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DOVA’s Story

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DOVAで働く仲間たちへのインタビュー記事です。
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「テクノロジーで皆が幸せになる社会を作る」ため、ドヴァ・坂本CTOが参加する活動とは?【後編】

前回の記事はこちら かつて仕事で訪れたアフリカで、大工の棟梁から寄せられた感謝の言葉が、ドヴァCTO・坂本大地さんの目を社会課題解決に向けさせたきっかけになったことは前回お伝えした。 今回は、坂本さんが働く上で大切にしている信条などに迫っていく。 ◆テクノロジーで社会の格差をなくしたい 興味深いのは、坂本さんは元々、世の中に対して失望感を持っていたというのだ。 詳細は割愛するが、そんな坂本さんの価値観さえも一変させたのがアフリカでの体験だった。では、自分は一体何をす

ドヴァ・坂本CTOの人生観を変えた、“アフリカでもらった言葉”【前編】

2021年からドヴァで取締役を務める坂本大地さんは、CTO(最高技術責任者)として技術部門全体を統括する。普段は沖縄県で暮らしており、横浜・みなとみらいのオフィスで働くエンジニアと遠隔でやり取りする。また、沖縄・名護に拠点を構える、ドヴァのグループ企業・オキットの業務にも携わる。一言でいうと、【テクノロジーを愛してやまない人物】だ。 ◆テクノロジーオタク道 その片鱗は既に小学生の頃に現れていた。自宅にあったPCにソースコードを打ち込んでゲームを作ったり、ワープロで簡単なワ

白子CFOがメンバーに対して「指示を出さない」理由

前回の記事はこちら 前回の記事では、ドヴァでCFO(最高財務責任者)を務める白子貴章さんのキャリアを紐解き、その後のビジネスパーソン人生の糧になった経験について話を聞いた。 そんな白子さんがドヴァの取締役になって1年。どのような改革を進めてきたのだろうか。 白子さんが起こしつつある改革 現在取り組んでいるのは大きく3つある。1つ目は「見える化」だ。 「経営や業務の可視化、考え方の言語化などを推し進めると同時に、やったことの振り返りをきちんと行うべきだと社員に伝えてい

更なる成長を目指すドヴァのCFO、白子氏。その人生の糧となった貴重な経験とは

株式会社ドヴァは2023年、新たな取締役を迎え入れた。 その名は白子貴章——。 白子さんの歩んできた道 白子さんのキャリアは、2000年に新卒入社したリース会社から始まる。数年勤めた後、銀行員に。そして、某大手総合金融サービス企業へ転職し、投資銀行本部事業投資グループでプライベートエクイティ(PE)投資やM&Aの案件に携わる。 11年ほど身を置いた金融業界に別れを告げ、「事業会社で働きたい」と人材・情報サービスを手掛ける某大手企業に飛び込む。約4年間、新規上場(IPO)

怪我の功名? 社内外のトラブル対応が技術力アップにつながった

社会人1年目が過ぎ 社会人1年目は 「会社に慣れること」 「技術力を身に付けること」などが主な仕事だったと振り返るSさんだが、2年目に入ると、徐々に社内業務などに携わるようになる。 そんな最中に起きたのが、“社内ファイルサーバ消失事件”だ。これはSさんにとっても印象深い出来事となった。なぜならば、データ復旧に向けた緊急対応に一員として関わったことと、それによって多少なりとも会社に貢献できたという意識を持てたからだ。 事の顛末(てんまつ)はこうだ。 トラブル発生。その

「大学進学よりも稼ぎたい」地元・栃木を飛び出し、18歳でエンジニアになったSさんの武者修行

18歳で社会に出る決意 「入社したときはまだ18歳ですね」 メガネが似合うSさんは飄々とした表情でこう語る。現在、ドヴァのプラットフォームサービス部門に所属するエンジニアだ。彼は大学に行かず、高校を卒業して7カ月後にドヴァに入社した。 別に勉強が嫌いだったわけではない。むしろ得意なほうだろう。なぜなら、栃木県で有数の進学校に通っていたからだ。同校は現役で国公立大学に合格する生徒も多い名門である。 「僕以外は皆、進学していました。浪人してでも。多分、大学進学率は99%。

プロDJ・Sさんの決意、「IT業界未経験の人たちのロールモデルになりたい」

毎朝8時半過ぎに出社 ドヴァのマーケティングセクションで働くSさんの朝は早い。 「8時30分ごろには出社していますね。(横浜ランドマークタワーの)エレベーターは空いているし、『おはようございます』と言ってオフィスに入っていくよりも、自分の席で、他の人を迎える方が気持ちいい」 「でも……」と、Sさんは苦笑いしながら続ける。 「一番ではないんです。もっと早く来ているSales部の方がいるんですよ」 ドヴァの始業時間は9時。それよりもずいぶんと早く出社するSさんは、とても

「バイブスを伝えたい」——IT企業に飛び込んだプロDJ

サラリーマンとプロDJの二足のわらじ あるWeb動画CMで、女優とお笑い芸人がお互いの政策や主張についてラップバトルを繰り広げている。2020年から21年にかけて公開されたもので、ネットユーザーの間でも話題となった。 「あのバトルビート、僕が作ったんです」 涼しい顔でこう語るのは、ドヴァのマーケティングセクションで働くSさんだ。大学生のころからDJ活動を始め、プロとしていくつもの楽曲を世に送り出している。また、日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)や、クラブイベント「ageH

今ではプロ顔負けの写真家、ベトナム人エンジニアのTさんの人生を変えた「沖縄」

沖縄の海に感動ドヴァのICT Software Services Division(開発部)で、シニアエンジニアとして新しいサービス開発にまい進するTさんは、日本での生活も通算18年となった。 今では横浜・みなとみらいに通勤する日々を送り、大都会での暮らしもすっかり板についた。けれども、かつてTさんが母国・ベトナムを離れ、最初に出会った日本は、東京でも大阪でもなく、「沖縄」だった。 2000年10月、琉球大学の大学院で音声合成システムを研究するために来日した。初めて沖縄の

母国・ベトナム発展のためにエンジニアの道を選び、来日したTさんの願い

選んだ道「大学に入るとき、2つの道がありました。弁護士になるか、エンジニアになるか。どちらも社会にとって役に立つ仕事であることは間違いありません。ただ、貧しい母国が発展する上では、技術力を磨いた方がより貢献できるのではと考え、工学系を選びました」 こう話すのは、ドヴァのTさん。ベトナム出身のエンジニアだ。ドヴァには2016年7月に入社し、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)ソリューション「アシロボ®」のプロジェクトに深く関わった。アシロボは、ユーザーインタフェ

「浦和レッズのために働いています」と言い切る井口和彦さんの猛烈オタク人生

「ITオタクになればいいじゃん」音楽大学の声楽科で培った歌声やエンターテイメント力を提げて、IT業界の名物営業マンとして駆け回るドヴァの井口和彦さん。その仕事ぶりなどは前回の記事で紹介した。 そんな井口さんは自他共に認める「オタク」。一つのものをずっと応援したり、やり続けたりする習性がある。ひとたび好きになったら、スッポンのように食いついて離さない。 2007年4月、右も左も分からずに飛び込んだITの世界で戸惑っていた井口さん。彼のオタク気質を知っていたドヴァの土橋社長か

音大から経験ゼロでIT業界へ 「誘いはすべて乗る」井口和彦さんの人生哲学

異色のキャリア「声を掛けてもらえるうちが華ですよ。だからどんな誘いでも断る理由はありません」 ドヴァのICT Platform Services Divisionで営業責任者を務める井口和彦さんは、年中休む暇もない。取引先や友人・知人に誘われた飲み会、イベントなどには基本的にすべて駆けつける。コロナ以前は、ほぼ毎晩何かしらの予定が入っていた。 「断らないこと」を信条とする井口さんにとって、ドヴァへの入社も迷いはなかった。 ただ、一つだけ、普通の人であれば、躊躇(ちゅうち

オンラインゲームと野球部監督で培った“自己流”マネジメント術

「DOVA’s Story」では、ドヴァの社員やパートナー、ユーザーなどの中から一押しの人物をピックアップ。彼ら、彼女らの仕事観や生きざまなどを紹介します。前回に続き、ドヴァの若きリーダー、Nさんのストーリーをお届けします。 お前の人生買うよ「お前、落ちたらうちに来いよ。俺が人生買うから」 沖縄県名護市辺野古にある沖縄工業高等専門学校(沖縄高専)。ここに通っていたNさんは、ある大学への編入試験を受ける準備中だった。これまでITの勉強をしてきたが、スポーツ関連の道への転身を

「プロ意識を持て!」 若き開発リーダーの目を覚まさせたある事件

「DOVA’s Story」では、ドヴァの社員やパートナー、ユーザーなどの中から一押しの人物をピックアップ。彼ら、彼女らの仕事観や生きざまなどを紹介します。今回は、ドヴァの若きリーダー、Nさん。2回に分けてNさんの物語をお届けします。 会社の歴史を変えた瞬間2019年2月14日——。創業してから二十数年のドヴァにおいて、初の自社開発サービスがローンチされた。そのときの興奮を、同社のICT Software Services Division(開発部)でサブリーダーを務めるN