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【07】自分を満たすとはどういうことか

行為と満足感の関係

ここまでの連載で、どんな出来事でも、状況を変えるためには、まずは自分に矢印を向けて、自分自身を満たすことが大切だというお話をしてきました。

自分を満たす、ということは、自分を大切にする、というふうにも言えますが、では、自分を満たす、自分を大切にするとは、どういうことでしょうか?

たとえば、むしゃくしゃした時に暴飲暴食をすること、これは自分を満たしていると言えるでしょうか?

あるいは、自分の力ではどうしようもないことが起こった時、鬱憤を解消するためにお酒を飲むことは、自分を大切にしていると言えるでしょうか?

答えは、イエスでもあり、ノーでもあります。

というのも、動作学では、あなたが何をしたかという行為そのものではなく、その行為はあなたが本当にしたかったことだったか、というそもそもの出発点こそが重要だからです。

暴飲暴食も、お酒を飲むことも、もちろん程度はありますが、それを終えた後のあなたが心地良く、やりたかったことをやったという満足感があったり、なんとも言えない心地良さに満たされるのであれば、あなたの行為は自分を満たす行為だったと言えるでしょう。

でも、もし、「本当はこんなふうにストレスを解消したいわけではなかった…」というような罪悪感のような気持ちがあったり、行為を終えた後にモヤモヤとして充足感がないのであれば、あなたがしたことは自分を満たすことにはつながっていません。

エステでマッサージを受ける、豪華なホテルに泊まる、旅行に出て気分転換をする、ゆっくりお風呂に浸かる、仕事を休んで昼寝する…自分を大切にするということを考える時にイメージする行為はたくさんありますが、動作学的には、どういう行動をすれば自分を満たすことになるという回答はありません。

基準はあくまでも、あなたがしたかったことをやったかどうかですから、何をするかということより、そもそもあなたにとってあなたを満たすことは何なのかを知ることが重要なのです。

自分を満たすことの見つけ方

では、あなたにとってあなたを満たすことは何でしょうか?

動作学では、それを見つけるためのキーワードが2つあると考えます。

一つ目のキーワードは、「あなたの価値観」。

ここで言う価値観は、単純に言えばあなたの好き・嫌いのことで、具体的には自分の好きという感覚、やりたいという欲求に従うことが、自分を満たす行為になります。

たとえば、おいしいコーヒーを飲むことが大好きなAさんにとっては一杯300円のコーヒーをカフェでゆっくり飲む時間を作ることは自分を満たすことかもしれません。

でも、コーヒーが好きでないBさんにはコーヒー一杯に300円を払う価値はないと感じるでしょうし、その場合、Bさんがどんなに世間的においしいと言われるコーヒーを飲んだところで自分を満たすことにはなりません。

もし、おいしいコーヒーを飲む時間を作っているAさんが素敵に輝いているとしたら、それはAさんが自分の価値観に従って自分を大切にしているから。

Bさんが「私も素敵に輝きたい!」とAさんの行為を真似しても、Bさんにとっては自分の価値観には従っておらず、よって自分を大切にしていることにはなっておらず、おいしいコーヒーを飲む時間を作るという行為はBさんが素敵に輝くことにはつながらないわけです。

自分を満たすことを見つけるもう一つのキーワードは、「あなたの感性」です。

感性という言葉からイメージすることは人それぞれ異なると思いますが、ここでは「なんとなくそうしたいと感じる」「なんか知らないけどふとそう思った」というような、理屈では説明できないひらめきと考えてください。

【02】の「知覚行為循環」の回で解説したように、私たちから出てくるもの(感情、行動、症状、パフォーマンス)は、自分の体内と外部環境のありとあらゆる情報をインプットして、その全てを脳がプロセスした結果として、アウトプットとして出されるものです。

何となく感じた、というのも、まさにそのアウトプットの一つで、私たちが意識できない物事を含めた全部の情報をプロセスした結果として出てくるものなんですね。

その視点で言えば、ひらめきは、その状況の中であなたという生命システムが総動員して出してきた生命体としての最適解であるとも言えるんです。

ですから、まずは自分の価値観や自分の感性に従うということをぜひやっていただきたいのです。

とはいえ、社会の成り立ちからして、自分の価値観や感性を無視せざるを得ないという人も多いはずですし、その結果として本当の自分の価値観や感性に気づけていないということもありますので、これについてはまた回を改めて深掘りしていきたいと思います。