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20/365 【しばし静観】 大河ドラマ「麒麟がくる」

2020年、感情noteを始めます。

心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

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エリカさま案件で初回放送が遅れていた今年の大河ドラマ「麒麟がくる」が始まった。

明智光秀にスポットを当てた作品と言えば、司馬遼太郎の「国盗り物語」が真っ先に思い浮かぶ。斎藤道三→明智光秀→織田信長、という物語の縦軸にびっくりしたものだ。大河ドラマの原作は1人の人生をなぞらえるものが多いが、この小説では、時間軸の切り取り方が家系図を描くような縦型だった。それが面白かったのだ。しかも道三と信長の間に光秀を挟む視点が印象的だった。

その狭間の男、光秀を「麒麟がくる」はどのように描くのだろう。

1話で面白かったのは、京へ向かう旅のシーンだ。

「比叡山焼き討ちに光秀は積極的で、むしろ信長をたきつけた」という通説とは真逆の説を裏付ける、新たに発見された資料についての NHKの番組が年末に放映されていた。当然大河の布石だろう。新たな事実に基づいて、歴史は再構成される。過去は、いくらでも変わるのだ。そして、新たな史実があれば、そこからあぶりだされる人物像もまた、変容していくものだろう。

道中、光秀は仏僧達の非人道的な姿を目撃する。彼はその様子を、関所の多さや民の貧困とともに、脳裏に焼き付けていたのではないだろうか。何しろ美濃を出たのが初めてなのだ。初めての海外旅行の記憶が強烈に残るように、この旅のことも、彼の記憶に刻まれただろう。

光秀は優秀な医師だった、という新たな史実への布石も1話内に盛り込まれていた。

戦のない、穏やかな国にやってくるという麒麟。

麒麟を呼ぶのは、誰なのか。天下泰平をもたらすのは、どのような人物なのか。

斎藤道三や武田信玄といった、地の利はありながらも天の時が足りなかった武将らに、彼は麒麟を呼びうる才を見出したのだろうか。

もしかしたら光秀は、ギリギリのところで信長のことを、麒麟を呼べる人物に非ずと見限り、本能寺の変に至ったのかも知れない。

最近の大河は、始まってから数ヶ月後にエンジンがかかるものが多いので、これからもつかず離れず見ていようと思う。

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