ゆとりの最前線@鬱病になりました。
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孔子ですら惑わなくなったのは40代。で有れば、まだ、年端のいかない私たちは迷って当たり前。そんな中、夢や目標を子どものころから立てて計画通りに行かせようとする事に無理がある。キャリアシートってそんな感じ。
自己分析は大切。確かに大切。でも、分析した時の自分と動いてからの自分は違う自分なので、何がしたいのかがぐるぐる回ってしまう。決意したと思っても、その時は意外な要素を見逃している。思考の深みはそうやって出てくる。
小学校も学習を終わらせるのに必死。授業を見てても中学校かと思う。
インフルエンザが流行ってくるこの時期は換気が必須。休み時間ごとに換気をすれば良い。これを忘れないだけでインフルエンザはかなり防げる。おそらく、コロナも同様。
自分の人生を振り返っていて、久しぶりの投稿。
害にしかならない人材を学校現場に残す本当の弊害は、その人材がいなくなった後にやってくる。本来、リソースが割かれていない事のツケが一気に回ってくるのだ。
プログラミングの学習は支援を要する子の学習と似ている。書いてある事と言うより、つまり何をすれば良いかがわからなくなる。その時にスモールステップを踏んでも無意味。
学校は動きがとにかく遅い。意思決定やフィードバックが2、3日遅れというのはざら。一つ、物事が決まるまでに時間がかかりすぎる。
放課後等デイサービスの報酬体系が変更されて、地域連携加算というのが追加されるらしい。という事は学校の先生はデイサービスとも連携を取らないといけなくなるということ。ただでさえ、連携が難しいのに、人を増やしてさらに難しくしてどうする!?
規模を縮小しての運動会。密にならないように配慮するとしていたが、結局は密な空間ができている。現場レベルでは、三密回避は不可能。
コロナで学習活動を小さくしなければならない今だからこそ、本当に必要な教育活動にリソースを集中させ、それを継続するべき。
最近になって気づいたが、「自分がよく理解している子ども」と「好きな子ども」は別。印象は良いけどその子について語ろうとすれば多くを語れないのが「好きな子ども」。嫌いではないが、多くを語れるのが「自分がよく理解している子ども」。
先生が変わると子どもが変わる。あれだけ荒れていた子どもが、担任が変わった途端に大人しくなる。大人の影響はそれだけ強い。
本物を見ると子どもはやる気になる。だからこそ、お手本やゴールイメージは出来るだけプロがしているものがよい。そして、動画ではなく実際に見るのが一番良い。
子どもに何かをさせたい時は、「結果としてそうなっている」ことを目指すと良い。前をむかせたいなら「おへそをこちらに向けましょう」で良い。つまり、AさせたいならBと言えである。
人間なのでどうやっても体調の良いとき、悪い時がある。悪いときにさらっと1日休めると回復できる事が多いが、そういう日に限って何か起こるのが学校。