットワークによる機械学習を彷彿とさせる.ところが,ダーウィンはこれを「小学生の作文」として一蹴する.

アラン・チューリングはコンピュータと人工知能を考え出した天才で,映画などを観て勝手に研究に没頭しているイメージを持っていたが,1948年開催ロンドンオリンピックの男子マラソン選手選考予選で国内5位になっている.そんな逸話も本書で紹介されている.ただ,チューリングはその不可解な死も含め,幸せな人生を送ったとは思われない.

そして話は岡潔に移る.著者は岡潔に惚れ込んでおり,彼が過ごした地(和歌山)に赴いたことなどが書かれている.岡潔は戦前から戦後にかけて活躍した数学者であるが,1938年,37歳にして,広島文理科大学を去り,農作業と数学研究に没頭する.終戦後には,念仏修行にも取り組み,そのような状況下で「不定域イデアル」とみずから名付けた概念を生み出し,世界の数学者にその名を知らしめる.岡潔が研究したのは多変数解析関数論であるが,彼が生前に発表した論文は10報にすぎない.まさに量より質である.

岡潔は松尾芭蕉に惚れ込み,情緒や情を大事にし,晩年には新しい人間観や宇宙観の建設という夢に向かう.

本書「数学する身体」で著者は,「心」というキーワードで,アラン・チューリングと岡潔を繋ぎ,数学史の1つを示している.興味深い内容だった.

はじめに

第一章 数学する身体
人工物としての“数”/道具の生態系/形や大きさ/よく見る/手許にあるものを掴みとる/脳から漏れ出す/行為としての数学/数学の中に住まう/天命を反転する

第二章 計算する機械
I 証明の原風景
証明を支える「認識の道具」/対話としての証明
II 記号の発見
アルジャブル/記号化する代数/普遍性の希求/「無限」の世界へ/「意味」を超える/「基礎」の不安/「数学」を数学する
III 計算する機械
心と機械/計算する数/暗号解読/計算する機械(コンピュータ)の誕生/「人工知能」へ/イミテーション・ゲーム/解ける問題と解けない問題

第三章 風景の始原
紀見峠へ/数学者、岡潔/少年と蝶/風景の始原/魔術化された世界/不都合な脳/脳の外へ/「わかる」ということ

第四章 零の場所
パリでの日々/精神の系図/峻険なる山岳地帯/出離の道/零の場所/「情」と「情緒」/晩年の夢/情緒の彩り

終章 生成する風景

© 2021 Manabu KANO.

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