弓道と「呪い」と夢の話
【プロローグ】
私は高校生の頃、
弓道部に所属していました。
この話は、当時から現在までずっと解けずに罹っていた、ある「呪い」にまつわる話である。
それが今日(2023/9/10)、全部ではないにしろ一部「呪い」が解けたのではないか?と思う節があった為、今まで私が溜め込んできたものをここにぶちまけようと思う。
もしかすると同じ「呪い」にかかり、私のように苦しみ続けてきた人がいるかもしれない。
そんな方々に対して、私が直接何かしてあげようとか、そういう話ではない。
が、私の話が何かのきっかけ・気付きになれば、そんな思いで走り書きしてしまった文章になりますが、良かったら目を通していただきたい…。
[弓道についての説明で知識の浅い、拙い表現があると思います。弓道部に所属こそしていたものの、読み勧めて頂ければ分かるかもしれませんが、ある地点から弓道に対する知識を学ぶことを辞めてしまった為、素人並みの知識しかございません。
今現在、この「呪い」の解き方として確立された正しい方法もあるのかもしれませんが、当時の弓道部や先輩方、長年弓道を指導に当たられていた顧問の教員・OBの指導者の方々の様々な力や知恵を借りても私の「それ」は治りませんでした。
長いですが、最後まであたたかい目で読み進めていただけますと幸いです。]
[また、この文章の中で頻繁に「呪い」と言うワードを使用しておりますが、内容としてはホラー・オカルトとは一切関係の無い内容となっている為、そちらを期待されていた方はここで読むのを辞められた方が良いかもしれません。]
【弓道と彼女との出会い】
今から何年前だろうか。15年も前。
当時はごく普通のプリティーな高校1年生。
たくさんある部活動の中から何の部活に入ろうかと、友人と話をしていた。その友人は「オレは弓道部に入るって決めているんだ」と言う。
弓道部。
中々見かけない部活動だなと思い、少し興味を唆られた。それからトントン拍子に話が進み、超軽〜い気持ちで友人と共に弓道部へ入部することとなる。
中学3年〜高校1年生の部活動入部までの間、
頭髪を切っていなかった。
片目が髪で隠れるくらいの私のロン毛が気に食わなかったのか、さっそく弓道部の2年生の先輩に目を付けられることになる。
本当にシメられる寸前だったそうで…。
全て後で知った話になるが、
「私がとある武道を習っていたこと」、「全くのデタラメだが何故か私が1年生の番長だと噂されていたこと」があってか、その2年生の先輩はヘコヘコと態度を改めていった。
何故私のような超絶プリティーな男子高校生が番長に!?と、そこは未だに良くわからない。
余談はさておき話を戻す。
弓道部に入部したとて、もちろん急に弓を引ける訳では無い。何事にも順序というものがある。
一年生の頃は弓道の手順や型、射声(しゃごえ)の練習、的作りから入り、本物の弓を引く前にゴムチューブで弓を引くイメージトレーニング。
2年生になり型が整ってきたら、矢をつがえずに弓だけを引く練習。
その後に的ではなく巻き藁(藁の束)に向かい矢を射る練習を経て、ようやく弓道場の的に向かって矢を射ることになる。
不器用な私は例外なく、この度も成長スピードが遅く、巻き藁の前に立つまで私を含め残り2人くらいのペースであった。
殆どが既に巻き藁に向かい矢を射る練習へと移っていた。まあ、今思い返せば不器用が際立つ、いつも通りの私のペースだなと思う。
なんやかんやで一年生の時間は、
あっという間に過ぎて行く。
あ、大事な話を忘れていた。
この弓道部、男女共同での部活となる。
吹奏楽部以外には中々男女共同での部活動は無いように思える。(文化部系統は男女共同が多いのかもしれない。ちなみに弓道部は運動部ではなく、文化部に属するそうだ。)
お年頃の男女が一緒の空間に居る。
何も起きないハズが無く…。
恥ずかしながら、私は同じ弓道部にいる同級生の女の子が気になってしょうがない毎日を送っていた。恋をしていたんですね。
同じ弓道部には所属してはいたものの、その子と会話する機会は一度も無く、日に日に気持ちだけを募らせていました。完全に一方的な片想いのカタチでした。
私は小学生の頃から筋金入りのド陰キャであり、異性との話し方・接し方が全く分からずにいた。(ド陰キャ=ド級の陰気なキャラクター)
この「呪い」の話も陰キャ性格に拍車をかけることになるのだが、私はこれからどん底に落ちることになるのだ…。
とはいえ、ド陰キャの私はそんなこと想像すらしていなかったし、この恋はやがて成就するものだと何故かそう思っていた。若気の至りと言うものだろうか。
そんな浮かれた気分でやって来た高校2年生の4月頃。とんでもない事が発生した。
なんと、意中の女の子が弓道部を辞めたのだった。
私よりも弓道のスジが良く、何より楽しそうにしていた女子メンバーからの急な退部だった為、驚きを隠せなかった。何故辞めたちゃったのか?と。
当然、ド陰キャで会話もしたことのない奴が、退部の理由を聞けるハズも無かった…。
ただただ、どうしてしまったのだろかと謎が謎を呼ぶ状態であった。
時折、部活動の時間に一人寂しそうに下校する意中の女の子を見かけるのがとても辛かった。
あんなに可憐な笑顔を弓道場で見せていたのに…。
【私に罹けられた「呪い」】
その間も弓道部を休まず通い、日々練習を繰り返していた。
2年生の5月の頃には、確か的の前に立ち、矢を放つところまで行っていたと思う。
今現在は分からないが、
私が弓道部員の頃は、この高校の弓道場が全国で1、2を争う広さを持っていたこともあり、大きな大会の開催地にも頻繁に選ばれていた。この高校の弓道部はインターハイ出場の経験も結構あった。(身バレ防止の為、県や高校の名前は伏せる)
そんな由緒ある広い弓道場で真っ暗になるまで練習していたっけか。
しかし。詳細な時期こそ覚えていないが、何の前触れも無しに私は大変な「呪い」に罹ってしまう…。
分かりづらいかもしれませんが、
図を用いて説明する。
通常、矢をつがえ弓を引く際に、頭上に弓を上げてから、矢を自身の唇の位置まで弓を引き、唇の高さで止める。
しっかりと狙いを定めるのに3〜4秒くらい弓を引いた状態をキープする。その後に矢を放つのだが、…それが出来ない。出来なくなっている。
矢を唇まで引ききる前に、私の意思とは無関係に矢を途中で手放してしまったのだ。
当然、弓を引ききっていない中途半端な状態で矢を放つのだから、ちゃんと飛ばないし、単純に危ない。
あられもない方向に飛んでゆく私の矢。
神聖で荘厳な弓道場が、形容し難い変な空気に包まれる。
高校2年生の春のそれ以降、私は一度もその「呪い」を解くことが出来ずに部活動を終えることとなる。
これは弓道特有の病気のようなもので、
「早気(はやけ)」と呼ぶ。(私の弓道場ではそう呼ばれていた。)
この早気は非常に厄介なもので、プロ中のプロも罹ることもあるし、私のような駆け出しの人でもなる可能性がある。
何の前触れも無く発症してしまう。
この早気の恐ろしいところは、
いつ治るのか分からない点と、
人によって症状の程度が様々な点、
自身の意思とは関係無く矢を放つ点、
確立された治療法が無い点である。
一度罹る人もいれば、何度も罹る人もいる。罹らない人すらいる。翌日治る人もいれば、結果的に私のように高校時の弓道部人生上では一度も治らなかった人もいる。もちろん、早気に効く「都合のよいワクチン」など無い。
この早気がある為に、弓道にはオリンピックが無いと言う話も聞いたことがある。
(アーチェリーには早気がないのだろうか? あったらすみません。)
また、
弓を引ききれていない状態、つまり早い段階で矢を放つ「早気」に対して、逆に引ききった弓を放てない「呪い」も存在はする。
これについては、
当時の同級生では該当する人はいなかった点、
私が単純にその「呪い」の名前をド忘れしてしまった点、
私の視点からすれば、その「呪い」は私が罹っている「呪い」よりは弓道を続けれるかどうかを考えた場合、圧倒的に軽度な症状に見えた為、ここでは割愛させていただく。
もう少し私の「早気」の症状について説明させていただく。
この「早気」という症状は、人によって程度が様々と述べたと思う。
通常の弓を引く動作を再度説明すると
矢をつがえ弓を引く際に、
弓を真っ直ぐ頭上に上げ、
弓を持つ左手を的の方向へ向けて、
矢を自身の唇の位置まで弓を引いて、唇の位置で止める。
しっかりと狙いを定めるのに3〜4秒くらい、唇の位置まで弓を引いた状態で、狙いを定める為にキープして、放つ。
同じ「呪い」に罹った人で、唇まで弓を引けるが、唇に到達した瞬間に、自身の意思とは関係無く弓を放ってしまう症状レベルの弓道部員も周りにいた。(この方の話も終盤に少し話をします。)
他には、弓を引き始めてすぐに弓を放ってしまう重度の症状を患う先輩もいた。
私の「呪い」は後者の重度のレベルだった。
昔のように弓を唇まで引いてゆく前に、自身の意思とは関係無く右手が矢を離してしまうのだ。
おそらく、
私の家族や恋人(いなかったけど…)や友人といった大切な方々が眼の前に立っているとしても、弓を引ききってのキープは無理だっただろう。
私の意図せず放つ矢が人を射抜くビジョンは、簡単に想像出来ていた。
高校生時代には何度もその夢を見ては、飛び起きた。
ビジョンが浮かぶ=現実になる…。
ビジョンが浮かばない=現実にならない。
その様な気がした。
夢の中では、何度も人に矢をぶち込んでしまっていた…。
まずそんな場面は安全管理上有り得ないが、
弓を引いている状態で、前に人が通るようなことがあるとか、大切な人が目の前に立つとして、それでも私は矢を放ってしまうだろう…。
こんなに情けないことって他にあるのか?というレベルですね。
私はすっかり落ち込んでいた。自身の呪われた体に対して、酷く絶望していた。
ちなみに、この「早気」の考えられる原因だが身体的原因と精神的原因が考えられるとされる。
身体的原因は、単純に弓を引く力が無いことがあげられる。
→「弓を力で引く」という表現は正しく無い。正確には「肩を降ろす」と言うようで、腕力で弓を引くのではなく、肩を広げ、肩を降ろす動作が結果的に弓を引いてる、と言うような感じらしいです。
または、弓を引くと同時に弓に体を近付けてゆき、引いた弓に体を入れ込むようなイメージ。
分かりやすい表現にしたかったのと知識不足なので勘弁して下さい…
ちなみに、当時の私はおそらく弓道部員の中で一番腕力や握力が強かった。
それでいて、引いてる弓は比較的軽めの11〜12キロの重さ。他の人は13〜15キロの弓を引いていた。
それらを考慮すると、なんちゃってパワー系だった私が軽めの弓を引いていたこともあり、身体的原因は考えづらいと思う。
精神的原因は、文字の通り。
恐怖やトラウマなど何かしらの精神的理由により、弓を引けなくなった状態を指します。
私の場合、弓道に対して恐怖やトラウマがどうのこうのということは無い状態で、「呪い」に罹ってしまった。
その為、原因については全く心当たりは無かった。
トラウマでも恐怖でも何でもないですが、
心当たり?があるとすれば、弓が引けなくなったタイミングで「自身が弓を引ききったビジョンだけが、キレイさっぱり頭から無くなった」のだ。
いくら頭の中で私が弓を引くビジョンを思い描いても、矢を唇まで引くところまでの自身の姿が想像出来ない。
頭の中が真っ白のまま。
その瞬間だけバグが発生して、ロード出来ずに止まるゲームソフトの様な。局地的な健忘症の様な。
頭でビジョンを描こうとするが、途中で弓を引いてる自分の右手が見えなくなる。弓を引くビジョンを考える事が出来ない。
同時に左手の様子や、唇まで引き寄せた矢の様子、弓を引ききった際の情景・視点までも。弓を引ききった瞬間の場面ほど抹消されていた。
要するに、「弓の引き方」が分からない。
いや、分からなくなっている。
だから最後まで引けない。動きを忘れてしまった右手が、いくら放さまいと強く握っていても勝手に離れてゆく。
心当たりがあるとすれば以上。
回りくどい表現もあるかもしれませんが、
私の「呪い」はそういったモノでした…。
何故この様なことになったのか。
私には今でも分かりません。
それからは、
私にとって本当に地獄の連続でした。
【その後の私の世界】
少し話が反れますが、例えば
高校生の時代って、世界が高校までの範囲で、その人の世界が完結してるように思います。
小学生の世界は小学校がその人の世界範囲。
中学生の世界は中学校がその人の世界範囲。
中学生の時にテストでヤバい点数を取ってしまい、両親や先生に怒られたり。部活動や給食が楽しみだったり。怖い先輩に目を付けられぬような日々を過ごしたり。
中学生の頃は、中学校が自身の中の世界であり、それより広い世界(高校など)は殆ど認識出来ないと思ってます。
認識出来たとして、別世界・別次元での事であり、認識したからと言って好きなタイミングで高校生になれるワケでも無い。
入りたい高校や大学、就きたい職業があるとすれば、その人の世界も周りの生徒よりは少し広がった世界を手に入れている、とも言えるかもしれません。が、広げた所で中学生なら中学校の枠内の世界となる。
(説明が下手で申し訳ございません…)
そして私は、
性に多感な時期であり、異性の目が気になる高校生時代にいた。
この狭い高校こそ、当時「呪い」を患った私の世界範囲でした。
そして、この狭い世界で怒濤の地獄の日々を過ごして来ました。
全国で1・2を争う広大さと、長き歴史を持つ弓道場。その名に恥じない、インターハイに行くようになレベルになるまで成長する他の同級生の弓道部員。
一方でレギュラーメンバーだとかチームに入る入れないのレベルの話ではなく、「お前は早く【ソレ】をどうにかしろ」状態である私。
この弓道場に来る度に、自身と他の弓道部員達との埋めることの出来ない格差に、毎日劣等感を感じていました。
弓道部顧問の教員は弓道の上手い部員にしか会話をしないような人だったので、当然私のことなど「居ない人間」の様に扱われる。
他の弓道部員には顧問自ら近付き談笑する場面が多々ありました。私の方には近付く事すら、目が合う事すら一度もありませんでした。
「触らぬ神に祟りなし」、「臭いモノに蓋をする」と言いますか、腫れ物扱いだったのでしょうね。
何と言うか。当時の顧問の先生方は、私を生徒として、弓道部員として見ていなかった。
OBで指導に来ていたオジサン指導者は、
くる日もくる日も「呪い」を解こうともがき苦しみながら練習をする私に対して、
「オイ、まだ治らんのか?(笑)」と女子弓道部員と肩を組みながら笑って見ていた。
アンタのあの満面の笑み、今でも覚えてるよ。
私はどちらの指導者からも完全に見放されていた。
この頃から、弓道の知識面・テクニックについての部分から自ら遠退いていきました。
見放された点、生徒・弓道部員としての存在を否定されていた点、
治療法が見つからない点、いつこの「呪い」が解けるか兆しが全く見えない点、
進展しない状況に自身の無力さを感じ始めた点を理由に、私自身も治療法以外のその他の弓道の知識なんてもう必要無いと思ったのです。
(もしかすると、その中に何かヒントがあったのかもしれませんが…。)
それくらい、この「呪い」をどうにかして、「普通」だったあの頃に戻りたかった。
そして、
弓道を学ぶことに対して、「あぁ、無意味だなぁ」と色々な方面から感じていきました。
賛否あるかもしれませんが、あの当時の私には少なくとも有意義な時間では無かった。
一番簡単に言うと、楽しくなかった。
意味のあるものと感じる条件が、一つも揃っていませんでした。
生徒として、弓道部員としても見られていない扱いを受け、弓道の事が半ばどうでも良くなった瞬間でした…。
弓道を心から愛するプレイヤーの皆様には申し訳ない…。
弓道をバカにするとか、そういった意味合いではない事ほど、一つご理解していただけると嬉しいです。
新しく入部するかわいい後輩達。その後輩達に指導をしてゆく立場が、私にもやってくる。
後輩達は私達の指導に対して良い返事をして指示を聞いてくれているが、私の「呪い」のことも知っているし、毎日その醜い姿を「見られている」。
「まともに弓道が出来ない身分で、指導の立場に立っていてよいのか?」と、一歩引いた位置にいる私自身が毎日問いかけてきた。
大会となると、私の高校、この弓道場がよく会場に選ばれていた。他所の高校の生徒や先生、保護者の面々が沢山やってくる。
私の「呪い」のことを知っている人は、まだ私の「ソレ」を知っているから良い。
私の中で一番地獄だったのは、この他所から来る人々の「目」でした。
こんな私にも弓を引く順番は回ってきます。
しかし、まともに弓を引くことも出来ず、訳の分からない格好から、訳の分からない位置に矢が飛んで行きます。
この私の「呪い」を知らない人は、それを見てどういう反応を取ったのか想像出来ますか。
弓道場に立つ時は指を指されながら「ハッハッハ」と爆笑され、放った矢を取りに行く時は白い目で見られたり、避けられたり、知らない人から「おぃ!」と言われたり、クスクスと陰で笑われたり。
他所の高校で大会に出向いた時は、泥だらけのサッカーボールを当てられて、黒い袴が泥塗れになったこともあった。
それが同じ高校の弓道部員の前で、後輩の前で。尊厳も精神もズタボロになりました。
私はこれが原因で、不特定多数の人がいる場所、不特定多数の視線が集まる場所が怖くて嫌いです。未だに人の多い場所に行く度に、みんなが私を見て笑ってるように感じてしまいます。
先述したように、弓道部員は大会になると黒い袴を履くのですが(練習中は殆ど袴までは履かない)、袴姿の私を一目見ようと母親が「今度の大会見に行っても良いか?」と何度も聞かれました。
しかし、会場で自分の息子が笑われ者になっているところなど、自分の母親に見せれますか?
だからいつも決まって「来ないでくれ」としか言えなかった。もちろん「呪い」のことすら親には話せませんでした。
一度で良いから、なんとか見せてあげれば良かったのにね…。
私は袴姿で弓を引く姿を見てもらいたかった、本当は…。
この狭い高校という名の世界の中で、生きる意味が分からない状態が続きました。
何故こんなになってまで弓道を辞めないのか。
早く辞めれば絶対に楽になるのに。
自殺すら何度も考えたのに。何故か。
それは、
部活動を辞めていった意中の女の子という存在がいたからです。たったそれだけの理由だった。
【Hさんと陰キャの行く方】
その女の子を、Hさんとしましょう。
Hさんが退部してからどのくらい経っただろうか。
退部理由が聞きたかったのと、Hさんと仲良くなりたくてモジモジしていた時に、ある男友達からHさんとメール出来るように手筈を取ってもらいました。
(この部分が曖昧で、確か友人に力になってもらった。ド陰キャが女の子にメアド交換出来るわけない。ガチのド陰キャを舐めるな。)
当時はまだLINEも無ければ、スマートフォンも無い時代だっけか…。ガラケー全盛期でした。
Hさんに「何故弓道部を退部したのか」をメールで訪ねると、
「大学進学するか、弓道を続けるかどちらか選べ」と父親に問い質されて、大学進学を選んだと。
その為に断腸の思いで部活を辞めてしまったと。
本当は弓道部を続けたかったと…、言う話しをメールで聞きました。
思わぬ回答に私はある決心をしました。
「やりたくても出来ない人が目の前にいるのだから、私が頑張らなくてどうするのか」
「絶対に自分から辞めずに部活を続けろ」と勝手に決心をしたのであった。
Hさんから何かを頼まれたワケではない。
Hさんの為に続けるワケでもない。
ただ、こんな現状も実際に存在したワケで。
続けられない理由が無いのに、自分からリタイアするのはどんな理由にせよ非常に格好悪いように思えたのだ。
この決心があった為、ズタボロになりながらもHさんの思いと、決心を胸に自身の「呪い」に耐え抜きました。
どれだけ笑われようが、弓道部を辞めてしまう事の方が格好悪く思えた。好きな女の子の前でさ、そんな姿見せらんねぇですよ。
(まあ、格好悪い姿なんだけどね…)
あ、余談ですが
しばらくしてから、気持ちが抑えられず
私はHさんにメールで告白しました。
「Hさんの事が好きです、付き合って下さい」と。
結果は、ダメでした。
『今は勉強に集中したいのだ』、と言う理由した。
ダメではありましたが、メールだけはそれ以降も何度かしてもらえました。
(先に述べておきます。
このように『今は◯◯に集中したい』と言う理由。例え◯◯が終わったとしても答えが「イエス」になることはありません。=集中したいことが真の理由ではございません。
別の理由でダメな理由があったのでしょうね。)
高校の廊下などでHさんと直接会ってしまった時、
メールでやり取りが出来る仲だったのに、異性との接し方が全く分からなかったド陰キャな私は「こ、こんにちは…」と頭をペコリと下げるしか出来ませんでした。
たぶん、本当に「こんにちは」の挨拶しかリアルでは会話出来てませんね。
今思うと、高校生活かわいそう過ぎて自分にビンタしたくなります(笑)
恥ずかしさで、まともに目も合わせることが出来なかった。いや、グラサンかけなきゃ見えないくらいに、当時のHさんの存在は眩し過ぎたのかもしれない。
本当にHさん、邪魔ばかりしてしまい申し訳ございませんでした。
当時のHさんは勉学に非常に優秀で『外交官になりたい』と言う話しをしてくれていたが、今は何をされているんでしょうね…。
さて、
恋は玉砕し、弓道の「呪い」はそのまま現在のまま、ド陰キャで、おまけに体力も学力も無い私…。
その後も部活動を続け、
自身の「呪い」に抗い続けた。
他の弓道部員がたまに一緒に特訓をしてくれた。
こんな私に対して「気合があれば出来る、お前なら出来る」と何度も応援してくれた。
それに応えることも出来ない自身に「私には気合も無いのか」と、更に失望した。
ある時は本当に今すぐにでも投げ出してしまいたいと、ズル休みもすることがあった。
部活動の後にある少しの猶予、居残り練習にも参加しなくなりました。
「早くその場から去りたい」一心で仕方無かった。一人になりたかった。
弓道を続ける意味が分からなくなる日もあった。
自身の存在意義が見出だせない時もあった。
「呪い」により、まともに弓道が出来ない自身に何の意味があるのかと、一人で泣いていた事も一度や二度でも無かった。
この様な負の積み重ねで、
ド陰キャの私は更に自分自身に自信が持てなくなりました。
それは少なからず、部活動以外の高校生活にも影響してきました。ド陰キャが進化して、ドド陰キャとなりました。
ドド陰キャへと進化した私は、物事に対しての反応が薄くなってゆきました。
そのお陰か、「呪い」に抗う中で今日も成果が無かったとかあったとか、物事に一喜一憂することが少なくなってきた。感情が無くなっていきました。
2年生の終わりの頃には、「呪い」が解けるとか9割諦めていました。
【県総体と部活動生活の終幕】
もうすぐ、誰からも期待されることのない県総体の時期になる。
大会後はインターハイに行けなければ、大学受験勉強の為に須らく3年生は引退となる。
他の弓道部員はインターハイの切符がかかった大事な大会になるだろうが、私は違う。
例え県総体前に「呪い」が解けたとしても、もう弓道部の引退まで時間が殆ど無い。
そんな短い期間で簡単に治るのであれば、私が今まで味わった地獄のような日々は一体何だったのか。
どうか早く終わってくれ…。
私を解放してくれ…。
そう思って県総体まで過ごしていた。
県総体当日。
今回の県総体は、隣の市の高校が開催地となった。
話すまでも無いが、
私は団体戦メンバーに加わることなど出来ず、個人戦枠のみの出場となった。そんなことは今さら驚きもなければ、ショックも何も感じ無かった。私自身に対して何の期待もしていなかったのだから。
あの高校2年生の「呪い」に罹った頃から、時間は私だけを残して、強く逞しくなった他の同級生と共に遥か遠くまで先に行ってしまった。
生徒とも弓道部員とも見られていない。
1人残された私としては、団体戦メンバーのことなど最早どうでも良かった。勝手に進めてくれや、私には関係の無い事だよ。
団体戦メンバーになるために、野心を剥き出しで顧問の前で猛アピールする同級生も居た。
しかし、一方で心身的に不安定な部員もいた。それは弓道部の長を務める弓道部部長であった。
部長は部員の同級生の中から1名選出される。
私の事でもないのであまり大きな声では言えないが、実はこの部長も私同様に「呪い」と戦いながら弓道を続けてきたのだ。
とはいえ、正直私の「呪い」の症状ほど酷いことはなく、矢を唇の位置まで引いてこれる。引けるが唇の位置に矢が到達した瞬間に自身の意思とは関係無く矢を放ってしまう状態であった。
私の意見を言わせていただけるのであれば、「そこまで出来る」のであれば何も悩まなくても良いレベルである。
弓を引けているのだから…、弓道としての一応の格好になる。
そこまで出来るように戻れるのであれば、今すぐにでも部長の症状の状態に戻して欲しい、私と変わって欲しいレベルであった。
ただ、人の悩みは人それぞれであり、程度や心境については他人の指矩で到底測れるものではない。私がとやかく言う筋合いは無い。
無いが、彼の悩みですら羨ましく思ってしまうほど私の「呪い」は情けないものでした…。
部長はその「呪い」が決め手となったのかは分からないが、団体戦メンバー枠から漏れてしまったのだ。
部長と言う肩書き・役職持ちの立場でありながら、最後になるかもしれない大会のレギュラー入りが出来なかった状況というのは、彼にしか分からない辛さがあるだろう。
私如きが理解してあげれるハズもない。
人の気持ちは察する努力は可能だが、断言するが完全に理解をしてあげることは、不可能だ。相手の心を完全に読み取ることが出来る超能力者出無い限りは…。
簡単に「その気持ちわかるー!」と発言する人がいらっしゃる。私はそれがおそらく嘘っぱちであろうと感じてしまうし、軽率な発言過ぎて気分が悪くなる。その軽率な発言には責任も何もないのだから。口は災いの元である。
何度でも断言するが、人の心の読める超能力者で無い限り、完全に人の心を理解する事は出来ない。おそらく、大半の人々は超能力者ではないでしょう。
であるのならば、「気持ち分かるよー」と言った「その発言」は嘘っぱち。
これを否定する方は、相手の心の中と喋った嘘も隠している本心も、完全に全てを見ることが出来る超能力者、と言う事でよろしいですね。
そして、完全なる理解が出来ぬ「相手の気持ちを考える行為」は、とても尊く美しいものである。
さて、余談を挟んでしまって申し訳ない。
とにかく、部長もまた私と同じように個人戦枠のみの出場となったのだ…。
にも関わらず、
部長は無表情な私に対して「どやちー(私)、頑張ろうな!」と笑顔で肩を叩いてくれた。
本当はそれどころではないのであろうが、人に気を使える出来た部長だった。
部長、その節はありがとう。
個人戦で私と部長の出番がやって来た。
この会場にも私の母親の姿はない。遂に一度も袴姿で弓を引くところを見せることは出来なかったなぁ、と思いつつ今の私の出来る精一杯の事をした。
私の放った矢は的に向かって飛んでくれたのだろうか。私の弓道人生に意味はあったのか。
2年と数ヶ月に及んだ弓道人生を思い返しながら、最後の弓を引き終えた。
県総体なので他校からの生徒・顧問・保護者の大勢の色々な視線を浴びた。
既にどうでもよくなっていた私は、それらを歯牙にもかけること無く、穴の開いていない的に別れを告げ退場した。
弓道場から出た際に部長が私を待っていた。
部長の成績は覚えてはいないが、予選通過していなかったところを考えると、とても良いものでは無かったハズだ。
そんな部長が私に詰め寄り、肩を組んできて涙を流しながら「どやちー(私)、オレ達の弓道が、終わった…な」と語りかける。
無表情で「そうだね」としか、私は答えることが出来なかった…。私には既に一緒に泣いてあげれるほどの涙も余裕も残っていませんでした。
今でも当時の情景はよく覚えているよ。
震えた唇で労いの言葉をかけてくれたのに、一緒に泣いてあげれなくて、申し訳ない…。
私にとっては、この日が集大成でも感動のフィナーレでも何でもなかったんだ。
熱血スポーツ漫画のような熱い展開も無ければ、奇跡が起こるようなご都合展開も何も、私には用意されてはいなかった。
これが現実。とても残酷で容赦無い。
これを持って、私と「呪い」との戦いが終わった。
エラく重たい何かが体から離れてゆくような感覚がした。うん、そのまま体が浮いてどこかに飛んで行きそうでした(笑)
結果的に弓道現役時代に「呪い」自体は解くことが出来なかった。自身の「呪い」との戦いに「完全敗北」した形になる。私は敗北者(ルーザー)だ。
「今までずっと格好悪い姿を晒して来たなぁ。私は何も出来なかったなぁ。」と思いながら、県総体を過ごし、2年と数ヶ月の弓道人生を終えた。
ちなみにその年、私の高校はインターハイには出場出来ずに終わった。
【ラウンド2】
さて、ここで
『今は勉強に集中したいのだ』のその後がどうなったのか。
さあ、その「先に述べておきます。」の伏線回収だ!
その後、Hさんにも県総体を終えたことや「呪い」が解けなかったことなどをメールした。 何を思ったのか、その後に私はHさんに再度告白をして、同じ理由でまたも玉砕してしまうのであった。
そして、その時に「部活動を辞めて寂しそうに一人下校するHさんの姿を見ていて自身の気持ちを抑えれなかった」旨を話すと、思いもよらぬ回答が帰ってきた。
『え? 私別に寂しくも何ともないよ?』
「あっ、はい、そうですか」と、Hさんとのメールを終えた。それ以降メールをすることを辞めた…
後日談として、ハタチになったくらいに弓道部の同級生と私を笑っていたOB指導者とで焼肉を食べるということで、同窓会のようなものを開催した。
私は最後の方に到着してしまい、入り口に急いで行こうとしたら、なんとHさんも一緒のタイミングで遅れて到着した。
(Hさんも参加することは知らなかった)
Hさんに「こ、こんにちは…、あの時はすみませんでした…」と謝り、『気にしないでいいよ』と言ってくれた。それがHさんと交わした最後の会話であった。
今思い返せば、何故Hさんを好きになったのか良く分からない。←オイ!?
ハタチを向えた私には、この時何とも思わなかった。時として、人は残酷ですね(苦笑)
あの時の衝撃メールですっかりと切り替われた。いや、100年の恋も冷めたのだろう。
私自身を含めて、人の心は「春夏秋冬」。
止まること無く移り行く季節の流れのように、人の心も止まること無く移り行くものです。
「人(私自身)の気持ちを理解する」ことは、かくも難しいことですね。
【9月に見た夢】
さて、現在の話に戻ります。
時は2023/9/10。普段の睡眠時には全く夢を見ないのだが、久しぶりに夢を見た。
高校の弓道場と、的の前に立つ袴姿の自分。
弓をゆっくり引いて、いつも右手を離してしまいそうな高さまで引いて膠着状態となる。
そこからゆっくりゆっくりと左手を的に向けて押し出す。右手は弓の筈を離さずに降ろしてゆく。膠着状態の位置から何十秒もかけて、矢が唇の位置まで持って来た!
しばらく狙いを定めて、矢を放った。
放った矢は真っ直ぐに飛び、的に中る。
「え!?やった、出来た!」と大喜びで叫んだところで夢から冷めた。
今まで、何度も弓を引く夢を見て来た。
決まって夢の中までも「呪い」に囚われており、まともに弓を引くことが出来ずにいた。
しかし、15年くらい過ぎた今、夢の中でようやく弓を引けたのだ。無くなっていたパズルのピースが、カチッと音を立てて埋まったような気分になった。
ポッカリと抜けていた「弓を唇まで引く動作のビジョン」の欠片が埋まったような気がした。
夢や妄想の中だからと侮るかもしれないが、夢の中でさえ「呪い」で引けなかったものが、初めて引けるようになったのだ。
今、弓を引くともしかすれば弓を引けるかもしれない。「呪い」が解けたのかもしれない!
そう感じた、それだけ。
「え?再び弓道やらないの?」って思うかもしれませんが、私はもうやらないよ。やる気は一切無いよ。
そこらへんのラーメンと同じ。
ラーメンの一番美味しい「食べ頃」はいつか。当然、「出来立て」である。食べ頃を15年も過ぎたラーメンなど、とても食べることは出来ないでしょう。
(私はこれを勝手に「ラーメン理論」と名付けている☆)
ずーっと「呪い」に囚われ続けてきていた私は、きっと高校生の頃の情けない私自身を、部分的に受け入れた・許したのだろう。
とても曖昧な表現で申し訳ないが、そんな感じ。
と考えると、「呪い」の原因は分からないが、私の中の何かしらが原因なんだよなって、改めて思った。そりゃそうだ(笑)
ある日、弓が引けなくなる。
引けないこと、周りからの評価・扱い、先輩として後輩指導をしてよいのか、母親に袴姿で弓を引く姿を見せられないこと、「呪い」に抗い続けたが進展の無い毎日。
その他諸々、全て私自身が悪いものだと、情けない自身を毎日毎日責め続けていました。
それも塵が積もれば…。「呪い」に罹り何も出来ない私自身を、許せるはずもなかった。
負のスパイラルから抜け出せなかった。
現在も私は自身に対しての、考え方は変わらない。自覚は無いが、無意識下でこれらをひっくるめて「格好悪くてもいいじゃん」と私自身を認める事が出来た、ということなのだろうか。およそ15年もの歳月をかけて…。
当時の部活動の顧問の先生やOBの方が、私を生徒として、弓道部員として扱いをしてくれてはいなかった。私を認めていなかったのだろう。
一方で、私自身も私のことを認めていなかったのだろう。否定し続けていたのだろう。
当時は考えもしなかったが、
今でこそ、やっとそこに気が付けた。
弓道は素晴らしいものかもしれない。
私が片足を突っ込むレベルでしか弓道の世界に入れなかったこともあり、その真髄まで体感出来ていない。
その為、真髄まで突き詰めて進むともっと読者の方々に弓道の素晴らしさや、単純に上達する為のテクニックやノウハウを広めれるのだと思います。
が、私はテクニックやノウハウを教えるつもりでもなければ、「呪い」の解き方について纏めたり、「呪い」の罹った者同士で慰め合いをしたいとも思ってません。
あの「呪い」に関して、完全なる治し方・解き方は今でも分かりません。分かれば私はあんな地獄の様な日々を過ごしてません。
今回は、私の中では「呪い」が解けたのかもしれないという、「感覚」があったと言う話になります。
それを実際に確かめたワケでもありません。
私の場合は、纏めると
矢を唇まで引いてくる部分のビジョンが見えなくなった。
その部分だけパックリと抜き取られ想像出来なくなり、
その為、体が自分の意思とは関係無い動きをしてしまった。
抜き取られた部分の動きをすることが出来なくなった、というコト。
これが同じ「呪い」を患った方の全員に当てはまるとは思いません。違う理由や症状で同じ「呪い」に罹ってしまうこともあると思います。
もし同じ「呪い」を患い、
困っている方が目を通していただけたのなら、私から一言。
治った治らなかったの結果は、
それぞれあるかと思います。
あなたが遭遇した結果に限らず、
「自分自身を褒めて」あげて下さい。
「本当に良くやった」
「自分なりに自分しか出来ないことを、やってきたじゃないか」
「あの時は辛かったけど、頑張ったね」
「大丈夫、何も恥じることは無い」
「立派だったよ」と。
これは私から読者へ向けての褒め言葉ではありません。あくまで褒めるのは自分自身。
大人になれば大人になるほど、人から褒めてもらう機会は少なくなります。ので、頑張っている自分を褒めてあげて下さい。自分自身に手を差し伸べてあげて下さい。
私はずっとこれが出来ずにいました。
私の様にネガティブな性格の人からすれば、非常に難しいことかもしれません。
長い時間が必要かもしれませんが、それで構いませんので、今までの自分自身を受け止めてあげて下さい。
私の思い出話が「呪い」を解く為のヒントの片鱗になったのであれば幸いです。
そして、
この文章を書いている途中に私の「呪い」の正体が何となく分かってきました。
次の章では、それについて書いてます。
よろしければ、もう少しお付き合い下さい。
読者によっては、つまらない内容だったかもしれません。大した話でなく申し訳ございません。
【人の持つ力】
弓道を通して。そして、
この文章を書く過程で改めて思ったことがある。
人の持つ「力」というものは、良い意味でも悪い意味でも、本当に強い力だなと改めて思った。
その「力」とは、人の「思い込みの力」です。
私はまともに弓が引けなくなってから、ほぼ毎日部活動で「呪い」に抗ってました。
この「呪い」を何とかしようと思う一方で、「本当にどうにか出来るのか」、「解くことが出来るのか」と不安でした。
その不安は、やがて「治らないのでは…?」と言う漠然としたものに変わっていきました。
当時の私を擁護するワケではありませんが
くる日もくる日も私なりに頑張ってはいるが、良くなる兆しも見えない。
「高校生」という時間、弓道部に所属している時期には限度がある。
違う学校の方々からは白い目で見られ、顧問やOBには居ない者として扱われる。
誰からも期待などされてもいないし、私が「呪い」に苦しむ姿を見て笑う人もいる。
母親には袴姿で弓を引く姿を見せることも出来ない。
これらひっくるめて全てが、
「私はダメな奴だ」、「私には無理だ」と
思い込んでしまう原因となっていた。
転じて「私には弓が引けない」と思い込んでしまっていた。
おそらく、セルフ自己催眠状態に近い。
この状態に陥っていることに、当時の高校生の私は薄々気が付いてはいた。これがダメなことも何となく感じていた。
しかし、この状態から私自身を救い出すことも出来なかった。誰よりもダメな自身を許せなかった。
何度も弓を引く練習をしたが、何度もダメだった経験と、上記のような環境と現実が、私自身をダメな人間だと思い込みによる自己催眠状態へ陥れていったのだ。
一度このように強く思い込んでしまっては、それを払拭出来なければ、脱け出すことは不可能である。
この「思い込みの力」がポジティブなベクトルで力が作用するのであれば、非常に心強いものであるだろう。
私の場合の様に、ネガティブなベクトルで力が作用してしまえば、地獄を味わうことになる。そのネガティブな力を否定出来るポジティブな力が無い限りは…。
ポジティブかネガティブかはともかく。
この「思い込みの力」は非常に強力で、おそらくみんなが本来持っている力なのだろう。
無力な私でさえも、これを読んでくださっているそこのあなたも。
自身が願ったことが叶う・現実になるという「引き寄せの法則」というものが存在するようですが、本当に存在するとして、
その法則の正体の片鱗が、「思い込みの力」なのかもしれませんね。
「私には弓が引けない」と強く思い込んでしまった為に、それが現実になり、そのような運命を自ら引き寄せた。そういう解釈が出来るかもしれない。
つまり、私の「呪い」の正体は、私自身の「思い込みの力」によるものだったのかもしれない。
であるのならば尚の事、
自分自身に手を差し伸べる必要がある。
ネガティブなベクトルへ向いている自身を、ポジティブなベクトルへ向けれるように。
ポジティブな周波数には、ポジティブな周波数が寄って来る。逆も然り。
分かっていても、中々難しいものですね。
ここまで推察をしていた高校生の私は、人の持つ力の強さや、恐ろしさを感じておりました。今まで、この文章の様に言語化したことは無かったですが。
逆を言ってしまうと、
強い「思い込み」さえ出来れば、何でも出来る。運命も引き寄せる・変えることが出来ると言う事。
はい、やめましょう(笑)
急に胡散臭くなってきましたね。
あくまで私の経験則からの話であり、そういう意味で話しているワケではないのですが…。
ネガティブなベクトルでの話ではありましたが、私にもそういった力があったのかもしれません。現に、自身の「思い込みの力」によって自身を苦しめていたのだから。
この力は、自身に絡みつく鎖や足枷になる場合もあれば、最大の武器にもなり得た可能性もあったのだろう。
また、今は「人の思い込みによる力」の話を
してきましたが、これは人だけが持つ力でもないのかもしれません。
例えば、虫の中には重さ的に羽を羽ばたかせても物理的に飛ばないのでは、と言うような種がいる話を聞いたことがあります。クマバチなどがそうでしょうか。
羽の構造にも秘密が…。
と言う話も聞きますが、
人ではない彼らも「思い込みの力」を使い、空を飛んでいる、のかもしれません。
「引き寄せの法則」、「クマバチ」についての知識は全くございませんので、ここまでにさせていただきます。
【私の役所】
更に更に。
ここで、ひとつ冷静になってみる。
(※少々独りよがりな考察みたいになってますので、スルーしていただいて構いません。スルー推奨!)
私のこの弓道人生には、
どの様な意味合い・位置付けがあったのか。
意味合いとか、良い悪いとか。プラスに考えるもマイナスに考えるも、「本人次第だよ」と簡単な言葉で片付けて欲しくはない。
何と言うか、その人その人で「人生」と言う名前のストーリーがあるワケで。
その中でも、私の地獄のようなこのストーリーは、何の為にあったのか。何の為にここまで苦しんだのか。「本人次第」の軽い一言では済ませない。
私自身の成長の為?
他の人が高みに行く為の踏み台?
経験値稼ぎの雑魚キャラ要員?
色々考えましたが、
カッコ付けて言えば「この時の為」のストーリーかもしれません。
私の長ったらしい文章が、他の誰かの為になるのかもしれない。
この話が他の人の「呪い」を解く為のヒントになるのかもしれない。
たった1人でも、助けることが出来るかもしれない。
それをここ「note」で、私なりのやり方・伝え方で発信する為に…、あの地獄の様な日々はあったのかもしれん…。
他の章の中で
《テクニックやノウハウを教えるつもりでもなければ、「呪い」の解き方について纏めたり、「呪い」の罹った者同士で慰め合いをしたいとも思ってません。》
↑と綴りましたが、私のこの情けないストーリーに意味合い・位置付けがあるとすれば、上記の様な熱い思い(??)を届ける為に。地獄の日々を経験する定めだったのかもしれん。
仮にそうだとしたら、私からすりゃ本当に笑えんジョークです。
見返りと言うか、ここまで辛い思いをしてまで得るものが薄過ぎる気がする……。と言うか、無い。まるで私にメリット無いやん(笑)
だからちょっとくらいカッコつけさせてもらいます!(笑)
別の見方をしてみます。
私の人生ストーリーの中で、あの地獄の日々は必要な場面だった可能性もある。
あんなに地獄過ぎる日々も、私の成長の過程では必要不可欠なものだったのかもしれん。
だとすれば、これほどのものが必要不可欠な私の今後の人生ストーリーって一体何なんだ…。
更にとんでもない出来事でも、この先待っているのだろうか。
それを乗り越える為に、耐えうる為に、感情を薄くして、精神的ダメージを最小限にする為の修行イベントとでも?
…私は、いつから妄想家になってしまったのだろうか。
私はネガティブ思考な人間だが、そればかりだと更なるネガティブを引き寄せてしまう事になる。
「ネガティブ」な私を題材にしてるし、話のついでに述べておく。
ネガティブはメリットでもある。
今の私は自身のネガティブな性格のメリットに気付き、それを前向きに捉えて「能力」として利用している。
例え話ばかりで申し訳ないが、
「会社で仕事の効率を良くする為に、新しい機械を導入する」とする。
導入するメリットとして考えられることは、「仕事の効率が良くなる」部分である。
まあ、詳細な設定こそ話しをしていないが、「材料が少なく済む」とか、「人の手が減り、他の作業が出来る」とか、「人の手から機械の手に変わることで、ヒューマンエラーが減る」、「力仕事が減る」など、あるとしよう。
長所と短所は表裏一体。
メリットを導入することで、同時にデメリットを導入していることになる。
それぞれの機械の性能や会社、働き方など様々なので全てをかい摘んで説明しないが、
「人の手が機械の手に変わる」なら、
逆を言えば「人の手が介在しない」と言う点がデメリットであろう。
人が見れば回避出来ていたものを、機械の目では止まらずに作業が流れてしまう、とか。
機会費用で考えると、
機械が1種類しか選択出来ないとして
「Aの機械を導入してA'の作業が可能になった」ことがメリットとすれば、
「Bの機械を導入してB'の作業が可能になる」選択肢を選べないことがデメリット、
「BやCなどの機械導入」の選択肢が選べないこともデメリットになる、などね。
1種類しか選択出来ない場合は、選択肢の数または選択肢の数以上に、他の選択肢を破棄する必要があるデメリットがある。
まあ、色々考えられると思います。
ネガティブな性格だからこそ、物事の表裏・メリットとデメリットを考える力、見抜く力がある。リスクマネージメントが出来る。
という部分がネガティブな性格のメリットであり「能力」だと考える。
私は弓道部に入る前からネガティブ寄りな性格の子供だった。
あの地獄の日々により、その下向きな性格が更に加速する。
私は自身のネガティブな性格が嫌いだった。
物事をポジティブに考えることの出来ない、この性格が嫌いだった。
しかし、時が経ち
自身のネガティブさすら許せることが出来たのだと思う。
ネガティブな性格に対する考え方が180°変わり、自身の弱点が「強み」へと変わった。
私の文章をここまで読んで下さった方の中にも、今の自分自身が嫌いな人がいらっしゃるかもしれません。
私と同じくネガティブ寄りな性格の方がいらっしゃるかもしれません。
ネガティブな性格は、
「強み」であり「能力」です。
私とは真逆なポジティブな方から鼻で笑われても構いません。
ポジティブとネガティブも表裏一体。
メリットとデメリットをそれぞれ含めている。
この様に、ネガティブに対する考え方が180°変わったことが、今までの私自身を許せた理由かもしれません。
ここに至るまで、弓道を辞めてから10年近くかかりました。
あの弓を引くことが出来た夢も、ここに至れたから見ることが出来たのかもしれん。
そして、私の様にネガティブな性格の方に
この様な考え方・視点を伝える為に、地獄の様な日々が私に用意されていたのかもしれません。
世間ではひたすらに「ネガティブへのネガティブキャンペーン」が行われてますよね。
「ポジティブになれ!」と。
どちらが良いとか悪いとか、言ってる時点で間違いであることに気が付ける人は、どのくらいいらっしゃるのでしょうね。
私の様にネガティブな性格に悩みをお持ちの方のご参考になれば…。
【最後に】
最後に。
ここまで読んでくれた方々へ。
読み進めて頂いた方の中には、
「この人、弓道から何も学んでないやん」と思う方がいらっしゃるかもしれません。
仰る通りです…。
本当にそうなんですよね(苦笑)
本当に恥ずかしいところです。
が、実はそんな私にも弓道で一つ学んで、
人生で利用しているコトがあります。弓道でない場面でもめちゃくちゃ役立つ「とっておき!」です。
ついでにそれについて触れていきます。
弓道には「失(しつ)」と言うものがあります。
↑この時点で弓道の知識として間違っていればすみません…
「失(しつ)」とは何か、説明致します。
例えば、弓道と聞いて何を想像しますか?
多くの方は、弓で矢を放つ場面を想像するのではないでしょうか?
その弓を引く動作や、的前に立つ動作、もっと言えば、弓道場に入る動作など、決まった型のような動作の連続をやっています。
弓を引く動作一つ取っても、「胴作り(どうづくり)」、「弓構え(ゆがまえ)」、「大三(だいさん)」等の細かな動作が一つになり、「弓を引く」という動作となるのです。
弓を引くとして、
弓を左手に、矢を右手に持ち引いてゆきますが、稀に引いていた矢が手元から落ちることがあります。
弓道の作法的に矢を落とす行為自体ご法度で、広く静かな弓道場に落ちた矢が「カランッ」と音を鳴らすと、やってしまったねーと言う空気になります。
この場合、落とした矢を正しく拾う為の動作・作法が存在し、私の高校ではそれを「失(しつ)」と呼んでました。
競技の弓道は基本的に一度的前に立つ時に、左手に矢を4本持っていて、4本中何本の矢が的に中るかを競うのですが、矢を落とせば当然1本分打ち損じとなります。他が3本中っても4本当てた方には勝てません。
矢を落とした時に正しい動作・作法で矢を拾えば、矢を放ってはいませんが、試合には直接影響しないものの審査員の方々から作法的には「同じくらいの評価を得ることが出来る」、と言うものになる。
この「同じくらいの評価を得ることが出来る」と言う点が、とても人生や仕事に置いて役立つ部分に私は考えます。
仕事の内容には、失敗しても変えの効く内容、そうでは無い内容とあります。
例え仕事で失敗したとしても、その後の対応・フォローをどのようにするかで、その後の評価や失敗した後始末はどのようにも変えられることが出来る、可能性があると言うことです。「ピンチ=チャンス」と言う事です。
もちろん、人や動物など命を預かる仕事や一つ何億円もするものを壊した等、取り返しの付かない・付きにくい内容もあり、どうしようの無い事柄もあるでしょう。
取り返しの付かない場合でも、悪いと思ったなら素直に謝ったり、解決するために代替案を提案したり、何も出来なくても現場に伺ったり、罪を償ったり…。
世間的に間違ったことをしてしまったとか、謝って許される話でない事柄だったとしても、まずは自分の非を認めた上で、陳謝する。そして、可能な範囲で最善の行動する。
この「陳謝する」こと、分かっていても中々難しいんですよね。
失敗しないことが一番望ましいですが、我々は人間です。(おそらく殆ど人間。)
プロだろうが素人だろうが、失敗する可能性は常にあります。
人生や仕事上の「失」に遭遇した時に、自分がどのように動くか。
私は、ここに気付けた事に、一番弓道をやっていて勉強になったと思います。
私自身、仕事で失敗した際にどんな対応や提案が出来るか、すぐに動けるかを、弓道で学んだ「失」を応用して「ピンチ=チャンスに変える」様に考えるようにしております。
私がここで綴ってきたことのなかで、一番役立つ話ではないかと思いますので、よろしければご参考にお願いいたします。
プラスのおまけに、当時弓道で使っていた矢を見せて締め括ろうかと思います。
長い文章でしたが、
ここまでご覧いただいて
本当にありがとうございます。
初めての文章で、尚且つネガティブな内容で、中々簡潔に纏めることが出来てない部分が多いですが、そこも含めて私の人生ストーリーの一部を楽しんでいただけたのでしたら、書いた甲斐がございます。
弓道を嗜む方々が
どうか私と同じ「呪い」を患わないように。そして、自分自身を褒めることを忘れずに。
それでは。(◔‿◔)
#クリエイターフェス
#10月コレやる宣言
#ネガティブ
#呪い
#ブログ
#弓道
#考察