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坂バカ志賀直哉の「自転車」衝動買いが桁違い

「小説の神様」と称される志賀直哉は,69歳のときに書いた「自転車」という作品(昭和26年11月)の中で,自転車狂だったティーンエイジャーの頃を振り返っている.

私は十三の時から五六年の間,ほとんど自転車気違いといってもいいほどによく自転車を乗廻していた.学校の往復は素より,友達を訪ねるにも,買物に行くにも,いつも自転車に乗って行かない事はなかった.

当時は日本製の自転車はなく,ほとんどが米国からの輸入品であった.英国製の自転車(米国製よりも高価)も少ないながらあったらしい.もちろん自動車はなく,馬車と人力車の時代だ.

志賀直哉 [ちくま日本文学021]
志賀直哉,筑摩書房,2008

1883年(明治16年)に宮城県牡鹿郡石巻町で生まれ,2歳で東京に引っ越した志賀直哉は,学習院に通っていた当時,麻布三河台(現在の東京都港区六本木3-4丁目の一部)に住んでいた.

私はそれで江の島千葉などへ日帰りの遠乗りをした.
横浜往復の遠乗りは数えきれないほどした.遠乗りとも思っていなかった.

六本木から江の島や千葉だと,片道で50kmくらいはあるだろう.すると,往復では100km以上となる.志賀直哉は「遠乗り」と書いているが,今なら「ロングライド」だ.そのロングライドを,いまどきのロードバイクやクロスバイクではなく,いまどきのママチャリにも遠く及ばないであろう当時の自転車で楽しんでいたのだから凄い.脚力は相当なものだっただろう.

「遠乗会」で十何台も自転車を連ねて千葉に行ったとも書いている.今でいうグループライドだ.

そして,坂バカだったようでもある.

急な坂を登り降りするのはなかなかに興味のある事で,今の登山家が何山何岳を征服したというように,私は東京中の急な坂を自転車で登ったり降りたりする事に興味を持った.赤坂の三分坂は急な割りにそれほどむずかしい坂ではなく,霊南坂もまだいいとして,一番厄介なのはその隣りの江戸見坂で,道幅も相当あり,ジグザクに登れるのだから,登れそうでいて,これは遂に登りきる事が出来なかった.

ここに3つの坂が登場する.

三分坂は長さ100m,最大斜度21%のようだ.急坂のため,荷車を後押ししてもらうときに車賃を銀3分(さんぷん:約100円)増額したのが名前の由来だという.

霊南坂は,アメリカ大使館とホテルオークラ本館の間にある坂で,長さ120m,平均斜度5.8%らしい.志賀直哉が「まだいい」というのもわかる.

江戸見坂は長さ150m,平均斜度8.0%,最大斜度20%のようだ.江戸時代には江戸の町が一望できる名所とうたわれたのが名前の由来だという.歌川広重の浮世絵に「江戸見坂之図」がある.

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志賀直哉はどのような自転車に乗っていたのか.

私の自転車はデイトンという蝦茶がかった赤い塗りのもので,中等科に進んだ時,祖父に強請んで買ってもらった.

志賀直哉が初めて買ってもらった自転車は米国製のデイトン(Dayton)だった.当時,蝦茶色は流行の最先端であったらしい.

どれだけかして,往来での競争にも余り興味がなくなると,今度は曲乗りに興味を持つようになった.

そのデイトンでロングライドや坂を満喫した後,志賀直哉は曲乗りにはまる.今なら,BMXフリースタイルだろうか.

それから数年して,志賀直哉は自転車を買い替える.新しい自転車は米国製のランブラー(Rambler)で,一目惚れだったそうだ.

三四年経って私のデイトンも大分古びたので,何とか買い替えたいと思った.(中略)私のデイトンは百六十円で買ったものだが,酷使しているから,そう値をよく買うわけはなかった.

私はこれを売ってクリーヴランドを買うつもりだというと,萩原は五十円で下に取ろうと云った.しかし私はまだ自家から,はっきりとした承認を得ていなかったし,クリーヴランドはデイトンよりも高価な車で,それだけに取らしても,なお,百二三十円を払わなければならなかった.

さらっと書いてあるが,時は明治時代.

これは五十三年前,すべての物価が安かった頃の事で,十円あれば一人一ヶ月の生活費になった時代の話である.

そう.今とは物価が違う.お金の価値が違う.当時の160円は現在の160万〜320万円にも相当するとされる.仮に200万円だとして…

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S-Works Tarmac SL7 - Speed of Light Collection
component: SRAM RED eTAP AXS
1,815,000円(税込み)
が買える!!

これを祖父にせがんだら買ってもらえたというのだから,お坊ちゃまぶりが凄まじい.どれだけ金持ち爺さんだったのか...

しかも,その高級自転車を「三四年経って私のデイトンも大分古びたので,何とか買い替えたい」とか抜かすのである.自分で稼いでもいない16-17歳の学生がだ.かなり衝撃的である.

しかし,驚くのはまだ早い.買い替えの話は続く.

錦町から美土代町へ出て,神田橋の方へ歩いて帰って来た.ふと,それまで知らなかった自転車の店のあるのを見た.ショーウインドウにランブラーという車が飾ってある.これはクリーヴランドやデイトンより品は少し劣るが,今までのランブラーとちがって,横と斜のフレームは黒,縦は朱に塗った,見た眼に美しい車だった.それが急に欲しくなった.早速,店へ入って値を訊くと,現在持っている金に九十円ほど足せばいいので,すぐ決めて,その金を渡し,足らぬ分は自家で渡す事にして,小僧を連れ,その新しい自転車に乗って麻布三河台の家へ帰って来た.古くなったデイトンよりは遥かに軽く,乗心地がよかった.叱言を云われた記憶もないから,祖父がその金を払ってくれたものと見える.

デイトンを萩原に50円で下取りに出した後なので,そこに90円を足すと,140円になる.現在の金額にして140万〜280万円だ.それを,たまたま通りかかった自転車屋で,「見た眼に美しい車だった.それが急に欲しくなった」から,その場で衝動買いするのである.

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DOGMA F DISK DuraAce Di2 12S 完成車
1,815,000円(税込み)
を散歩中にふらっと立ち寄った自転車屋さんで買えますか?

見た眼に美しいロードバイクですけど,欲しいですけど,私には買えません.そんなことしたら,帰宅後に刺されかねないでしょ.

「古くなったデイトンよりは遥かに軽く,乗心地がよかった」

そりゃそうでしょう.

明治時代の自転車がどのようなものだったかも分かる興味深い作品「自転車」だが,それよりも何よりも,志賀直哉の爺さんの金持ちぶりと,志賀直哉のどら孫ぶりに衝撃を受けた.

© 2021 Manabu KANO.

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