【怪異譚】廃村になった理由
福島県の山中、三県がまたがるあたりに、今は廃村となった村がある。
先祖が、その村出身という橘さんから、廃村となった理由について聞いた。
そもそも、その村は流浪の職人がたまたま定住した土地で、村というよりは集落といった方が分かりやすい程、規模の小さなものだった。
とりわけ明治の中頃あたりからは、村の外へと出るものが多く、橘さんの先祖も、やはり村を離れた者だった。
それでも、盆と正月には帰省していたという。
似たような家は集落に何軒かあった。
時が経つと、村を離れた者にも家族が出来、子供や孫を連れて帰ってくる者もあらわれた。
その事が、廃村となった理由の一つだったという。
橘さんは、その話を祖父から聞いたそうだ。
祖父は「餅は正月に食べるもの、年明け前に食べるものではない」と、年末になる度に言っていたそうだ。
橘さんが、理由を尋ねると、祖父は、静かに話すのだった。
橘さんの先祖は、祖父のさらに祖父にあたる頃には、すでに町の方に移住していたそうだ。
村には一族の墓だけがあり、様子見がてら、年に2度、盆と正月に訪れ、墓参と村の神社を参っていた。
と言っても、福島のさらに山奥のものだから、雪深く、正月には訪れることが出来ないことも多かったという。
ある年の大晦日、その年は珍しく雪が少なく、村に帰ることとなっていた。
とは言え墓参と、村の神社を参るだけなので、正月は村で過ごさず、朝一に訪れて、日が暮れる前には帰るという予定であった。
村を訪れてみると、なにかしら周囲が騒々しい。
警察らしき者が何人か、村の人に話を聞いていた。
顔見知りに、様子を聞いてみると、村で一番大きな家に息子夫婦とその娘(つまり孫娘)が、帰省で来ていたのだが、娘が行方不明になっているという。
ひとまずあちこちを捜しているが全く見つからない。
積雪は少ないものの、無いわけではなく、家から離れたなら足跡くらいは残りそうだが、それも見つからない。
まるで神隠しにあったようだと。
結局、その日は見つからず、春が訪れるころ、村から更に山中で、山菜取りに入った者が、ボロボロになった子供の服を見つけたが、子供そのものは、ついに見つからなかったという。
ただ、村の者たちは、その真相に心あたりがあった。
それは、山中で見つかった子供の服の懐から串が見つかったことで、ほぼ確信となった。
先にも書いたが、この村は、元々、流浪の職人が移り住んだ村なので、独特の慣習がある。
娘の服にあった串も、その慣習によるものだ。
この村では、12月29日に、餅つきを行う。
通常ならば、”9”が”苦”を連想させるため、苦餅(苦持ち)といって餅はつかないが、この村では餅をつく。
それも、その一年にあったことの愚痴や、憎いと思ったことなど、悪いことを思い浮かべながら、無言でつく。
つきあがると、それを二個づつ串にさして、村社に奉納する。
”憎し(にくし)餅”と言うそうで、(二串もかかっているのか)これを奉納すると、大晦日の晩に山の神様が浄化して、一年のはじまりを綺麗な形で迎えさせてくれるという。
つまり、その餅は、儀式的には、”憎悪の塊”のようなものなのだが、村に住んでいる者なら、常識的なことでも、村の外から来た者、それも子供なら分からない。
娘は、神社に供えられていた餅をそのまま食べてしまったのではないか、と。
それを神が怒った。あるいは、憎悪の念が、神がかり的な力を与え、鬼神となって、娘はこの世のものでは無くなったのだ、と。
こうして、神隠し事件は不可解なまま、一つの結論を出して終わろうとしたのだが、その後はさらに悲惨なものとなった。
娘を無くした、息子夫婦はそれを引き金にして、精神を病み、自殺。
さらに、”憎し餅”を食べたということは、全ての憎悪が、その村にふりかかるという考えの者が、その家の者を村八分のような扱いをして、家の者は、逃げるように村から消失。
残った村の者も、憎悪が降りかかってくるという強迫観念でふさぎ込みがちに、さらに流行り病に冒され、バタバタと倒れ、神隠しから事件から1年も経たないうちに村に健常な者はいなくなったという。
そして、次の正月を村で過ごすものはいなくなり、廃村となった、と。
この出来事があってから、その村出身の者は、暮れに餅を食べることが無くなった、もちろん私もそうだと、橘さんは教えてくれた。
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