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人生には、バンジージャンプしなきゃいけない時がくる!(前編)

…原稿がまったく書けません。

職業ライター歴25年、これまで何度もスランプはありましたが、原稿が間に合わなかったことは一度もなく、それで信用を築いてきたと自負していたワタクシ。

でも、先週、ついに、書けないという理由で、このマガジンを更新できませんでした。

ありとあらゆるスランプ脱出法を試みたけれど、書けない。

泣きついて締切を延ばしてもらったけれど、書けない。

今思えば、私に動作学を教えてくれている人であり、このマガジンを依頼してくれている人でもある川尻隆*に早く相談すればよかったんです。

でも、できませんでした。

その理由は、今、わかります。

このマガジンは川尻と私の「創発」で作っている、なんて理解していたつもりでも、どこかでは「発注された仕事」って根強く思っていたんです。

「発注された仕事」に「書けない」は、プロとしてありえません。

でも、それ、私のフィルターってだけでした。

私が25年、請負ライターをやってきた間に身につけた、いらん「常識」。

いきなり話がずれてしまいましたが、書けないことを相談できないまま悩んでいるうちに、いわゆる胃腸風邪に冒されるという追い討ちが私を襲います。

トイレに行く以外はベッドの上にいることしかできない3日間。

ようやく起き上がれるようになった日には、もう次の締め切りまでのカウントダウンが始まっていました。

詰んだ…。

わずかな希望は、その日、川尻とのオンラインでの定期ミーティングが入っていたこと。

川尻と話ができれば、何かしら書くネタが見つかるに違いない…そんな一縷の望みを託したミーティングで、私は川尻から、いや、人生から、「命綱なしでバンジージャンプせよ」というとんでもない宿題を与えられることになりました。

…何のこっちゃ。

自分でも混乱していて、こうして書きながら整理しているので、どうか辛抱強くお付き合いください。きっと読み終わる頃には、何かしら形になっている、はず…。

***

ミーティング開始早々、書けないということを告白した私に、川尻がくれたアドバイスは「Being→Doing→Havingという創造のベクトルにおけるHavingの設定をもう一度クリアにしてみたらどうだろう」というものでした。

Beingとは、今この瞬間にも行われている知覚行為循環(インプット・プロセス・アウトプット)。

Havingというのは、BeingとDoingの結果として起こる目に見える変化のことです。

曰く、「Beingを整え、自分が最高にワクワクする未来をHavingに設定することで、その過程のDoingが方向づけられる。ただ、自分が本当にワクワクすることを設定しないと、その過程のDoingが楽しくなくなるねん」だそうで。

参考記事:
【48】うまくいかない時は、やり方ではなくあり方を見直してみる

私には思い当たることがありました。

確かに、このマガジンを書くことが、以前ほどは楽しくないのです。

もちろん、「楽しい」か「楽しくない」かの二択なら、絶対に「楽しい」です。

ただ、マガジン開始当初の楽しいがマックスだとしたら、今はその3割くらい。

でも、「楽しい」の範疇だから、そんなに気にしていなかったし、目標を見直すという視点もなかったので、今やっていることをいかに楽しくするかしかないって考えていました。

結果、「動作学を書き伝えることでどこかの誰かの役に立つ」というもっともらしいモチベーションを見つけ出し、「なんかやりがいある風」な楽しさで満足していたんです。

でも、川尻に言われて、改めて、「これがどこかの誰かの役に立ってることで心の底からワクワクする?」と自分に問うてみたら、答えは否、でした。

いや、もちろん、嬉しいんですけど、魂が震えるほど楽しくはないんです。

じゃあ、動作学を書き伝えることでどんな未来を得たら私はワクワクするの?

ここから、川尻による怒涛の動作学コーチング(勝手に命名)が始まって、私は「命綱なしでバンジージャンプする」という宿題を課されることになるわけですが、長くなるので続きは次回に。

*川尻隆:アスレチックトレーナー。SASS Centrum, Inc代表。旧ソ連や旧東ドイツの研究にルーツを持つ動作学を発展させて新たな学問の創出に尽力している一人。動作学を用いた組織マネジメントのコンサルタントとして、横浜DeNAベイスターズでチームビルディングや組織改革も担う。