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156/366 【ショートショート】 指輪物語 (前編)

ねえ、僕はここにいるよ。ハロー、ハロー。

僕の呼びかけを丸っきり無視して、オフホワイトの春セーターにカナリア色のストール姿の彼女はこちらを見向きもせずに行ってしまった。

ちぇ、と小さく毒づく。これで何人目だろう。10人はくだらない?でも悲観的になっていると大げさに感じるもんだ。ってことは5人以上10人以下、ってあたりかな。自己憐憫による下方修正。ちぇ。

それにしても、みんな存外周りを気にかけていないもんだ。こんだけアピールしても、振り向きもしないんだから。

まあいい。急いでいるわけじゃないから、のんびりやろう。時間はたっぷりある。

と思っているうちに、向こうから良い塩梅の男性が来た。人なつこそうな瞳。田舎臭い兄ちゃんだ。おぼこいっていうのかな。Tシャツにジーンズという出で立ち。Tシャツは、新品じゃないけどハリがある。洗濯した後、ちゃんと干した証だ。悪くない。目鼻立からして、この辺りの人間らしい。同郷人ってことで、声をかけてみよう。

Hello, I'm here. You who, hello hello.

人懐こそうな瞳は、やはりこちらを振り向きもしなかった。だが、その後ろを歩いていた、自分の背丈の半分はあろうかというデカいリュックを背負ったバックパッカーが、思いかけずこちらを見た。

あれ?僕の言葉、分かる?黒い瞳で、真っ黒な髪を無造作に結わえた、どう見ても極東アジア人のユーが?

化粧気のない顔をこちらにずいっと近づけ、しげしげと僕を見つめる。値踏みする目だ。そういう視線には慣れているけど、彼女の目線は少し違う。なんだろう、こちらの奥の奥を見透かそうとする感じ。嫌な感じじゃない。

だから、黙って見られるがままになっていた。どうせこちらに選ぶ権利はない。僕にあるのは選ばれる権利だけなのだ。その後のことは、全て僕が決めるけど。

好奇心が陽光のようにきらめく瞳は本気だった。どこまでも。

一族のルールに則り、初めの一声以降ずっと黙っていた。呼びかけが聞こえたからには、まずもってご縁はある。そのご縁が繋がるかどうかは、言葉以上の何かに委ねるしかないのだ。

頭頂のふわふわとした毛が逆光に光る。どこをどう旅してきたのかは知らないが、シャンプーはしているみたいだ。多分、全身同じ石鹸で洗っている。それが身体に一体感を与えている。部分部分で扱っていない感じ。僕の好みだ。

シャンプーと体を洗う石鹸と、化粧の香り。全て違う香りの商品を使う人なんて、ザラだ。それに加えて香水なんてふられた日にゃあ、香りがごちゃ混ぜになって、混乱する。その肌に密着するこちらの身にもなって欲しい。こちとら意外とデリケートなのだ。

体臭で体調も把握できるのに、そんなに色んな匂いがしたらそんなの全然分からない。

だけどこの人の全身からは、同じ匂いがするだろう。きっと、指の爪からも。触れて貰うならそういう指がいい。前からそう思っていた。

よく見ると、よくよく使い古されたリュックも手入れは行き届いている。そりゃああちこち傷んではいるけれど、蔑ろにされてはない。一番お金をかけたのはどうやら靴だ。履きならされたゴアテックス。合理的思考。益々気に入った。

***

続きは、またあした。


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