見出し画像

吹奏楽の常識非常識

 今年も吹奏楽コンクールが始まり、全国に指導に出かけていますが、相変わらずコントラバスについては不思議な、奇妙な常識が蔓延っています。

《楽器を客席に向けろ》

 未だにこれを言う指導者が多いんです。
 どういうことかと言うと、「普通」コントラバスは指揮者に正対して楽器を構えて演奏しますが、吹奏楽部では稀に、楽器を客席に向け、首だけを指揮者に向けて苦しそうに演奏する姿を見かけるのです。野球の左打者が打席で構えているような姿勢というと伝わりやすいでしょうか。当然、首だけが指揮者の方を向いて苦しそうになりますし、G線(一番高い音が出る弦)は右手から遠く離れることになるので、非常に演奏し辛い体勢という事になります。

 以前、ある顧問の先生やコーチに聞いたら「コントラバスの音が聴こえにくいと思って」「コントラバスも楽器の正面から音が出ていると思った」「吹奏楽コンクールの強豪校がやっているから」「管楽器が前を向いているから」という回答を頂きました。これらの回答について批判するつもりはありません。知らないのは仕方ないからです。しかし、これを変えようとしないのがなぜなのか、その点だけが疑問です。

 コントラバスは弦楽器であり、管楽器ではありません。参考にすべきは吹奏楽コンクールの強豪校ではなく、オーケストラです。弦楽器の常識こそがコントラバスの常識なんです。

 いや、もちろん正面からも音は出ているのですが、コントラバスは楽器、板全体を振動させ、エンドピンを通じて床まで震わせているので、前からだけ音が出ている訳ではありません。楽器の正面からしか音が出ていないと思うなら、そして松脂と弦が擦れる音を効果的に客席に聞かせたいなら、ウィーンフィルのニューイヤーさながらに雛壇に配置するのも一つの策でしょう。以前までこちらの記事で「全く意味がない」と表現していましたが、これは正しくないので削除致しました。むしろ本当の問題点は、意味もなく不自然な恰好で演奏させられることで楽器をきちんと鳴らす事が出来ない点にあります。

プロオーケストラで楽器を客席に向けて演奏しているプレイヤーなど一人もいません。プロオケで映像を見せると「何だこれ?」と嘲笑されるだけです。

 この楽器の向きについては、国立音楽大学出身のコントラバス奏者吉田優稀くんがこのような記事を書いています。

「コントラバスの向きによる音響について研究(遊び)A.ブラニャウスキー著『コントラバスの歴史』を用いて」

 彼は実際に検証実験も行っており、この記事内ではその動画を見ることも出来ます。

まあ、ここまで書いても「楽器は正面に向けるべきだ!」と仰るのなら、ご自由にどうぞというところですね。
 

 「コントラバスの音が小さい」という意見についてですが、コントラバスは人数が揃わないと音量が出ないのは最初から分かっている事で、音量が欲しければテューバを増やせば良いのです。

 私は、コントラバスは、音量ではなく、管楽器に出せない弦楽器独特の響きを補強する為に存在していると考えています。また、弓の動きでタイミングやテンポを視覚的に伝えられる数少ない存在でもあります。以前大学オケの合宿でNHK交響楽団のヴァイオリンの方が「我々はテンポに迷ったり何かトラブルがあったらまずコントラバスの弓を見るんだよ」と指導されていましたが、この言葉はぜひ吹奏楽部でコントラバスを担当している学生さんにも伝えたいですね。

 合奏の時に「コントラバス小さい!聞こえねえよ!」と怒鳴りつける人もたまに見かけるのですが、まず中学・高校の吹奏楽部で使用している楽器にはポテンシャルの限界があります。往々にして弦や弓の毛の交換を数年していなくて管理状態も悪く、プロが演奏してもなかなか鳴らない楽器が多い。
 最低でも2年に一度くらいは弦を交換して、1年に一度は弓の毛を新しくして、松脂も湿度を保った状態で管理されたものを使用していて、当然楽器に割れや剥がれなどが無いベストな状態を維持しているのに楽器が鳴っていないのであれば、技術が追いついていないのが原因かもしれません。
 弦をブンブン鳴らすには脱力しなければいけないのに、先生に怒られて委縮して弓に松脂を塗りたくって弦に弓を押し付けてギコギコガリガリ汚い音で弾いている、という生徒さんを何人見たか分かりません。

 この「ガリガリゴリゴリ」という音を表現する言葉もどうかと思ってます。「ゴリゴリ弾きまくります!」という表現をたまに見かけますが、僕はこの言葉から、松脂を塗りたくって弓を弦に押しつけるイメージしか湧きません。何となく「汚い音なんだろうなあ」と想像してしまうのです。話が逸れました。あくまでもこれは個人の感想です。

 意外と「先生が弦楽器に慣れていないため、響きを聴き取れていない」という事も多いようです。現に、私は吹奏楽コンクールの地方大会に足を運んだ時、「これはレッスン受けてないなあ」というような奏法で弾いている生徒さんの音でも、審査員席の近くできちんとコントラバスの音を聴き取る事が出来ましたから、もしかしたら先生が弦楽器の響きを聴けていないだけかもしれません。この辺り、数値で表せない事柄なので難しいところですが、頭に入れておくと良いでしょうね。

 ちなみに、バンドが強奏している場面では、やはりコントラバスを聴き取るのは難しかったです。当たり前ですけど。

 追記(2019/7/29)

 楽器の向きについて、ある吹奏楽部の顧問の先生と話したところ

 「君が言っている事が正論なのは理解出来る。だけどコンクールでは見た目や並びを重視して『コントラバスのf字孔が見えない』という理由で減点する審査員も少なからず存在する。1点を争うコンクールでは、少しでも減点要素を減らしたいんだ。吹奏楽では諦めも必要なんだよ」

 という意見を言われました。まともなオーケストラの人間が審査していたら絶対に出ないようなコメントですし、コンクールの審査員にどこの誰か分からないような人が来る事も含め、吹奏楽の闇は想像以上に深いのかもしれません。

《譜面台》

 オーケストラと吹奏楽を見比べると気づくのが譜面台の不思議。オーケストラでは二人で一本、吹奏楽では一人一本。
これも不思議に思い、顧問の先生やコーチに質問したが先の項目と返答は変わりませんでした。「強豪校がやっているから」「管楽器がそうだから」。

 オーケストラで弦楽器が2人で1本の譜面台を利用しているのには、それなりの理由と歴史があります。
 オーケストラでは奏者2人の組み合わせを「プルト」と呼びます。この「プルト」とはドイツ語で机や譜面台を指しており、座って左側が「表」、右側で弾くのが「裏」。裏が譜めくりをすることで表は演奏を続けることが出来て、譜めくりの間に音が途切れる事がなくなります。
 さらに、表と裏がそれぞれ譜面台に楽器を向ける事でお互いの音を聴きやすくなり、ピッチやタイミングをそろえ易くなり、距離も近いので音がまとまりやすい利点があります。

 前述した「楽器を客席に向ける立ち方」だと奏者は指揮者を見るので精一杯ですが、プルトで組めば指揮者も見易く、表がティンパニとコンタクトを取れるので演奏の基盤がしっかりします。

 吹奏楽において、管楽器と違ってコントラバスは2人で同じ楽譜を演奏しているので、あえて譜面台を2つ使用する理由は見当たりません。1つの楽譜を使用する事で、当然書き込みも2人で1つの楽譜に記入する訳で、意志の統一も図りやすくなります。

 まあ、他にはセッティングが楽になるという利点もあり、これは意外と学生には重要だったりします。

 こうした理由もあって、オーケストラでは譜面台を2人で1本にしています。これよりも利点があるのなら1人1本を続けても良いでしょうが、しっかりとした根拠がないならすぐにでも改善を検討しても良いのかな、と思います。
 ただ、プルトにすると慣れるまでは楽譜が見えにくいのも事実なので、これについては先生や学生の判断に委ねています。

 先日「目が悪いから2本だと見えにくい」というコメントを頂きましたが、特殊な場合は柔軟に対応すれば良いと思います。私は「2人で1本が利点も多くてベスト」とは言っていますが「絶対に1人1本がダメだ」なんて一言も書いていません。

 追記(2018/10/24)

 Facebookで、「吹奏楽の世界では未だに譜面台を1人1本使っている」と書いたところ、ドイツのオーケストラで演奏している友人からこんな書き込みがありました。

 「ドイツのオケではピットの中、舞台上ともコントラバスは譜面台1人1本というのはありますよ。因みにマンハイムではそうですし、それ以外で見た事もあります。それが珍しいのか、なぜそうしているのかとかまでは分かりませんが」

 この友人はヴィオラ弾きな上にドイツ在住なので、おそらく日本の吹奏楽の現状は全く知らないでしょうから、非常にフラットな意見を出してくれたのだと思います。正直「ドイツでも一部では譜面台を1人1本にしているオケがある」というのは知りませんでした。ただ、いわゆる有名なオーケストラではほとんど見かけませんから、主流とは言えないのかもしれません。なぜそうしているのか理由が知りたいところですね。

 ちなみに何度も言っていますが、私は、全面的に「2人で1本にしろ!」と言っている訳ではありません。視力が弱くて楽譜が見えにくいとか、オーケストラピットのように暗くて視野が確保しにくいといったケースであれば別に1人1本でも構わないと思っています。ただ、生徒たちの「慣れていない」は理由にならないと思っています。私だって初めての時はやりにくいと思いましたし、最初から慣れている訳が無いですからね。

 この後もこの友人とコメントでやり取りをしていたのですが、結局1人1本は見易いけれど譜めくりやアンサンブル面では良いとは言えないだろう、という結論に至りました。後は人の好みというところでしょうか。私は上記にもあるように、譜面台を「2人で1本」にする事で、「楽器を極端に客席に向け、首をねじ曲げて指揮者を見るおかしな奏法を防ぐ」という意味も込めているので、やはり「譜面台は2人で1本」を提唱し続けていきたいと考えています。

 それから、あるアマチュア奏者の方から「学生にとってはコンクールで使った楽譜は大切な思い出だから、譜面台を1本にしてしまうと生徒が困るかもしれない」というご意見も頂きました。なるほど、こうした発想もあるんですね。私の「譜面台は2人で1本を推奨」の意見は変わりませんが、生徒さんと先生で話し合ってベストな方法にして貰うのが一番だとは思います。

《全ての小節に小節数を記入する》

 コントラバスではなく吹奏楽部全体の話になりますが、これも、何年も前から指摘しています。作曲家の指定した練習番号があるのに、パート譜、スコアの全ての小節に小節数を記入するという摩訶不思議な習慣。

 これも何人かの顧問の先生、コーチに意見を聞いてみたのですが、お決まりのような「強豪校がやっているから」に始まり、先生側の「私たちはプロじゃないから、合奏していて練習番号を見つけるのに時間がかかる。だから小節数を書いている」という理由から、生徒側の「合奏中に先生が指示した場所からすぐに弾けないとめちゃくちゃ怒られる」という意見まで出てきました。

 「強豪校がやっているから」という思考停止な理由はもう置いておいて、ある先生が仰った「スコアから練習番号を見つけるのに時間がかかる」というのは自らの力不足を認めていて潔いと思いますが、スコアを読む努力の欠如と取られても仕方のない発言でもあります。スコアを読みこんでいるなら、練習番号を見つけるくらい何でもないと思います。または練習番号のあるページに付箋でもつけておけば良いんですから。

 生徒側からの「合奏中にすぐ反応出来ないと怒られる」という意見からは、現場の緊張感が窺えます。これには問題点がいくつかあって、まず合奏をしていてきちんと先生の話を聞いていたら、「次はこの辺からやるだろう」というのは容易に想像が出来るはずですから、集中していない生徒側にも多少問題があるのでしょう。プロオケでは、指揮者が演奏箇所を指定する前に奏者が予測してそのページを開き、既に準備しているという事がよくあります。

 次に、「何のために練習番号があるのか」という点。作曲家は自らの作品の構造を練習番号によって分かりやすく分割しています。ちなみにプロのオーケストラ、指揮者の練習では、練習番号がある場合はほぼ「(練習番号)Bの5小節前から」「(練習番号)Fの3小節目から」と練習番号を引用してリハーサルを進めます。

 もちろん練習番号の指定がない曲もたまにありますが、そのような場合、パート譜の左端の小節には必ず小節数が書かれているので、演奏者はそこから計算して練習場所を認識します。生徒に聞いたところ、この「小節を数える」という数秒の動作すら許されないくらい先生がすぐに棒を振り下ろすようですが、こうして小節数を数える事で脳を活性化する作業は、とても大切な事だと思うし、指導者も、生徒が小節を数えるほんの数秒くらい待つ余裕が欲しいところです。
 先日ある友人が「練習箇所を指示してすぐに指揮棒を振り下ろす指揮者が稀にいるが、彼らは奏者に準備が必要な事を知らないのだろうか」とツイートしていましたが、このように、プロでは練習箇所を指定したら奏者が準備したのを確認してから指揮棒を振り下ろすのが常識です。

 以前、「小節数も練習番号も無い場合はどうするのか」と質問された事がありますが、左端の小節にだけ小節数を記入すれば良いこと。この質問が出ること自体、自分で思考する事を放棄しているように感じます。

 さらにコントラバスの立場から言えば、学生レベルの場合、先生からの指示のほかにボウイングやフィンガリングを書きこまねばならないので、この細かい小節数が本当に邪魔で仕方がないんです。楽譜はすっきりと無駄なく、読みやすいように綺麗に使ってもらいたいと思います。

《汚い楽譜》

 これもコントラバスに限った話ではありません。先ほどの項目でも少し触れましたが、楽譜は無駄のない最小限の書き込みに留め、綺麗に使いたい。

 SNSなどでも、書き込みだらけで元の音符が見えない楽譜をたまに見かけますが、これは「たくさん書いた、一生懸命やった」という自己満足でしかなく、私は楽譜を汚く使うのは作曲家に対する冒涜だとすら思っています。

 プロオーケストラでは「楽譜を大切にする」という観点から、シャープペンや色鉛筆での書き込みは禁止という暗黙のルールがあり、書きこむ鉛筆も楽譜を痛めないようなるべく柔らかいものを選択します。もちろんシャープペンなんて厳禁。

 「どうぜコンクールの頃には暗譜しているから」という意見も聞きますが、本当に先生の指示や楽譜に書かれたダイナミクス、アーティキュレーションまで全て記憶している人など出会った事がありません。少なくとも私の生徒たちには、「無駄な書き込みをするな」と伝えています。

 これに付随して、吹奏楽部では楽譜をファイルに管理する傾向が強いですね。何曲もの楽譜をファイリングするからファイルの重量は相当な物で、譜面台はいつも傾いています。

 ファイルに入れてしまっているから合奏の時に何か指示されると毎回ビニールから取り出すという手間が生じます。合奏の時に使用する楽譜だけ出している場合もありますが、製本していないからエアコンの風で飛んでいく。楽譜の上下だけを綴じるようなファイルを使用している学校も見かけますが、ファイルそのものが邪魔なんです。私は、楽譜は全て綺麗に製本して管理し、合奏では必要な楽譜だけ出すように指導しています。

《完璧を求め過ぎる》

 吹奏楽では、作曲者がコントラバスを理解していない事が多く、しばしば「無理な音符」が出てきます。プロなら何とか出来ても、中学・高校生にはとても弾けないだろうという難易度のものでも、吹奏楽の世界では「完璧に全ての音を再現する」事が求められます。もちろん、完璧を求める事はとても重要ですが、中学生、高校生の技術に見合っていない音符が多々存在する事は理解しておいて頂けたらと思います。

 海外の指揮者などとリハーサルをすると「これは完璧に弾こうとしないで良いから、こんな雰囲気を出せば大丈夫だから」というアドバイスがよくあります。これが吹奏楽界では認められない。「1人ずつ」完璧に演奏出来るまで皆の前で延々吊し上げられる事もあると聞きます。

 私はよく指導していて「これは無理だよ、これに近い雰囲気を出せれば十分」と指示する事がありますが、だいたい翌月には「先生、完璧に弾けなきゃダメだって怒られました」と言われます。こうなったら私の立場も無いし練習方法は伝えるしかないのですが、出来ない物は出来ないからこちらも困り果てます。

 同じ弦楽器だからとチェロパートを弾かせる例もよくあるのですが、同じ弦楽器であっても、チェロとコントラバスでは調弦も違うし弦の太さも違う。せめてチェロの音域で弾かせるのは控えて貰えたら、と思います。

《弦バス》

 これについては僕自身もうどうでもよくなりつつありますが、「弦バス」と呼ぶのも日本の吹奏楽界独自の呼称。「ストリングベース」と表記される吹奏楽独特の呼称を半分日本語にした造語でしょうか。
 コントラバスは「ダブルベース」「ウッドベース」「ストリングベース」最近では「ストベー」など呼び名が多いのですが、海外から指揮者が来るとほとんど「コントラバス」「ダブルベース」たまに「バス」と言われる程度です。

 僕は言葉を略すことが好きではないというのが最も大きな理由です。
 ショスタコーヴィチの交響曲を「ショス5」とか「タコ10」、マーラーの交響曲を「マラ5」みたいに略すのも嫌い。
 ま、好みの問題といえばそれまでですが、以前は頑なに「弦バスと呼ぶな!」と主張していました。これにいちいち突っかかってくる面倒な人もいるし、これは確かに個人の好みの問題で押し付けるのもアレだなと思い始めたので、最近は「様々な呼び方があるが、『弦バス』については嫌う人が多いという事も知っておこう」と伝えるに留めています。今は押し付ける事は全くしていませんので悪しからず。
 
 一応、私の周囲にいるプロのコントラバス奏者は多くが「弦バス」を嫌っている人が多いこともここに書いておきましょう。彼らの場合は、吹奏楽部で一生懸命頑張って練習して音大に入ったとき、弦楽器のあるべき姿を目の当たりにして「吹奏楽部での扱いは何だったんだ」と感じ、「弦バス」という吹奏楽特有の言葉は、当時のぞんざいな扱いを思い起こすきっかけとなるワードとして嫌いになっていく傾向にあるようです。
 ある友人は酒の席で「コントラバスを弦バスと呼ぶならヴァイオリンを弦ソプ(ソプラノ)、ヴィオラを弦アル、チェロを弦テノって呼ぶのかよ!」と話していた事があります。全く同感。どれもこれも略すほど長い言葉じゃない。

 ただ、最近はコントラバスの事を弦バスどころか「弦」と呼ぶ学校もあります。こうなるとただのパーツ名で、これには苦笑するしかありません。そうそう、速い音符を「連符」と呼ぶのも吹奏楽特有の独特な表現ですね。
 日本の吹奏楽界独自の呼称があっても良いじゃないか、という主張は理解出来なくもないのですが、本来の意味と違う使い方は、僕は好きではないですね。

 追記(2020/2/23)

 「弦バス」呼称について未だに差別だ何だと言ってくる人がいるのですが、きちんと読んで理解してからこういう事を言って欲しいなあ。前述の文章のどこかに「弦バスと呼ぶな!」って書いてますか?って話です。差別じゃなくてちゃんと嫌う理由がある事も、説明してますよね。

 もう一度、分かりやすくまとめておきますね。

 ①僕は言葉を略すのが嫌いなので「弦バス」も嫌い。僕が使う事は絶対にない
 ②でも、現在では他人に「弦バスと呼ぶな」とは全く言っていない
 ③プロ奏者は、自身が吹奏楽部でぞんざいな扱いをされてきた良くない過去を思い起こさせるワードというイメージが強いので嫌っている

 こんなところでしょうか。これでも「差別だ」とかなんとか言うならご自由にどうぞ。

《バス椅子を使わない》

 これもずっと主張していること。なんで何時間もの合奏中、コントラバスだけがずっと立っていなきゃならないのか。
 技術的にも、バス椅子を使うことで左足で楽器を支える事が出来て左手への負担が大きく軽減されます。自然と上達も早くなる。おそらく運搬が問題になるんでしょうが、レベルアップの為には絶対にバス椅子が効果的です。

 確かに、きちんとしたバス椅子は高価で気軽に購入できるようなものではありません。ですが僕のレッスン室にあるバス椅子はリサイクルショップで見つけたバーカウンターなどに使われるもので、価格は1500円程度。その気になって探せばあるものです。

 それから「コントラバスは背の高い生徒にやらせる」というのも当たり前のようになっていますが、背の高さもバス椅子を使用すれば解消出来る問題です。ちなみに、私はコントラバスには「背が高い」よりも「手が大きい」子を推奨しています。

《スケール》

 吹奏楽の強豪校と呼ばれる学校では、バンド全体で「スケールまわし」という練習をやるそうです。指定された調を一人ずつ回していって、うまく出来なかった子のところで止まるというもの。

 僕はスケールをやる事はとても大切だと思っているのですが、コントラバスに関しては、せめて1年待ってくれと言いたいんです。例えば4弦のコントラバスで2オクターブのスケールを全てきちんと弾けるようになるには、初心者だと早くて半年、遅くて1年近く、もしかしたらもっとかかるかもしれません。

 ところが、スケール練習でみんなの前で恥をかきたくないから、その場凌ぎのフィンガリング、そして力の入ったボウイングで弾いてしまって変な癖が付いたり音が汚くなったり、というケースを嫌と言う程見てきました。 
 「コントラバスのピッチが悪いんですよ」と言われる事もありますが、当たり前なんですよ。そのポジションまで到達してないんだから。

 ただ、こうして追い込まれたらぐんぐん上達するのも学生の凄いところではあるんですが、出来たら、コントラバスの子には時間をあげてきっちり教則本をやらせてあげたいなというのが僕の希望です。

《コンバート》

 「他の楽器じゃダメだからコントラバス」と、簡単にコンバートされてくる事が多いのも吹奏楽。推測するに「コントラバスなら音小さいから下手でも何とかなるだろう」と思っている先生が多いようですが、ヘ音記号を読まなければならず、しかも右手と左手で全く違う動作をするコントラバスはそんなに簡単じゃありません。「とりあえず弾いてるフリだけでも教えて下さい」と言われた事も何度かありますし、木管楽器からコンバートされてきた子が半年で木管に戻り、次の年に再びその子がコントラバスにやってくるなんて事もありました。
 部活の事情もあるので仕方ないとは思いますが、せめてコンバートは1回までにしてあげて欲しいなというのが本音です。


 さて、こうしていろいろな吹奏楽界独自のルールを挙げてきましたが、少なくともコントラバスに関してはいくら主張してもなかなか聞き入れて頂けないのが現状です。
 
 こうした事をオーケストラの仲間に相談すると「だって吹奏楽でしょ?いいじゃんもうほっとけば」と一笑に付される事もあります。大学オーケストラの生徒さんは「吹奏楽なんかやりたくもない」と公言して憚りません。気持ちは理解出来なくもないのですが、多少なりとも吹奏楽に関わる立場としては悔しくて仕方がない。

 特に、私が指導している学校は吹奏楽コンクールの全国大会常連校が多く、他の学校から手本とされてしまうような立場にあるから、こちらとしては変な事をしてほしくありません。もし私の指導校が上記に書いたような事を実践していたなら、それは私の意志ではないという事は明記しておきたいと思います。

 もちろん、私の助言を聞き入れてくれて、常にコントラバスはバス椅子に座らせ、譜面台も2人で1本と実に自然な形で演奏してくれる学校もたまにありますが、まだまだ少数派。
 ここに書いた事が全て正解だと主張するつもりはありませんし、それぞれの事情に応じて柔軟に対応すれば良いと考えていますが、「強豪がやっているから」「これまでの習慣だから」という思考停止の発想だけはもう止めて、指導者の皆様には楽器の専門家の意見を聞き入れ、柔軟に対応する姿勢を持って頂けたらと切に願うばかりです。
また、この文章は吹奏楽への愛情から出ているものだとご理解頂けたら幸いですし、心から、今後の吹奏楽界の発展を願っています。

                       2022/8/26一部補足修正

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?