【ショートショート】あの花を咲かすのは
河川敷の端にひっそりとたたずむ古木。花も葉もなく、まるで枯れたようなその木の下でうずくまっていた時、声を掛けられた。
僕は途方に暮れていた。大きくなったら可愛くなくなった。ただそんな理由で飼い主に捨てられたのだ。かれこれ一週間、水以外のものを口にしていない。
吠える気力も逃げる体力もなく、のろのろと顔を上げると、お爺さんが僕を見ていた。
「どうした。腹、減ってるのか?」
彼は食べかけのアンパンを差し出した。その匂いに体が勝手に動き出した。一口でそれを平らげた僕の頭を、お爺さんはよしよしと言って撫でまわした。感謝のしるしに千切れんばかりに尻尾を振り回して見せた。
「お前、独りか?なんなら、うち来るか?」
人間なんて信用できないと思い知らされたはずなのに、もう一度だけ信じてみようと思った。それほどに、お爺さんの笑顔は穏やかで慈愛に満ちていた。
それからと言うもの、お爺さんは常に僕をそばに置いた。少し姿が見えないだけでもすぐに名を呼ぶほどだ。
「ポチ、ポチや」
その古めかしい呼び名はさすがに勘弁してほしかった。僕にはレオって名が……。いや、やめておこう。それは過去のことだ。よく考えてみればポチだっていい名前じゃないか。
返事をすると、お爺さんは嬉しそうに頭を撫でてくれた。一人暮らしが長かった彼はずっと孤独でいたらしい。だから僕のことは新しい家族と思っているようだ。それは僕にとっても望ましいことだった。家族なら、きっと捨てられることもないはずだから。
散歩の時は楽しくてつい我を忘れてしまう。調子に乗って走るうち、リードが重くなった。おやと思い立ち止まると、お爺さんはぜいぜいと息を切らしながら膝に手をついていた。
「どうかしましたか?」
通りすがりの女の人がお爺さんに歩み寄り、体調を気遣うようにその顔を覗き込んだ。
「ありがとう。大丈夫です」
お爺さんの笑顔に安堵したのか、その人は可愛いワンちゃんですねと言って僕を見る。
「ポチって言うんですよ」
「へぇ。いい名前ですね」
そのやりとりを僕は愕然とした思いで見つめていた。なぜならその女性は、僕を捨てた人だから。驚いたことに僕がレオだと言うことに気付く様子もない。さらに目を疑ったのは、その人が新しい犬を連れていたことだ。小さな体にキラキラした服を着せられている。
「それじゃ、お気をつけて」
言い残してその人は去っていく。リードにつながれた小犬がちょこまかと続く。すっかり主を信頼している様子だが、僕は同情しながらその後ろ姿を見送っていた。
出会った頃は僕の方が若かったはずだけど、5年も経つとお爺さんに追いついてしまったようだ。今では散歩も同じ歩調で、走るなんてもってのほかだ。
僕が体力の低下を悟っているのと同様に、お爺さんもそう感じているらしい。
「わしが死んだら、お前と出会ったあの木の下に散骨してくれんかのう」
時折そんなことを言うようになった。そのあとは決まって僕の頭を撫でまわしながら、
「お前に言ったところで、仕方のないことか」
そんなことないですよ。そう言いたかった。僕ももし死んだら同じようにあの木の下に埋めてくださいね、と。でも僕の言葉は人には通じない。だからただ、お爺さんを見つめ返すだけにとどめておいた。
その時は突然訪れた。
朝、お爺さんは冷たくなっていた。どうすることもできず、外に出てただ闇雲に吠えた。それで近所の人が異変に気付いてくれた。
身寄りが居なかったため、役所の人がお爺さんを連れて行った。数日後、箱に入った小さな壺だけが帰ってきた。そこにお爺さんが入っているようだ。
その時、彼の言葉が脳裏に甦った。咄嗟にその箱を咥え、走り出した。追いかけてくる人たちを振り切り河原に出る。
あの古木はまだあった。相変わらず花も咲かず、葉も茂らない、枯れたような木だ。
その根元に箱を置こうとしたがうまくいかず、ひっくり返してしまった。その拍子に壺の蓋が開き、骨と灰がこぼれだす。
次の瞬間、暖かなつむじ風が吹いた。灰は上空へと巻き上げられ、中空を漂い、古木へと降り注いだ。
するとどうだ。今まで愛想のなかった古木が、一瞬にして満面の笑みを浮かべたのだ。
それは見事な、満開の桜だった。
「枯れ木に花を咲かせましょう」
お爺さんの声が聞こえたような気がした。
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