見出し画像

死をどのように受けとめるか

 死とは何かという哲学的・宗教的な問いを発しなくとも、あるいは、心臓死か脳死かを明示しなくとも、「死をどのように受けとめるか」を問うことは可能であろう。なぜなら、死は誰もがいつかは直面するものであるからだ。死の受容に関して、宗教の果たしてきた役割は大きい。来世を信じ、来世に行けば苦しみも痛みもなくなる、あるいは、天国で救われる、肉体は滅びても霊魂は不滅であるなどの信念から現世における死を受けとめるのを助けてきた。宗教は、旧史より、霊魂の不滅や輪廻転生など死に対する様々な考え方、死生観を説いてきたのである。

 死を生の終焉とみる考えや、この世での死は別次元・別世界における生への移行とする考えのどちらにしても、生があってはじめて死があり、死と生は不可分の関係にある。であるからこそ、諸宗教や哲学はより良い生き方と死に方を対にして説く。「死をどのように受けとめるか」という問いは、いかに生きるかということと深く関わっているのである。
 1960年代末から1970年代はじめにアメリカで、死についての科学的な研究が始まった。死生学(Thanatology)と呼ばれる学問領域の誕生であるが、キューブラー=ロス(Kübler=Ross)がその中心的な研究者であった。

 彼女は、それまでタブー視されてきた死と末期ガン患者の内的体験に目を向け、死を宣告された末期ガン患者200余名にインタビューを実施し、不治の病であると知った時におこる患者の反応を5段階に分けた。はじめに、自分の死の否定と他者からの孤立を経験し、第2段階で怒りを覚え、第3段階で、避けられない結果を先へ延ばすべく、「お願いだから」と家族、医師、看護士、神様等と様々に取り引きする。そして、第4段階で、体力も衰え、自分の病気を否定できなくなると抑うつの状態となり、最終段階で、運命に気が滅入ったり、憤りを覚えたりすることも無くなり、死を受け入れる。
 キューブラー=ロスを含めて多くの研究者が、より良く死ぬとは、より良く生きることであり、死を受けとめることができる人は、ライフワーク、自分なりの人生観、あたたかい人間関係を持っている人という分析をしている。

 平均寿命の高齢化にともない、高齢者介護の問題が生じているが、それは介護に関する技術的な問題だけでなく、死をどこで、どのように迎えるかという問題を含んでいる。内閣府大臣官房政府広報室による「高齢者介護に関する世論調査」(平成15年7月実施)では、高齢者が希望する介護場所についての質問で、自宅介護が45%、介護保健施設や老人ホーム等が40%である。自宅での介護を希望する理由で圧倒的に多いのが「住み慣れた自宅で生活を続けたい」(86%)である。愛する家族にあたたかく見守られて死を迎えたいという思いがある。一方、施設などの利用を希望する理由では、「家族に迷惑をかけたくない」が77%と多数存在する。高齢者の中には、死を自然なものとして受けとめ、家族の思いとは逆に、周りの人に迷惑をかけたくないので、延命などせず死んでゆきたいと思う人もいる。「死をどのように受けとめるか」という問いは、死を迎える本人だけでなく、その家族、周囲の人も巻き込むのである。
 死が迫った患者に対するターミナルケアでは、患者の身体的苦痛を緩和(緩和医療)して、人間らしい生を全うするのを援助(QOLの向上)する。死への不安や恐れをもつ患者には、時間をかけて理解的態度で接し、精神的に支えていく。患者本人、その家族にとっても、死を受けとめるには周囲のサポートが必要である。そして、当事者の死後、遺族には、死別、喪失の悲しみをケアするグリーフケアが必要である。
 死の受けとめ方は様々であろうが、死を受けとめるには、周囲の人のサポートと、本人の心の準備が必要とされる。そのためには、幼少からの死の教育が欠かせない。それは、単に生物学的な死を教えるのではなく、生命の誕生に始まり、他者との関係を築きながら成長する人間存在を尊ぶ「いのちの教育」である。

本稿は、稲場圭信「死をどのように受けとめるか」『キーワード 人間と発達』(大学教育出版)(2007) をもとに加筆修正。

参考文献
・キューブラー=ロス. E. 1969.『死ぬ瞬間』(鈴木晶訳、1998)読売新聞社. 死に至る人間の心の動きを研究した書。ターミナルケアに関わる人をはじめとして世界各国で広く読まれている。原書のタイトルが、On Death and Dyingであり、著者は、死を一瞬の出来事ではなく、そこに至る過程として捉えている。本書で論じられている死を受け入れるまでの5段階は有名である。
・広井良典.2001.『死生観を問い直す』筑摩書房.個々の生や死が、社会や生命全体の流れの中で、どのような位置にあり、どのような意味をもっているのかを問う。時間という主題を軸に死生観を探究している。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?