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無音の世界を渡る風

都会の生活で、人工的な音のない瞬間がどれだけあるだろう。

道東には、音のない世界が無頓着に広がっている。前を歩く誰かにずんずんと先に進んでもらい、後に残って写真を撮っていると、ほんの数分で人の気配は消え、風が走る音だけが残る。

海を渡る風の音と、崖の草むらを走る風。草の音の有無を差っ引いても、音の気質が違う気がする。気のせいかもしれないけれど。

生命など、とても小さくて、取るに足らなくて、あっという間に消えてしまう。

でも、一週間しか生きていないセミだって、その一週間を淡々と生きる。「あと一週間で死ぬんだよー」なんて言いながら鳴いているわけではないだろう。何回太陽が出たら、とかは感じているのかも知れないが、そうなると、曇りが続くと、セミはより長く生きるのかという疑問が湧いてくる。

いずれにしても、一週間だからと言って肩肘張るでもなく、無気力になるでもない。ただただ、生を全うする。

医学の進歩により、わたしの人生はもしかしたらまだ折り返し地点をようやく過ぎただけなのかもしれないが、いつ訪れるかは分からない終わりに向かって、淡々と、自然と寄り添いながら、悲壮にならない程度に頑張りながら、わたしなりの自然体で生きていけたら、と願う。

無音の世界に指先を伸ばし、風の流れに寄り添うように斜めに生える背の低いシラカバの木々を見つめながら、そんなことを考える。

つかの間、自然と同化しながら。


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