肉をまる飲みする息子が世界の差別をなくす日がくるのか? #未来のためにできること
「ごほっ!ごほっ!ぐわっ!ぐへぇ―」
顔を真っ赤にして、盛大に肉をのどに詰まらせる。
息子はどうも、肉はのどごしでいくもんだと思っているふしがある。
「ちゃんと噛みなさいって言ってるやろ!!」
鬼の形相で注意する妻。
「あ〜い」と生返事をする息子。
彼は21トリソミー、いわゆるダウン症だ。
「耳が少し低い位置にあります。心臓で血液の逆流もありますね。あと小指の関節がひとつ少ないのと、鼻の骨がないです。ほら、ここの根っこの所です。わかります?まあこれらのことを踏まえると、お腹の赤ちゃんはダウン症で間違いないでしょう」
情報量が多すぎる女医の説明に、頭が真っ白になったあの日からもう10年。
「こんな差別だらけの世界で、この子は生きていけるのだろうか?」と、当時はそんなことをよく考えていた。
人種、宗教、性別、障害者など、なぜ人は差別をするのだろう。
たぶん、それは未知に対する恐怖からくるのではないだろうか。
人は自分と違う他者に対して警戒し、時には排除しようとする本能が備わっている。
そうじゃないと、陽気にマンモスに近づいたら踏み潰される、という案件が多発し、人類なんてとっくに滅亡しているに違いない。
しっかり相手を見定め、他者を区別、差別することにより自らの優位性を確保する。
こうした本能が人間に内在されている限り、差別が根本的になくなることはないだろう。
じゃあ諦めるしかないのだろうか。いやそんなことはない。ヒントは既に書いてある。「未知に対する恐怖」だ。
人は知らない事、わからない事に対して恐怖や不安を抱く。
障害者に対しても同じで、身近に障害者がいなければ、どう接していいかわからないし、ちょっと恐いと思うこともあるだろう。
そうすると、どうしても防衛反応が働き、それが敵対心となり「障害者は社会のお荷物だ!」とヘイト行為に至ったり、反対に距離をとって無関心となってしまう。
ならば未知を既知にしてしまえばいいのではないだろうか。
息子と一緒にどんどん外出し、いろんな人と交流して、「あ、ダウン症ってこんな感じなんだ」と思ってもらえばいいんじゃないか。
それが、この世から差別を減らすことの一助になるんじゃないかと。
“みんなちがって、みんないい”と多くの人が思えるような、いつかそんな世界が来る日を願って。
いま、そっと耳を澄ませてみると、リビングから妻の怒鳴り声が聞こえてくる。
今日も彼は、盛大にのどを詰まらせている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?