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【ふしぎ旅】アラハバキ神社(2)

つづき。

さて、代表的なアラハバキ神社をもう一つ。
 多分、一番よく知られたものであろう。
 宮城県多賀城市にあるアラハバキ神社である。

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 多賀城市陸奥総社宮から近く、道を挟んだところに細い道がつづき、そこの傍らに”あらはばき神”と読むことができる石版が立っている。
 そもそも多賀城というところは古代において大和朝廷が蝦夷を制圧するための軍事拠点である。
 このアラハバキ神社は、その城址内でなく外縁部にあり、またすぐ近くには陸奥の国の神を一か所に集めた陸奥総社宮があるというのにその敷地内にはない。
 そんな中央集権国家の枠から微妙に外れた位置にあるわけであり、そのことから数多くあるアラハバキ神社の中でも特別な扱いを受けている
 つまり、東北地方固有の神であるアラハバキが中央国家と対立し、そして取り込まれていった姿をこの神社に見ることが出来るとされているのだ。

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 先の看板から200mくらい歩くとどう考えても民家の庭という感じのところに鳥居がある。
 正直、この鳥居がなければちょっと足を踏み入れることさえ躊躇するほど、民家の庭だ。

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 その庭を奥に進むと、かなり小さい社殿がある。屋根はトタン屋根。
古い歴史的な神社というよりはいかにも村の鎮守様的雰囲気を醸し出している。

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 しかし、社殿をよく見ると多数の靴が奉納されており、主に足腰の神様として旅行の安全を祈る道祖神的な役割があることが分かる

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 さらにその隣にはこのような社殿がある。
 一見すると閑散として何にも特徴が無いところだが近寄って見ると、普通の神社と違うところがある。

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 錆びたハサミ、金物などが数多く奉納されているのだ。
 このことから、アラハバキ神はいわゆる製鉄の神様であるとも言われている。
 この神社から北方に砂鉄の産地があったということ、さらに、時にアラハバキが片目で描写されること(製鉄作業で目を傷めることが多かったため)から考えると、そのような一面があって当然かと考えられる。
 また、この神社に限って言えば、先にも記したように、太古においては軍事拠点であり東北地方固有の神であるアラハバキが中央国家と対立し、そして取り込まれていった姿というドラマを想像できる。
 すると、当初はハサミでなく刀などの武器の類を奉納という形で東北地方の民族から取り上げていたのではないかと推測することも可能であろう。
 正直、この辺りまで考えると収拾がつかなくなってきてしまい、混沌としてくるわけなのだが、この辺りが謎の神アラハバキと言われる由縁なのであろう。そして、このミステリアスさこそがアラハバキ神が皆に注目される理由である。

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 などと考えていると男根型木なども奉納されており、旅の安全のみならず、子孫繁栄を主とした村の守り神としての道祖神的な側面をも見ることができる。

 と、色々と書いてきたが、結論としては「やはり、よく分からない」が正解に一番近いのではないかと思う。

 実際に訪れた感じからすると『東日流外三郡誌』に影響されたと思われる看板をのぞけば、いずれも集落の中心部ではなく、周辺の地域にあること。
 かと言って山の神、海の神などではなく、あくまでも里の神であること。
 にもかかわらず、この神社に関するお祭りが少ないこと(無いかもしれない)から考えると、多分に旅の安全を祈る道祖神的な役割が強いと考えられる。

 多分、謎の神などではなく、村の出口近くに置かれ、外に出ていく人の安全を祈願し、中に対しては悪いものを入ってこないようにするという単純な守り神であったようなそんな印象をうけた。

 ではなぜ、多賀城周辺の軍事拠点にあるのかという疑問がわくだろうが、多賀城周辺は、もともと神社がかなり多いわけで、その中でアラハバキ神だけを特別視する必要がどこにあるのだろうか、と逆に問いたい。
 道祖神や庚申様など一般的にあるムラの信仰の一形態であったというあたりが自然な気がする。

 とは言え代表的な2社を訪れただけでも、これだけ多くのことが考えられるのだから、カオス的な意味でアラハバキは謎の神には違いないであろう。
 ただ、その謎はそんなに古くからあったものでなく、おそらく昭和時代以降に出来上がったのではないかと「とってつけた」感を強く感じた。

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