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風評加害を行う「正しさ」の商人は誰か?

キーワードは「風評加害」.世間では「風評被害」が問題視されることはあっても,その風評の発端となった加害者や風評を広めた加害者が注目されることはほとんどない.自分勝手な正義を振りかざし,科学も事実も無視して,被災地や被害者のことなど眼中にもなく,ただただ自分の立場を主張するために嘘を吐く人達.そのような風評加害者を明らかにすると共に,風評加害に積極的に対応しないことの問題点を指摘しているのが本書「「正しさ」の商人」だ.

「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か
林智裕,徳間書店,2022

東電原発事故そのもののみならず,それに端を発する情報災害によって苦しまされた福島県.その福島県出身・在住のジャーナリスト・ライターである著者の怒りが伝わってくる.しかし,著者は批判することが本書を執筆した目的ではないという.著者の林智裕氏は次のように書いている.

本書は,出来うる限り「イデオロギー(党派性)」ではなく「ファクト(事実)」の書にしようと努めてきた.書中でも述べたように,本書の目的はただ一つ.「今後の社会における情報災害の発生抑制及び被害低減」という公益性を求めることにあるからだ.

おわりに

冒頭で取り上げられているのはHPVワクチン.日本で定期接種が始まった直後に朝日新聞が副作用の可能性をセンセーショナルに取り上げ,世論に押し切られる形で,政府は接種推奨を中止した.国際的に効果と安全性が確立されたワクチンであるにもかかわらず.接種推奨が再開されるまでの8年以上の間に毎年3000人の女性が子宮頸がんで死亡した.朝日新聞も追従した他のメディアも訂正も謝罪もしていない.

本書の主たる題材は,東電原発事故に伴う情報災害である.福島で被爆による健康被害は出ていないという国連科学委員会の報告書を黙殺し,環境省の注意喚起も無視して,甲状腺がんが発生しているかのような報じたのがテレビ朝日である.テレビ朝日はさらに「フクシマの未来予想図」でも非科学的に不安を煽った.

このようにマスメディアが風評加害者になるのは論外だが,漫画も大きな話題になった.雁屋哲が「美味しんぼ」に東電福島第一原発を訪れた主人公一行が原因不明の鼻血を出す様子を描いた.鼻血は社会的に大きな話題となったが,福島県で鼻血が増えたわけではなく,結局,福島を貶めて騒ぎたい人が騒いだだけだった.

本書「「正しさ」の商人」の副題は「情報災害を広める風評加害者は誰か」であり,風評被害があるところには必ず風評加害者がいるという立場で,見過ごされがちな風評加害者に焦点をあてている.風評加害者とは一体何者なのか.そして,何が目的なのか.風評加害の本質を著者は次のように指摘する.

福島に対する風評は,政権攻撃の材料にするために拡大・温存されてきた.「風評加害」の中心の一角を担うのが「反権力」を是としてリベラルを自称する人達とその支持者達ばかりであったことも,彼らが「科学的根拠に基づいた正しい情報」を頑なに受け容れずに背を向けている理由も,いずれも平仄が合う話だ.

これらの根底には,無自覚な福島(辺境)への蔑視と,それゆえに同じ国内でありながら対岸の火事と見做すかのような他人事感があったのではないか.これが「風評加害」の本質だ.

本書で紹介されている,メディアによる印象操作・ほのめかしの例をいくつか挙げておく.印象操作やほのめかしは風評加害者の常套手段だ.

女性自身「福島第一原発1号機 建屋カバー撤去で65倍の放射能が降っている!」
メディアが〇〇倍と騒ぎ立てたら,元の数字(濃度など)を確認するべきだ.例えば,健康被害を及ぼす物質の濃度の基準値が100であるとき,実際の濃度が1から65になったとしたら,65倍である.しかし,その濃度は基準値より低く,健康被害を及ぼすようなものではない.問題がないのに騒ぎ立てるために,わざわざ〇〇倍と煽る.

神戸新聞「『放射能汚染水飲むしかなく,赤ん坊に母乳も』福島からの避難者」
何某という個人の発言であるという体裁で,事実と異なる言説を主張するのも風評加害者の常套手段だ.メディアもよく使う.自分たちの主張したいことを語ってくれる人達の声だけを拾う.都合の悪い声は無視する.避難者や被災地住民が不安を抱くのは仕方ないが,福島で放射能による健康被害が確認されていないにもかかわらず,ほのめかしを行うメディアはたちが悪い.なお,当該避難者はグリーンピースのメンバーとのこと.

共同通信など「福島36%『子供に被曝影響』ー県民健康調査」
普通に読めば,福島の子供の36%が被曝影響を受けたと理解するはずだ.しかし,36%は健康被害を受けた子供の割合ではなく,被爆の影響があるのではないかと不安に思った住民の割合である.あからさまに誤読を狙っている.

東京新聞・社説「トリチウム水 本当に安心安全なのか」
何の科学的根拠もなく「遺伝子を傷付ける恐れがある」と指摘し,また水俣病を引き合いに出して「不気味ではないか」と不安を煽る.この記事をTwitterで拡散した同社記者はツイートを削除したが,訂正などはない.「本当に安心安全なのか」という印象操作記事を書くくらいなら,自分で調べて事実を書くべきだ.それが新聞社の為すべきことだろう.

東京新聞「福島の11歳少女,100ミリシーベルト被爆」
事実誤認に加えて,都合の良いところだけを採用し,都合の悪いところは無視したチェリーピッキングの典型である.

ほのめかし・印象操作の例として,これら(他にもある)が紹介されているが,そう言えばそんなこともあったなと思い出す.著者は,これらの記事を紹介しつつ,ひとつひとつに対して「情報の検証」を行い,記事の問題点を指摘している.

安全と安心は違うとはよく指摘されることで,もちろん安心も大切なのだけれども,科学を無視して不安を煽るメディアはみずからが「風評加害者」だという自覚はあるのだろうか.その風評によって実害を受ける人々がいるというのに.

イラッとさせられる話題が多い中,心和む話もあった.

誰もが「フクシマ」を恐れて物資が入って来ない中、すかさず自費で購入した物資を積んだトラックを自ら運転して届けて下さった有名な方がいた。タレントの江頭2:50さんだ。

えがちゃん,芸はともかく,素晴らしいな.ちなみに,代々木アニメーション学院入学式でのスピーチも良かった.スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチもいいが,江頭2:50のスピーチもいいぞ.

最後に,著者は「情報災害」とは何であるかを整理した上で,課題解決のためにできることを述べている.本書の目的「今後の社会における情報災害の発生抑制及び被害低減」が実現されることを願う.

なお,自分の利益のために積極的に風評加害を行う人達が世の中にはいるわけで,著者は脅迫も受けたという.現実に危害が加えられる恐れがあり,本書には書けないこともあったという.

多くの人は覚えているだろう.東電原発事故に絡んで,情報災害・風評被害に抗おうとした専門家や学者が「御用学者」とされ,恫喝や誹謗中傷を受けたことを.そのような暴力を許さないという態度を明確に示していかなければ,被害者は救われないし,良い社会にもならない.

© 2023 Manabu KANO.

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