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FUN HOME (ファン・ホーム)

「わたしたちにも、完璧に満ち足りていた時があったんだ」

クローゼットから出られなかった父親と、カミングアウトを決意した娘。他の誰とも共有できない恐怖や戸惑い、自分との葛藤の全てを家族の一員と共有できたかもしれないのに、父は心を閉ざしたまま、娘のカミングアウトの数ヶ月後にこの世を去ってしまう。

「過去を修復する」歴史的建造物の保存作業と、「現在を葬る」葬儀屋の仕事に自らを埋没させ、娘との会話からのらりくらりと逃げつづける父。未来を構築する作業を、公私双方で放棄し、じわじわと追い詰められて最後は命をも放棄する。

娘は苦悩する。自分がカミングアウトしなかったら、父は未来に直面せずに済んだかもしれない。平和なクローゼットで、ビクトリア調の銀食器を磨いたり、古いリネンを発見して喜んでいたりし続けられたのかもしれない。

「無理に周りに合わせなくていいんだよ。」

父はそう言ってくれた。無意識だったのかもしれないが、その言葉に娘は救われたはずなんだ。10歳の自分と、19歳の自分が、45歳の自分を見つめてくる。あなたのせいじゃない。わたしと父には、調和の瞬間も、確かにあった。ちゃんと繋がっていた。ちゃんと、繋がっている。大丈夫、だいじょうぶ。

「話には聞いていたけれど、こんなおうちだったなんて」

セットの力で、このセリフの説得力も増大する。照明も素敵。表面的な自分と、胸の中の小さな自分、公の自分と私的な自分。マトリョーシカのような自分の側面が、影でも描かれていく。

笑って笑って、最後はボロ泣き。10歳の自分が問いかける。ねえ、わたし、頑張ったよ、と。

ところで、クローゼットから出てこられない、カミングアウトができない、を英語だとclosetedと動詞一つで表現できる。日本語では、これを一言で表現できるのかしら。「カミングアウト」という言葉が先に出てしまったから、こちらはまだなのかな。「クローゼットな」という形容詞もまだ広まりが薄い感じがする。言葉の普及からも、思考の浸透度合いは見える。

写真は、劇場のお手洗い。セクシャリティ関係なしのサインが普通にある。


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