全次元の自分を受け入れる?
「自己受容」は、幸せを感じて生きるのに必須と言える要素です。
文字通り、自己を受容するということなのですが、噛み砕くと「どんな自分もありのままに受け入れる」というふうによく表現されます。
実際、このマガジンでもそうお伝えしてきました。
ただ、最近、それだけではちょっと説明が足りていない、と思えることも増えました。
とりわけ「どんな自分も」という部分。
この部分が整理できると、自己を受容するということがよりスムーズにできるはず。
ですので、今回は、自己受容について、改めて考察です。
過去の自分、未来の自分も受け入れる
自己を受容する、という時、おそらく多くの人が最初に考えるのは、今現在の自分だと思います。
理想通りでない今の自分をありのままに認める、というふうに。
ただ、自分の存在というものを、意識の中にいる自分、という視座で見てみると、その中には今現在の自分はもちろん、過去の自分、未来の自分も同時に存在しています。
何が言いたいかというと、今現在の自分だけでなく、過去の自分、未来の自分もありのままに認める、ということもまた自己受容である、ということ。
たとえば、過去に起きた嫌な出来事。
それをバネにして今がある、と思えている人は多いと思いますが、では、その出来事が起きた時のつらかった気持ち、悲しかった気持ち、情けない気持ちをちゃんと受け入れているかというと、そうでないこともままあると思うんです。
そういう感情もそのまんまちゃんと否定せずに受け取れた時、初めてその過去の自分を受容できた、と言えるんですね。
また、あまりにつらかったために、過去をなかったことにしている場合も、過去の自分を受容できているとは言えません。
もちろん、それが悪いわけではないのです。出来事によっては、今それを受け入れたらつらすぎる、ということもあるかもしれず、決して無理強いをしたいわけではありません。
ただ、今は過去を受け入れたくない自分を受け入れる、というのもまた自己受容になるんです。
そうすると、なかったことにして見ないふりをしているよりは自己受容の度合いは高まると言えるんです。
一方、未来の自分を認めるというのは、未来にこうなりたい自分をちゃんと認める、ということ。
たとえば、「ビジネスを成功させてお金を稼ぎたい」と思っている自分がいるのに、「お金が大事なわけじゃない、人の役に立ちたいだけだ」というふうに、自分の望みをすり替えると、それは未来の自分をありのままに認めているとは言えません。
その望みが自己の本当の望みかどうか、という問題はありますが、まずは何であれ、そう望んでいる自分を認める、ということが未来の自分を認めること。
もし、その望みを認めたくない自分がいるなら、望んでいる自分と、認めたくない自分と、どっちも認めると、より自己受容の度合いは高くなります。
また、自分や人類や世界の未来について、何があってもより良くなっていく、と信頼することも、未来の自分を受容すること。未来に不安がある状態は、未来の自分を受容していないとも言えるのです。
このように見ていくと、自己受容というのは、受容できている・できていないと0か100かでキッパリ答えが出るものではなくて、受容できている部分もあれば、できていない部分もある、というように入り乱れているもの。
だから、あらゆる次元の自分と丁寧に向き合って、受容できている部分を増やしていく、という考えで臨むと取り組みやすいと思うのです。
人から見えている自分も受け入れてみる
現在、過去、未来の他に、もう一つ付け加えたいのは、人から見える自分を受け入れること、です。
たとえば、「あなたには赤色が似合うと思う」と言われたら、「へぇ、そんなふうに見える自分もいるんだ」とそのまんま受け取ってみる。
とりわけ、自分にとってネガティブなこと、思ってもいないようなことを言われた時ほど、とっさに拒絶してしまいがちなので、あえて「そうか、そう見える自分もいるのか」とニュートラルに受け取ることを意識してみるんですね。
それが本当かどうかは別として、その人の中には「そう見えるあなた」が存在しているわけですから、その事実をそのまんま受け取る、という感じで。
そうやって、思いがけない、ちょっと信じがたい自分を受け入れられるようになるほど、どんな自分も受け入れるということにより深みというか、広がりが出てくることを感じ取れると思います。
そうして自己を受容する度合いが高まるほど、感じたくない自分や、認めたくない自分を隠したり、抑えたり、正当化したりする必要が減って、そのまんまの自分であることに安心していられるようになります。
その結果、幸せを感じ取りやすくなるわけですね。
最後に、どんな自分も認めるために重要なマインドセットを2つほど。
一つは、良い・悪いで判断するのを止めること。
自分を受け入れられないのは、大抵それが悪いことだ、良くないことだ、とジャッジしている時。
そもそも良いも悪いもなく、全てのことはそれをどう解釈しているかだけだ、と考えたら、一見悪いと思えることも受け入れやすくなるんじゃないでしょうか。
もう一つは、受け入れることと、それをそのまま行動に移すこととは別だと区別すること。
たとえば、「お金を稼ぎたい」という未来の願望を認めることは、お金を稼ぐために行動するとイコールではありません。
人から赤が似合うと言われたことを受け入れることは、言われた通り赤色を着るっていうことでもないんです。
自己を受容するというのは、あくまでもその自分をニュートラルにインプットする、ということ。
それらのインプット情報がプロセスされた結果、アウトプットとして出てきた自分の価値観、感性に従うことが大事であるという動作学の基本は変わりません。
とはいえ、これまで認めていなかった部分を認めた後のアウトプットは確実に変わっていますから、続けていくうちにすっかり変わっている自分を実感できると思います。