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読書感想文 「軟鋼」「命日」

 生者の方も、そうでない方も、こんにちばんは。野原です。いつも気取って文字を書くので、こうして本体がしゃしゃり出るのは、おそらく初めてです。
 今回は、小噺が10を越えた記念に、過去書いたものに対して解釈と感想と、うだうだ語りたいと思います。是非元と見比べながら、或いは読んだ後に、当noteを読んでいただけたら。

「軟鋼」

 これまで書いた物語全て、一つ一つに、テーマのようなものがあるのですが、この頃はどん底とは何か、考えていた記憶があります。
 本当はもっと登場人物が居て、楽しんで後悔して、純良なバッドエンドを迎える予定でした。しかし、取り敢えず完結させる力を付けよう、と思い渋々終わらせました。

 本気の鬱(いえ、そもそも遊びもクソもないですが)に陥った方なら、共感してくださると思うのですが、鬱病の最も危うい瞬間って、ちょっと調子の良い時なのですよね。鬱で一切合切やる気ないと、自殺する元気すらないので、ぽけーっと1日が過ぎるのです。しかし、日射時間が長かったとか、良いものを食べたとか、或いは周期的な理由か。少しだけ元気になってしまう。すると、死ねる。「もう二度とあの、ダウナー的情動に支配されたくない」という、逃避の一貫かも知れません。だから、辛そうだった人が急にご機嫌だったら、貴方は安心でなく、注意すべきなのです。人は黙って死ぬ、油断して、知らないうちに。もう大丈夫だ、と思ったときに。

 パントマイムと間違われる程、動かないことなんてあるのでしょうか。否、動けないのです。ちょうど金縛りに遭ったような、動け動けと念じても、うんともすんとも言わんのです。すごいすごいと燥ぐ若者達が、社会の無理解の象徴である事は、然もありなん。無自覚で、最後の一押しをする。解像度の違う物同士は、交わっても録な結果にならないと、やんわり思うこの頃です。

 「三本目の電車」「2時間は経っただろうか」から、主人公が少し田舎の駅に居ることは間違いないのですが、都会に行きたくなかったのか、田舎が嫌だったのか、真偽は定かではありません。

「命日」

「『実は今日、死んできたんです』その顔は生命に溢れていて、僕は彼女の命日を、彼女と祝うことにした。」

 生命力と死のアンバランスさ、魂の処理、共栄的男女関係がテーマです。「実は今日〜、、、」の部分は、私が中学生の時に思い付いて、ずっと残っていたフレーズです。なので、7〜9年越し(?)に纏められて良かったです。小中高で、中途半端に考えたお話がまだ沢山あるので、随時形にしていきたい所存です。
 それにしてもテーマがあり過ぎて、流れが不自然で時折直していたのですが、既に仕上がってしまったため、修正しようにも、ごっそりやらなきゃいけないので、諦めました。

 冒頭から見ていきましょう。(軽快な音楽が流れる

 先ず、伊織ちゃんは可愛い、これが最重要ファクターです。宇宙まで蒼染する程の、果てしない空さえ、支配するような存在。しかも軽いノリで「死んできました」って。ねえ、好きにならない男子がいますか?いたら正座して、歯を食いしばって。
 


「病院の屋上、そこには何かの残骸らしきビニール紐がひらひら揺れている」

 屋上ってなんだか分からない、変な物が転がってますよね。あれ好きなんです。時間で風解して、空き缶とかビニール紐とか、残骸が虚しく転げてる。誰かが作って、誰かが持ってきて、誰かが使って、用済みになって、そういうの想像するの、楽しいじゃないですか。むかし避妊具が落ちてた時はイラッとしましたけど。


「勘のいい読者の皆様はお気付きだろう、先輩は死んでいる」

 とならない為に、小細工を施したのですが、どの程度機能したか自信ないです。しかも先輩は自分の死を認識しているので、台詞に矛盾を作れないのに苦労しました。「そんな!僕は死んでいたのか!」なら、死の恐怖を煽ればいいのですが、結局伊織の心配をしたり、死を客観視させる事に落ち着きました。


「よく言えば天真爛漫、有り体に言えば傍若無人である」

 伊織ちゃんは阿呆で行動力はあるけど、馬鹿ではない、という点に拘っていて、物は知らないけど、自分なりに考えてるんですよね。気ままな自由人だけど、自尊心がそこはかとなく低い。望遠鏡を万華鏡にするっていう、閃きの力は憧れます(あれ、自分で書いたよな?)。彼女が「星」を何かよく知らないのは、天文学部に入った理由が「先輩が在籍してるから」でしかない所為です。そして、後にそれっぽい記述がありますが、無茶をするとすぐに先輩が飛んでくるのも、奇行の動機だと思います。


 
「僕は伊織に生きていて欲しかった」

 最初は会えた喜びで「ハッピーデスデイ」とか口走る先輩ですが、だんだん素面に戻って、こいつ死にやがった、って気付きます。普通に生きて欲しかったので、簡単に「生」という特権を手放した伊織に、お説教します。あと、死後の世界が無い事を知っているので、現世にいて欲しかったみたいです。元々先輩の一人称は「俺」だったのですが、あまりにも威圧感があって、書きながら「伊織はこいつのどこを好きになったの?」と思い始め、「僕」にして全体的に調整して、マイルドにしました。なった?なったな?よし。


「ねえ先輩、どうして居なくなっちゃったんですか」

 さて、段々二人の関係性の輪郭が、明瞭になっていきます。大好きだからこそ、傷付けたくなる時ってありますよね。でもその破壊力がどれだけか、ちゃんと把握していないと、取り返しが付かなくなったりするものです。往々にして、一番幸せにしてくれる人間とは、一番不幸に突き落とす人間であるので。まあ今回は、先輩はあんまり気にしてなかったみたいですが。


「怪しまれないよう、何軒もコンビニをまわって、睡眠薬を買う」

 まるで、モデルが居そうだなって思いませんか。世界の何処かに、この二人が居たんじゃないかって思わせたくて、全体的に具体性を付けています。成功してたらいいな、と思います。因みにモデルは居ません、市販の睡眠薬で意識を飛ばせるかも、知りません。


「ただの数字になっちゃった」

 この辺から、命と魂の処理の話になっていきます。いつしか大きな地震があって、海水が街を飲み込んだ時。死者1,000人、3,000人、10,000人とニュースで上がって、誰かが「10,000人いったかー」とぼやくのが、堪らなく恐ろしかったのを覚えています。彦一という記号、先輩という記号、1人という記号。概略的になる程、命は安く軽く、新聞と共に叩き売りされる。良くも悪くも、人は慣れてしまう。「アフリカでは今、1分間に60秒が過ぎています」なんて、茶化すのを非道だと感じるのは、敏感になり過ぎですか。


「先輩は一等星です」

 あからさまなので、お気付きでしょうが、伊織と彦一先輩は、織姫と彦星がモチーフです。理由は、最後にお別れするけど、来年会えるんじゃないかって期待させるのと、当作が7/7で、再会が1年ぶりなのを匂わせたかったからです。ちなみに、後日談を現実の七夕に投稿しました。更にちなみに、こと座の一等星ベガが織姫、わし座の一等星アルタイルが彦星です。世間から少し外れた2人が、どうして惹かれあったのか。お互いに「相手が優しいから付き合ってくれてる」と思ってる関係尊いなって、もうお前ら付き合えよ、あ、付き合ってんのか。


「そういえば先輩、今まで何してたんですか」

 本格的に魂の処理について語り始めます。私は唯物論的な視点で心を捉えているので、魂の実存は当然、残留した何かによる現象として求めました。現象学的、直接的志向性が周辺部に溶けて、境界線がぼやける体感は理解の閾値を越えた概念なのでは、と思いますが、提唱した時点で矛盾するのですよね。驕りました。きっと魂が有るなら、こうなるんじゃないか、と思いながら書きました。小難しかったから本筋に少ししか関係ないので、流して頂いて構いません。


「先輩、喉が苦しい、です」

 先輩の「生きたかった」という気持ちが、実はまだ死んでおらず、昏睡状態だった伊織に混ざります。自分でも大きな覚悟で死を選んだ伊織ですが、それを裏切る事の罪悪感と、先輩の意思を拒絶したくないという葛藤に苦しみます。喉が苦しいのは、昏睡状態の身体と繋がりが強まったからです。


「うん、生きていいんだ、それが僕の願いだから」

 生きたい、という気持ちが確かなものになって、ただ先輩が気がかりで、最後の一押しです。思い残しを消すという、ある種成仏に似た作業ですが、結果は生に傾きます。先輩が最後に秋桜を見て「命日だったのか」と気づく訳ですが、おそらく、先輩は死ぬ直前に秋桜を見ているんじゃないか、と思います。ちなみに、秋桜は「秋」と名に付きますが、普通に6〜11月に開花します。そして、花言葉は「乙女の純真」、赤色だと「乙女の愛情」です。


「『もう大丈夫だよ』と言った。お母さんは一層泣いて、私もわあわあ泣いた。」

 ここで、伝わったらほんっとうに嬉しいのですが、少しだけ伊織が大人しくなっています。理由は勿論、先輩の意思が混ざったからです。今までの伊織だったら「了承」とか言わないのです。そして野川駅、天の川からきてるのですが、渡れば会える、ぴったりだなと思いました。


「ハッピーデスデイ、彦一先輩」

 やっと先輩の名前が出てきました(本ノートでは数回出しましたが)。最後に伏線を回収するのが大好きなので、ここで「やっぱりな」と思ってくださったなら、味わい切ったという事です。ちなみに「今日お墓参りに行きたい」とゴネ散らかしたのは、もちろん7/7だからです。


 さて、長くなりましたが、ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございます。作者が解釈を並べるのは、不粋かも知れませんが、普段これくらい込めてるんだぞというのを、どうしても伝えたくなったのです。文字が、動画が、物語が溢れ、分かりやすく消費して、ファスト化が進む現代で、裏にこれぐらい捏ねくり回して小噺を書いているんだ、という事を、少しでも知って頂けたら幸いです。

 それでは、また。

野原

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