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258/366 【秋風や】 大河ドラマ 「麒麟がくる」第23話

物の価値は人が決める

将軍代替わりの序章でしたが、それと同時に、時代の流れを読むとは、を暗示させる回でした。

松永弾正も細川藤孝も、例え将軍個人にどれだけの才覚があれど、それだけで物事を見極めるわけではありません。周りの状況も鑑みて自分の動きを決めています。

それに対し、十兵衛は純粋に相手の才覚だけを、ロマンを含めて見ていき、自分の動きを決していく。自分の行く末を完全に切り離して考える癖があるのです。

弾正が「どれも同じ」と3つのうち2つの壺を割ったときも、その後に藤孝が出てきたときも、ああ、十兵衛は割られてしまう方の壺なんだなあ、と胃が痛くなりました。

弾正さんは、自分が目利きした茶器を抱いてお着物通りの花火男になっちゃうけれど、藤孝さんは、この後もずっと勝ち組のまま生き延びます。如何に物事を冷静に見て自分軸で判断していたかが分かります。

これは、先日見終わった「重版出来!」に出てきた

「面白い作品が売れるとは限らない。俺たちが売るんだ」

にも通じます。

どれだけ面白い作品を書いたところで、それだけにあぐらをかいていても売れない。「相手に見る目が無いだけなんだ」なんていうのは、ただの負け惜しみに過ぎません。

人の価値も同じで、どれだけご本人が優れていても、本人がそれにあぐらをかいていては結局誰も付いてこない。織田も武田も、誰も馳せ参じてはくれないのです。誰もついてこなければ、歴史のうねりは作れません。

十兵衛も、いっそのこと我が子をあやす母上の歌声を聴きながら(こうやって石川さゆりを使うとか、NHK天才か!)家族と共に生きる生涯を選んでいたなら平穏な一生を送れたでしょう。

戦国向けの人ではなかったことが、この人の最大の悲劇なのかも知れません。

わたしの夏は終わった。

十兵衛の夏も、同時に終わってしまいます。義輝の烏帽子から透けて見えるお庭の秋の風情が、なんとも美しく切ないシーンでした。次は義昭。秋と昭がかかってるのかいないのか。

いずれにしても、暦の上でも人の人生の上でも、秋の到来を感じさせる1幕でした。

明日も良い日に。


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