坂の上の雲 4巻を読み返す

前回、秋山好古と袁世凱との友好について調べた流れで3巻を読んだ。
遼陽会戦が迫っていく中で日本軍の稚拙がよくわかった巻であった。

なぜそれを司馬遼太郎は書こうと思ったのか。
謎は深まるばかりである。


4巻のハイライト

大将の統帥

日露戦争において、陸軍の総大将は大山巌に決まりました。それが決定した時の大山の言葉がこちら。

戦の細かいところは全て児玉さんにまかせます。しかし敗け戦となった場合は、自分が陣頭に進み出て、直に指揮を採ります。

大山巌

今の日本にこれだけ部下を信用して、責任は俺が全部取る!と言える男がどれだけいるでしょうか。
さすがです。

日本人の計画性の無さ

八甲田山遭難事件は、1902年(明治35年)1月に青森県の八甲田山で発生した日本陸軍の遭難事故です。この事件は、厳冬期に行われた雪中行軍訓練中に発生しました。

**概要:**

- **背景**:当時の日本陸軍は、極寒地での軍事訓練を行うため、青森歩兵第五連隊と弘前歩兵第三十一連隊による雪中行軍を計画しました。
- **行軍**:青森歩兵第五連隊の大隊は、1月23日に青森市を出発し、八甲田山を越えて弘前市に向かう予定でした。しかし、悪天候と極寒の中で進軍が難航しました。
- **遭難**:大隊は吹雪により道に迷い、凍傷や体力の限界により多くの兵士が倒れました。結果として199名のうち199名が遭難し、そのうち199名が死亡しました。

この事件は、日本の山岳遭難史上、最大の犠牲者数を出した事件として知られています。また、事件を通じて雪中行軍の危険性が広く認識され、その後の軍事訓練や山岳遭難救助に大きな影響を与えました。

ChatGPT

日露戦争のわずか2年前の出来事である八甲田山遭難事件。この際の気象状況を考慮せず、精神力だけで事を進めた結果、甚大な被害が出ました。

そして、日本人には「兵站」という概念がありません。例え100万人の軍があっても、食料が1日分しかなければそれは軍とは言えません。
当時の日本軍はそんな感じでした。

遼陽会戦の5日前ほどから食事は半分に。
これだけあれば足りるだろうと用意した弾薬(日清戦争で使用した量)はわずか1日で使い切り、大変なことになりました。

下瀬火薬

日本が海戦において勝てた理由に下瀬火薬があります。
ロシア軍をして「あれは砲弾じゃない、魚雷だ」と言ったほどの威力でした。
下瀬火薬は砲弾を超高温の炸裂弾に変えてしまったのでした。
この下瀬火薬は国家機密として最後まで守り通したようです。

日本人の体力

日本人の体力は常軌を逸していたようです。
関ヶ原の合戦でも5時間程度。人は戦い続けるには限度があります。
しかも前述のように食事量が減っていた事情もあります。

英国の監察武官も「日本人は体型も小さく、栄養もヨーロッパに劣っているのにこれだけ長時間戦えるのはどういうわけか?」と疑問にしています。

そして遼陽会戦においては徹夜で攻撃を継続、さらに翌朝も攻撃を継続しました。
これによりロシアの陸軍相
クロパトキンは「日本軍はどれだけの予備兵を準備しているのだ?」と驚愕したようです。しかし、実際は予備兵などなく同じ兵が戦い続けていたのでした。

レーニンの謎かけ「君はいいタバコを吸っているな」

レーニンが諜報工作員である明石元二郎に言ったセリフがこれ。
労働者を使って革命を起こそうとするレーニンと明石。
そしてそのためには労働者の前で吸うタバコにすら気を使えというレーニンの謎かけアドバイス。
ちなみにレーニンは革命において武器は使ってはいけないというポリシーも持っていました。

レーニンやスターリンと聞くと拒否反応が出そうですが、この辺りは勉強になりますね。

日本人は騎馬民族の末裔?

世界の歴史の共通点として遊牧民は組織作りがうまく、しばしば純農業地帯に侵入し、征服王朝を作った。これに対して中国は数千年にわたって悩まされ続けた。しかし、ヨーロッパ人は狩猟と牧畜の色彩が強いため、組織を作る感覚があった。それにより、騎馬民族の侵入に対しては組織で守るというのが熟練していた。その中で人を有能と無能に分けるようになっていった。

これは司馬遼太郎の考えである。
されに日本にも触れこう続ける。
日本人は明治で一気に近代化・西洋化した。農業国がそれをできたのは元々騎馬民族の土壌があったからではないか?言語的にもそうではないか?という。

日本の思惑、ロシアの思惑

日本は元々短期決戦を志望していた。
理由は当然、国力の差である。緒戦で勝利して、講和条約を結ぶ。
それにより、朝鮮の独立を守り、緩衝帯とする。

そして初戦に勝つためにしたのが、日清戦争と同じだけの弾薬を集めることであり、それは開戦初日で使い果たしてしまったことは述べた。

そして結果として、武器弾薬の補給を待ちながらの戦争となる。
結果として短期決戦の流れはなくなり、年を跨ぐ長期戦となってしまった。
これをできたのは高橋是清やユダヤ人のシフのおかげである。(結局戦争は金)

これに対してのロシアの思惑はどうか?

反戦派と呼ばれたウィッテは日本は金に困っている。それであれば、ロシアが日本の国債を購入してやれば、日本は喜ぶし、何もせずでも頭を下げてくると言った。

そして陸軍相クロパトキンは「金が無いなら、戦争を長期化すれば日本は破綻するだろう」といい持久戦を志向する。

結果的には弾薬のなかった日本にとってはクロパトキンのこの方針は大いに助かる結果となったのだが、、、これも結果論。

日本人の補給感覚の無さ、計画性の無さに司馬遼太郎は呆れ返っていたのだろう。

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