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人を遊びに誘えない

 先日、部活帰りに友人を誘ってお昼ごはんを食べた。彼女は知り合って2年近い友人であり、今までも数回一緒に出かけていて、二重奏もしている。部活の中では特に仲のよい友人であるが、それでも自分から人を誘うのは緊張するものである。

楽しい時間の提供義務

 自分が人を誘うときの基準について考えてみた。まず「倫理的に問題ないか」という点がある。この点はクリアしている。私と友人は同じ部活の友人であって、友人同士でご飯を食べに行くことは私の中では自然な行為である。例えばここで弾かれるのは、恋人持ちの異性、または自分に全くそういうつもりがない異性を誘う場合である。これは私の中ではアウト判定。
 次に「自分が楽しいか」である。これは自分にとって特に大事な点である。ときに人は、自分から誘ったのに楽しくないという状況になりうる。遊びというのは自分の時間と相手の時間を拘束することであり、誘った側には相手に楽しい時間を提供する必要があると思っている。そこでその役目を果たせないどころか、提案した側である自分自身がその時間に価値を見いだせないとなるのは大問題である。

公園のベンチにて

 お昼を誘ったはいいものの、特に食べたいものがあったわけではなかった。そもそもお昼を食べたいというより、友人と天気の良い午後を一緒に過ごしたいという気持ちからであった。
 その日は部室から30分ほどかけてアーケードまで歩き、ごはん屋さんを選んだ。その後、公園まで歩きながら、途中寄り道してミスドの新作を買い、それを公園で食べながらおしゃべりをした。私はその友人との時間を心地よい時間だと思っていて、目的がなくとも、一緒に過ごす時間が楽しい時間であるという確証があったため、今回誘うことができたのだと思う。

深く狭く

 自分から誘うという行為は自分の中ではかなりエネルギーを使う行為であり、自分がそうする相手に対しては、そこまでして関係を築きたいと思っているということでもある。
 実際、自分の交友関係を表すならば「狭く深く」である。中学校、高校時代に担任の先生にも言われていたくらいであり、自他ともに認める傾向である。自分には尊敬できる友人がいて、幸いなことに中学校から今まで長く関係が続いている。先日お昼を食べた友人との交友関係も、長く続いてほしいと思っている。

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