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グリーンカレーとグリーンマイル

勤労を感謝される祝日の前の火曜の夜、しもぴぽ(下津光史とマヒトゥー・ザ・ピーポー)のミッドナイトフェス目当てに渋谷に行ったが、11時からと告知されていたのは開場で、当の二人の出演は深夜3時だったため(これも翌朝知った)終電で早々に帰った。

無駄足という結果なわけだが、ふらりと渋谷に出れてしまうことに、久しぶりに東京に住んでいる実感が湧いた。
UNDERCOVERのキャラクターにインスパイアされた曲のリリース記念とのことで、ファッショナブルな人やモデルらしき人、京都の音博かりんご音楽祭でしか見ない人(小さなニット帽を被った眼鏡&髭・くすんだ色の古着)、そのどれにも俗さなさそうな人など、多様な人間を観察するのは案外楽しく、それぞれの人生を勝手に想像して少し疲れた。東京に来てすぐのころも、目に止まる人に思いを馳せまくりやたらと疲れていたことを思い出した。

お米を炊いた日はたくさん食べてしまうのだが、それが火曜で、その翌日(つまり今日)はびっくりするほどお腹が空かず、朝は雨だったので横になっていた。

お腹がやっと空いてきたのでもらいもののグリーンカレーの素と適当な野菜を煮込みカレーを食べた。ちなみにカレーは2日ぶりで、グリーンカレーは3日ぶりだ。(土日どちらもカレーを食べていた)
低気圧がひどくなることは知っていたので、お湯を沸かして湯たんぽをセットし、映画を見ると決めていた。

ずっと気になっていたグリーンマイルを見た。(グリーンカレーにかけたわけではない、今気づいた)
以下はネタバレになるが、グリーンマイルを見ていない人は、いいとする定義は人それぞれだと思うけど、とてもいい映画だと思うのでぜひ見て欲しい。


黒人のジョンが刑を執行される前日に、ジョンが「言わなくていい、言わなくてもわかる」主人公がそれでもなお「言わせてくれ」「何かして欲しいことはないか」と会話をするシーンがある。ほんとうに、その通りだと思った。
言わなくてもわかる(彼の場合は能力的にわかるわけだけど)、だとしても伝えるべきことや伝えたいことはあるし、そのための言葉でありコミュニケーションだ。

そして、死刑を止めようとする看守たちに対して「(日々世界中の悪を感じすぎているから)もう疲れた、死にたいんだ」と言うジョンの、その苦しみは看守たちには絶対にわからないし、生きることこそが必ず正しいとも言い切れない、それはとてもつらく、でも事実なのかもしれないと思う。対義だけど、死は必ずしも悪ではないと思うから。

主人公は「君のような(癒しの力を持つ)神からの使いを殺したら、僕は最後の審判で神になんて説明したらいい」という旨の話をするが、これは彼なりのユーモアではあるけれども、言葉通りに受け取るのは違うのではないかな。
だって、彼が神の使いではなくて、能力がなかったとしても、大地を踏みしめるたびに心を躍らせ、夜空の星を見て目を輝かせるジョンには、生きていてほしかった、そう思ってたはずで、まあこれもエゴなわけですけど。やし、能力がない彼、というのは彼ではないわけなので。

最後の、死を待ちわびる主人公。人生というグリーンマイルがあまりにも長く、先が見えないというエンディング、神の使いを殺した罰、皮肉だなあ。それでも、罰を受け入れ自死という選択をしない主人公の覚悟が、映画の軸として、彼の軸としてずっと見えていて、観終わって気持ちが良い映画だった。

ジョンがあまりにも優しい目をしていて、後半ずっと泣いていた上に暗闇で涙を拭いたティッシュを積んでいたらグリーンマイルの前に見ていたyoutubeのメモをしてた紙がベショベショになってた。

久しぶりにお風呂を貯めて、入浴剤(そういえばこれも緑だった)をいれて踊ってばかりの国を聴きながら、ちょっと歌って、しっかりふやけて、久しぶりにnoteを書いて、9時、もうそろそろ寝ます。

アナタになって
世界を見てみたいよ
今のボクは 人を妬んでばかり
ミソもクソも 一緒にするなよ
交じりっ気のない
アナタと アナタに

世界が見たい/踊ってばかりの国


note、何を書こうか悩むより、書き始めてから進んでいく方向に進むでもいいから、まずは書くことが大切だなあ。

ちょっと夢ができました、2023年の間に叶えることが目標です。





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