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「僕は彼女とスマホなら彼女をとった」





昨日、彼女とディズニーシーに行ってきた。
今月から緊急事態宣言が緩和されたため、先月まで来場者の上限が5000人だったが、1万人にまで増えていた。
以前、ラインドに行ったときには5000人だったため、だいぶ空いているなー、と感じていたが、今回はその倍だったので割と人が多いな、と感じていた。

荷物検査もなぜかいつもより厳しく、かばんを空港で使用するような金属探知機のようなものに通して、僕地震も金属探知機の中を通り、入園した。

あまりにも現実的な安全確認をさせられた後の
非現実的な夢の世界に多少の違和感を感じながらも、それをいつのまにか忘れさせるディズニーのセットの作り込みに感動しつつ、足を進め、僕らはセンターオブジアース、ソアリン、タワー・オブ・テラー、インディージョーンズといった人気の乗り物に30分も並ぶことなく、スイスイと乗ることができた。

充実した時間を過ごしながらふと思ったのが
周りのカップルや友人同士が本当にスマホをいじっている時間が長い、いじっている人が多い。

わざわざ夢の国に来てそんな現実的なことしなくてもいいのに、と思った。
家でもできることをそんなにもここでしたいのか。楽しいものが目の前に待っているのに
それを待つ時間を楽しまずにスマホをいじるのか、と思い、なんとなく現代風刺画のようだな、と思い、僕がバンクシーならこれを題材にスプレーアートを描きたいな、と感じた。
(例えばミッキーマウスの顔がスマホになっていてそれに群がる大衆のような絵)

一方で僕と彼女はほとんどスマホをいじらない。ディズニーに限らず、彼女と遊ぶ日はスマホをいじらないのだ。普通のことだが、スマホよりも楽しい時間が目の前にあるからだ。

それを思ったときに「忙しいアピールをして
スマホをいじったりしている人は暇なんだ」と
思い、それにあたる何人かを思い出して、
頭の中で「バカ」のレッテルを貼っていた。

結局、私たち、日本人に限らず現代人はきっと暇なのだ。
蛇口をひねれば水が出る。スーパーに行けば
ご飯が手に入る。スマホを開けば欲しい情報がいつでも入ってくる。ボタンを押せば電気がつく。

それによって暇になってしまったのだ。
我々にとっての忙しいとは「仕事に追われていること」ではなく、「必要のない暇がない」ということなのだ。

僕は彼女にそんな人たちを見ながら
「わざわざスマホいじらなくてもいいのにね」という会話をする。そして会話は弾む。

「ディズニーランドに行くとカップルが別れる」という逸話というか都市伝説があるが、それはきっと「長い行列や待ち時間の中で会話が続かず、楽しみが薄まっていき、イライラし始め、相手の嫌なところが目について別れる」というのが僕の見解だ。

それに関しては僕らは例外だ。
会話は無限に続く。
周りの「会話が続かず、お互いが退屈でスマホをいじりまくるカップル」をつまみにして
会話を弾ませるし、「タンクトップのようなもの一枚だけ」を着ているセクシーなお姉ちゃんを見ながら会話を進めるし、
「さまざまな色違いのチャンピオンのTシャツ」を着ている男子グループを見つけて「コムドットって見たことないけど多分あんな感じじゃない?」と偏見めいたツッコミを入れる。

ディズニーで会話を持たせるなんてのは
何度も足繁くあの場所に通っている人たちにはもう不可能だ。

それよりも僕らは現代人を話のネタにする。
現代人は面白い。
僕ら現代人から見ても面白いんだから、
昔の人が見たらもっと面白いだろう。

そんなことを考えながら僕は一番楽しかった
「船でディズニーシーを巡るアトラクション」に2回乗った。

ディズニーシー最高!

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