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自責思考とやってる感

朝身支度しながら、自分が前に書いた自責思考は自責行動してこそ健全であることを思い出した。

世の中には自責思考をもった他責行動の人が多いよなと。
自分が悪いと思いながら行動が伴っていないのです。
思考なので、自責を背負い続けて自分をいつまでも被害者のように考えているだけの思考だけ自責の人。

今朝読んだnoteでも近い言葉が引っかかる

「やってる感」である。

“「責任は負いたくない」とは思いながらも、「評価はされたい」と思う人もたくさんいる気がするのだ。評価は自分の成績にかかわるし、他人に嫌われるのは嫌だ。だからある程度の評価はされたい、と。 そんな時、良くない意味で力を発揮するのが「やってる感」だ。 本当はもっと効率よい方法があるとうすうす感じていながらも、別にそこを追求せず、時間をかけて何かやったり。たくさん動いているように見せて、進捗自体は全然進んでいなかったり。 成果としてはまったく進んでない。でも何もやっていないわけじゃないから、ちょっと言いづらいみたいな。”

ああ、よかった。こう考える人はやっぱりいるんだ、って気が付いてホッとした。こうゆうやってる感が出てしまう気持ちもわからなくはない。うまく進めないときは何かしておかないと、と足踏みでも進んでおくときも誰にだってあるのだから。

以前の私はこうゆうタイプに嫌悪を抱き苛立ちもあった。
ただ、ここ数年の自分の足踏み時期を思うと、誰にだってそうゆうことはあるし、止まってはいないけど速度が遅いというのは誰にでもある。

やってる感だけでは乗り越えられないことは
山ほどある、必ず壁にぶつかる。

足踏みだけで登れる山と越えられる壁ならばよいけれど、「もういいよ」と預けられた仕事を取り上げられるような人間にはなりたくないな、と思う。





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