見出し画像

毎年3月に読み返すブログ。

こんにちは。

今日は、私が毎年この時期に読み返すブログをご紹介します。
2011年3月、東日本大震災のあとに、貪るように読んだもの。

《名取市閖上復興支援のブログ》


私は宮城県石巻市の出身で、生まれも育ちも宮城県なのですが、東日本大震災が起きた当時は、沖縄本島に住んでいました。

地震・津波発生から、身近な人と連絡がつくまでの3-4日、どのように過ごしたか具体的なことはもう思い出せませんが、当時いっしょに働いていたり、仲良くしてもらっていた仲間たちには、精神的にずいぶん助けてもらったと思います。

私自身は直接の知人友人、親戚などで亡くなった人はいませんでしたが、家や車を流されたりした人は何人かいました。

被災地が地元で自身は離れた場所に住んでいる方は、本当に気を揉むというか、被災した方とはまた違う辛さがあったと思います。

私も、地元を離れて当時で5-6年は経っていましたが、あれだけ地元に想いを馳せた時間は後にも先にもなかったですね。


さて、当時の私がこのブログをなぜ夢中になって読んだかというと、まず、めちゃくちゃリアルだったからです。

そしてもうひとつおおきな理由として、2011年の3月当時というのは、地震や津波、そして原発に関して、とにかく色々な人が色々なことを言い、情報が錯綜していたというのがありました。

あくまで私はということですが、その中で誰の話を聞けばいいのか、実際何が起きて、どうなっているのかを知るためにどこにアクセスすればいいのかがわからなかったんですね。ただ自分としては、宮城は育ったところだし、福島や岩手もよく遊んでいた、広い意味で地元のような場所です。だから現地のことを少しでも知りたい気持ちがあって、だけど、家族や友人には必要なこと以外は連絡できない(相手が大変なときだから)という状況でした。

そんななかで、いったい何をきっかけにこのブログを発見したのかまったく思い出せないのですが、とにかくこれを見つけてからはこれだけを読んでいました。必要にして十分という感じだったんだと思います。

最初の記事はこのように始まっています。
書かれているのは荒川さんという男性で、名取市閖上にご実家がありご本人は当時仙台市内に住まれていたようです。


東北地方太平洋沖地震が起きてから2日後我が家に向かった。

まだ連絡が取れない母・弟の手掛かりはないかと思い、朝6時M氏にゆりあげまで車で送ってもらった。

車を降りて歩いて我が家へ向かう。5分と経たずに涙があふれてきた。変わり果てた街の姿を目の当たりにし自然とあふれてくるのだ。車、木片、船ありとあらゆるものがそこには散乱していた。

足を進めるたびに絶望感に包まれた。そこにはとてもじゃないがなんの希望ももてない。

我が家へ続く道が閉ざされていて、仕方なく隣の道路を進む。ちょうど裏手と思われるところまで来た。

名取市閖上復興支援のブログより


で、なぜ私がこれを毎年読み返すのかというと、もちろんこの日が「忘れたくても忘れられない日」という人も多いと思うのですが、私にとっては「忘れたくないんだけど、どんどん忘れていっちゃう日」なんですね。

現地で震災そのものを体験していないので、仕方ないといえばそうかもしれないんですが、かといって罪悪感がないかというとやはりそうではありません。

というより、実際は、これが私の震災の体験だと思うんですね。
3月11日その日ではないし、現地にいたわけではないけど、自分の震災の体験は、どちらかというと「みんなの無事はわかったけど、その後どうなっていくのかわからない状態で本当のことをめちゃくちゃ知りたかった時間」とその記憶なんですよね。

だけど、その記憶もやっぱりどんどん薄れるし、忘れていきます。
仕方がないことだとも思うけど、何もしないではいられないそわそわした気持ちもあって、なかば儀式のように毎年読み返してしまうんでしょうね。


今になって、当時の自分がなぜ、あれだけ没頭して読めたのかと考えてみると、安心感だったのかな?と思います。

内容自体はセンシティブだし、リアルタイムだからすごく臨場感はあるんだけど、距離感が絶妙というか、不安を煽ったり特定の主張を叫ぶ気配がまっったくなくて、ただ淡々と綴った文章。逆に、だからこそ伝わってくるものがあるんですよね。

だからといって、ただ無感情に起きたことの羅列をしているわけではなく、自分の考えや気持ちも伝えながら、読む人に何かを思ってもらおうという意図がまったく感じられないんです。一方で寄付だったり、必要な情報が拡散されるようにお願いしたりはしている。

そんなふうに、伝えるべきことはしっかり伝えて、かつ、必要でないことはきちんと省く、そのバランス感というか、コミュニケーションの取り方がものすごく安心感があったんですよね。しかも

自分も被災して、家族が行方不明という状態でこういうふうに書ける、伝えられるというのは、今でも本当にすごいなって思うし、当時、これを書いてくれて本当にありがとうございますって今でも思っています。

それまで特定の人のブログを追うみたいなことはまったくしたことがなかったんですが、これだけは更新しなくてもいいから、世に残しておいてほしいなと願っています。

余談ですが、このブログを書かれていた荒川さんは、その後数年して、名取市の議員になられたんですよね。地元を復興したいっていって。人ってすごいなっていつも思うけど、こういうときにやっぱりそれを思いますね。


今日は、私が毎年3月に読み返しているあるブログについてご紹介しました。最後まで読んでいただきありがとうございます。

ご興味ある方はぜひ、一度ページに足を運んでみていただけると嬉しいです☺︎



いただいたサポートは、新しい体験をしたり、応援したい方のサポートに使いたいと考えています☺︎普段の活動はこちらです💁 https://www.instagram.com/changeisgoodccc/