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さよなら、dot by dot inc.こんにちは、Whatever Inc.

2014年4月に立ち上げたdot by dot の幕を下ろします。
併せて、PARTY New YorkPARTY Taipeiという会社も無くなります。
奇しくも、平成という名とともに3社の名前が消えます。

広告クリエイティブ業界という狭い範囲ではありますが、それなりのビックリなのではないかしら?

年末にいろんな人に話した際に、
なぜ、築き上げてきたモノを簡単に捨ててしまうのか?
という疑問を投げかけられたので、まずはそこからお伝えしたいと思います。

僕とPARTY New York代表の川村真司は10年近く仕事を通じて互いにプレッシャーを掛けて切磋琢磨してきた仲間であり、志を共にする大事な友人でもあります。がゆえに、急に合併することはせず、1年間はアライアンスという形式でお互いの仕事を共有して、会社のメンバーみんなを巻き込みながら、一緒に仕事してきました。

その過程で、清水幹太を代表とするBASSDRUMの立上げに協力し、クリエイティブ面だけじゃなく、ビジネス面でも、基本的なスタンスが同じであることを確認し合いました。

やりたいことが同じで、同じような方向を見ているなら、名前を統一しよう。過去の名前にはこだわらないで、新しい名前を名乗ろうと決めました。
かなりシンプルな考え方です。

僕は、過去の積み重ねによる実績や作り上げてきた組織への執着心はないです。もし、執着心が強い人間であれば、14年間ナンバー2として働いた前職の会社AID-DCCを辞めてないでしょう。この会社は、大学生の時に休学して、実の兄とともに0から始めて、僕のキャリアの大半を過ごした会社であり、その組織への愛着は、とてつもなく大きかったです。当時を思い起こすと、AID-DCCの富永勇亮と名乗れないこと、そして、たくさんの仲間と離れないといけない悲しさは未だにリアルに蘇るほどです。

しかし、自分の思想や、やりたいことを実現するには、dot by dotという新しい組織を作らないと実現できないと思いました。自分のやりたいことには、正直に生きないといけないから。
だから、その際も、何もかも切り離して、新しいメッセージを発するべく会社をつくりました。

dot by dot は設立からたったの5年ではありますが、創りたかったクリエイター向けシェアオフィスHolsterを渋谷につくり50名が入居する場所に育て、新しい働き方として、所属クリエーター制度をつくり、素晴らしいクリエイター達が二重三重に周りを取り囲んでいるという、ものづくりに最適化した環境と、クリエーターによる小さな経済圏をつくることができました。

また、Lyric Speakerなどの製品開発や、その他にも自社プロダクト、COTODAMA、BASSDRUMなどへの出資などクリエイティブとビジネスのバランスを意識した活動を行うなど、僕がdot by dot を創る時に、やりたいと思っていたことは、だいたい実現してきました。

そして、逆に、設立時に、みんなで、やらないと決めた6つのことは、最後までやらずに、ここまで来ました。

【創業時の2014年に決めたdot by dotのやらない事】
①自社サービスなど継続的かつ、大きな人的リソースを要する事業
(全正社員を数ヶ月投入するような案件)
②5年以内の海外支店進出(海外案件はやる)
③見積コンペには出ない
④代理店に席はおかない
⑤リソース・パーツ提供
⑥取り繕わない/嘘をつかない

僕たちは、毎年、レビューを行い、創業時につくった会社方針の資料を読み返して、ズレがないかを確認しています。時の経過と共に、やるべきこと、やらない方が良いことは変わっていくものです。

この6つの中の一つ、「海外へのオフィス進出」については、これからの10年を考えると不可避で、真剣に取り組まないといけないのではないかと考えるようになりました。

でも、僕たちだけじゃ実現できない。

そんなときに、海外で唯一成功しているクリエイティブエージェンシーであるPARTY New Yorkとアライアンスを組む事を思いつきました。まずは、お互いのリソースを無償提供することで、一緒にプロジェクトに取り組むようになりました。

そこから、1年が経ち、僕たちは、思想的には、本当に似たもの同士で、そして、スキルセットが全く違うという補完関係にあることが確認できました。
それは、僕と川村真司だけじゃなく、PARTY New York、Taipeiのメンバーを含めて、全員が同じような思想の人間であることがわかりました。

僕たちは、自分の頭で考えて、つくりたい集団。

そして、そんなつくり手のコミュニティーを世界的に拡げていきたい思いがあります。
それなら、新しい会社をつくって、新たな旅立ちをした方がわかりやすい。

しかし、不安もありました。
PARTY New Yorkは、アメリカ本国では、かなりの知名度です。
その名前をなくすことは、営業的には大きな損失が出る可能性もある。

PARTY Taipeiについても、わずか1年足らずで、台北や中国からの仕事が来て、メンバーも順調に増えています。PARTYというビッグネームの恩恵は大きいのです。

でも、そんなことよりも、自分たちが、これからやりたいことを優先したいと思いました。

だって、やりたいことが明確であれば、結果はついてくるだろうし、その結果の下に名前もついてくるはず。

有名な名前ありきで、やるのではなく、0からやる。
自分たちが、やりたい事の後に、名前はついてくる。
僕たちはそう信じています。

だから、dot by dot inc.もPARTY New Yorkも、過去の名前であり、
そんな、名前や、過去の栄光にすがる必要はない。

プロダクションだろうと、エージェンシーだろうと、個人や組織なんて関係ない。どうでもよい。
僕たちは、やりたいようにやる。
ただ、それだけです。そんな思いを新しい社名「Whatever」にも込めました。

こんな僕たちですが、よろしくおねがいします。

最後なりましたが、今回の合弁に関して、一番うれしかったことを…。
それは、社員も所属クリエーターも誰も抜けることなく、新会社Whatever Inc.で一緒にやってくれることです。僕を信じてくれる仲間に、心から感謝したいと思います。
そして、さらに、この船のクルーとして、 TBWA\HAKUHODOでシニアアカウントディレクターを務めていた金子佳やProgrammerのmurasakiなどの新しい仲間も加わりました。

これからも、ぼくたちは、仲間を募っていきます。

組織、カタチ、形式にこだわらない。
よいものをつくることに徹底的にこだわる。
そんなひとは、全員仲間です。

Creative Commune
‘Whatever’

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