蓬莱同楽集3.5集(作品篇)其三

田姓雅韻堂(でんせい がいんどう)
プロフィール:酔翁。蓬莱同楽社の一社員と思っていたら編集長だった。酔翁の名義は欧陽修『酔翁亭記』からなるも、かなり年齢不相応につき別号を考案中。さしあたりこのように名乗る。 


【梅雨偶成】
夢中娛昔日
雨後水田平
靜思雅游事
獨聽檐滴聲
誰知詩作意
難耐積年情
鬱氣壓天地
層雲萬里橫

夢中 昔日を娯しみ
雨後 水田平らかなり
静に思ふ 雅游の事
独り聴く 檐滴の声
誰れか知らん 詩作の意
耐え難し 積年の情
鬱気 天地を圧し
層雲 万里に横たふ

○雅游…風雅の遊び。○檐滴…檐から滴る雨だれ。○鬱気圧天地…鬱々とした気分が自分自身を越えて世界に満ちているように感じる。あるいはそのような世界のもとに自分がいると知覚する。○層雲…何層にも横たわった雲。
梅雨に出来た詩
夢では昔の思い出のなかに楽しみ、
目が覚めると田にはられた水が穏やかです。
静かにまた風雅の遊びのことを考え、
一人で雨だれの落ちる音を聞いています。
作詩の理由は誰もご存じないでしょうが、
積年の思いというのは苦しいものです。
梅雨の空は鬱々としていて、
雲が折り重なって遥かに広がっています。

▼基本の感情はどうしてもここから動きません。終わりがいつになるのかもわかりません。ではそこからどうしましょうか? せめて気を散らしておきたいではありませんか。ということで私は風雅に游ぶわけです。ところがこのときはよほど調子が悪かったものですから、最後まで鬱気に満たされていたのでした。まことに梅雨どきですね。

【偶成】
聞說人閒還俗論
惜哉憔悴獨淸魂
何如濯足游風雅
萬卷書中喜樂存


聞くならく 人間 還た俗論ありと
惜しいかな 憔悴 独り清魂たる
何如ぞ濯足して風雅に游ぶは
万巻の書中 喜楽存すれば

○聞説…聞くところによると。○人間…じんかんと読む。世間のこと。○俗論…俗事にかかわる議論。○清魂…清い魂。ここでは「漁夫辞」にイメージを重ねていく。 ○濯足…足を濯ぐ。「漁夫辞」の「滄浪の水濁らば、以て吾が足を濯ふべし」より。 ○万巻書…たくさんの書籍。一般論としては書籍は漢籍を軸に何でもよいのですが、『古文真宝』の「真宗皇帝勧学文」が頭をよぎりました。 

たまたま出来た詩
聞くによれば世間はまた俗論に溢れているようですね。
憔悴する人がひとり清い魂を持っているとすれば誠に惜しいことです。
それなら風雅に游ぶのはどうでしょう。
読書の世界というのは誠に楽しいものですから。

▼新潟の例の事件(名前を出す気にもならない)の報道を見ていて作ったもの。真面目な人から順に追いやられるのを見ると、人間世界がつくづく嫌になりますね。一般論としてはなんとか乗り越えてゆくべきなのかもしれません。けれど当事者ほど神経が参るものですから、心だけでも争いから身を引いた豊かなところに置いておきたいものです。

【游疇祉琴社琴會】
淑女琴歌聲稍稍
竹風揺動氣融融
知得猶存高雅士
自娯神韻古人同

疇祉琴社琴会に游ぶ
淑女 琴歌 声稍稍
竹風 揺動 気融融
知り得たり 猶ほ高雅の士存し
自娯 神韻 古人に同じきを

○淑女琴歌…琴は弾くだけではなく歌うものがあります。それを聞いていた時のことです。○声稍稍…声がわずかに聞こえてくる。自娯のものですから人に聞かせることが軸ではないのです。○気融融…天地の気が混ざりあって現れてくるかのよう。○自娯…自ら娯しむこと。人のためにするものではないのです。○神韻…すぐれた気韻。○古人同…いにしえの人々の発したものに接しています。

疇祉琴社琴会に游ぶ
お姐さんが琴に併せて歌う声はわずかに、
庭の竹がそれに応じて万物が蕩けるよう。
今でも高雅の士というものがおられるのですね。
自娯の姿、気韻の有様、古えを見るかのようです。

▼望之さんにお誘いいただいた琴会について録したもの。琴の声を聴くのはわずかに二度目でしたが、目を閉じて聴くうちに庭を吹く風が竹を揺らす音までが聞こえてきて、まことに驚いたことでした。私は煎茶を学んでいますが、同じ「自娯」という言葉が出てきたのも興味深かったです。琴や茶は言うに及ばず、詩・書・画それぞれに個別分解した雅游の精神をもう一度考証して統合しなければなりませんね。

【五月二十七日始見冢掘庵主人于湯島聖堂入德門前而悦作六絕一首】
從來文癖相識
今日東都面會
步步如飛到時
悠悠風雅書帶

五月二十七日 始めて冢掘庵主人に湯島聖堂入徳門前に見え、悦びて作る六絶一首
従来 文癖 相ひ識り
今日東都に面会す
歩歩 飛ぶが如く到る時
悠悠 風雅の書を帯ぶ

○文癖…読書癖。○東都…東京。

五月二十七日、初めて冢堀庵主人に湯島聖堂の入徳門前でお会いし、喜んで作った六言絶句
従来読書癖で知り合い、
今日東京でお目にかかる。
テクテク、心は飛ぶように到着。
ご主人は風雅の書籍を帯びてなさる。

▼冢掘庵さんとはツイッター上でお知り合いでしたがお目にかかるのはこの日が初めて。ほかにお二人ともお目にかかり、四人でお話をするうち、あっという間に一日が過ぎてしまったのでした。この詩は合流するときの目印に線装本をお持ちだった姿を描こうと思ったもの。とはいえ、あろうことか六言絶句を選んでしまったのが運の尽き。果たして意を尽くせているかどうか。六言絶句は本当に難しいですね。

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