明太マヨおにぎり

未熟

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最近の記事

発言に責任を持ちたい

 先日の私は、彼との電話の中で「好きは理由にならない」と言ったらしい。後日その説明を求められて、ちょっと困った。なんとも無責任な発言である。なんでそんなこと言ってたんだっけ?  おそらく(あくまで今の私の予想だけれど)、彼に「好き」という感情を押し付けたくなかったのだろうなと思う。彼とやりとりをするたびに好きだなぁと何度も思っている。でもそれは感想であって、ひとつひとつの行動にはちゃんと別の理由が存在している。  例えば彼と会う約束をするのは、その時間が楽しくなると思えるから

    • 足りないくらい

       好きな曲の歌詞に「足りないくらいでいいんです 楽しみは少しずつ」という言葉が出てくる。  友人との遊び然り、恋人とのデート然り、制限時間付きの娯楽はなぜあんなにも魅力的なのだろう。(もう時間か……もう少しここにいたいのに)終わりの時間が近づくにつれ、価値がどんどん上がっていく。  足りてしまったら、どうなるのだろうか。美味しいご飯に、新しい場所に、恋人の笑顔に、心を揺さぶられなくなる日が来たら……。  好奇心の権化といってもいい自分のことだから、「足りる」可能性について考え

      • 自分の機嫌をとる

         最近、自分で自分の機嫌をとれない事に気がついてさらに落ち込んだ。  気分が下がっているとき、自分の力でそれを乗り越えられたらいいなと思っている。例えば、好きな作品を摂取するだけの時間をつくるとか。例えば、好きな食材で料理をするとか。例えば、好きなだけ楽器を弾くとか。例えば、好きな場所に行くとか。自分にも好きな作品はあるし、好きな食べ物も楽器も場所もある。  でも、落ち込んでいるときにそれを思い出すことが難しい。落ち込んでいるとき、それを楽しむ元気がない。たぶん、ベッドから起

        • 人を遊びに誘えない

           先日、部活帰りに友人を誘ってお昼ごはんを食べた。彼女は知り合って2年近い友人であり、今までも数回一緒に出かけていて、二重奏もしている。部活の中では特に仲のよい友人であるが、それでも自分から人を誘うのは緊張するものである。 楽しい時間の提供義務  自分が人を誘うときの基準について考えてみた。まず「倫理的に問題ないか」という点がある。この点はクリアしている。私と友人は同じ部活の友人であって、友人同士でご飯を食べに行くことは私の中では自然な行為である。例えばここで弾かれるのは

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          活版印刷の便箋

           久しぶりに訪れた文房具屋で、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」をモチーフにしたフレークシールを買った。「注文の多い料理店」や「猫の事務所」「セロ弾きのゴーシュ」など魅惑的な他の作品を横目に、私は青くきらきらとしたそのシールを手に取った。なぜか?活版印刷の便箋のためである。 買い物の目的  そもそも、この買い物の目的はレターセットを買うことであり、きらきらのシールを買うことではなかった。先日、親しくなりたい人に「文通がしたいです」と言われたことを思い出し、せっかくなら新しくレターセ

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          バレンタインと同値条件

          バレンタインデーに対する認識  今日は2月14日、いわゆるバレンタインデーである。私の知っているバレンタインデーは、女性から意中の男性へ本命チョコを渡すイベントであり、それに付随して友チョコや義理チョコなどを渡す文化もある。とはいえ実際にやり取りされているのは友チョコ、義理チョコが大半だろうし、中には自分チョコみたいなものを買う人もいて、実態は個人によって様々だ。  とにかくチョコレートを始めとしたお菓子を人に渡すイベントであり、特に想い人のいる女子にはうってつけのイベント

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          独りよがりな文章について

           昔、小説は読者があってこそ成り立つ、みたいなことを言っていた時期がある。今でも別に異論はないけれど、これが自分を苦しめている可能性を考えると、なんだかなぁという気持ちになる。別に独りよがりでもいいんじゃないか?  読まれる小説と読まれない小説、もっと広げるならば、読まれる文章と読まれない文章。インターネットには無数の文章が転がっている。じゃあ、書き手と読み手の需要ってどうなの?あれ、そもそも自分の創作における目的って?  考えるときりがないので、詳しくはまた別の機会に触れよ

          独りよがりな文章について

          創作意欲の捜索願

           気がついたら、最後に小説を書いてから一年近くが経っていた。そもそも自分が小説を書いていたことさえ忘れかけていたので、とんでもなく恐ろしい気持ちになった。  今日から始まる二か月の春休みは絶好の創作週間である。しかし、今の自分にはショートショートはおろか、短歌一つ詠むこともできない気がしている。これは俗にいうスランプとはまた違って、「創作」という習慣自体が自分の中から抜け落ちてしまったのだと思っている。  創作を始めた日のことはもうはっきりとは覚えていないが、一番「創作」に

          創作意欲の捜索願