坂の上の雲 3巻を読み返す

司馬史観

司馬遼太郎の思想はアンチ日本だと言われてます。
大東亜戦争なんてやったバカな民族という感じでしょうか。

坂の上の雲を書いたのはそこに対するアンチテーゼなのかもしれません。
ここでも基本的に日本軍のことは褒められることはないです。
たまたま勝ったということを言いたいのか?とも思えます。

国としての快挙というよりかは淡々と調査したことを積み上げて、そこに史観が加わっているかのようです。
そして日本以外の国の国民性にも触れることが多いですね。

坂の上の雲を読み返した理由としては先日出されたクイズでした。
袁世凱ほどのやり手に好かれた愛媛県人がいた。誰か?
という問いでした。

私はなんとなく「秋山好古」だろうと思ったのですが、袁世凱との関係性など知らないと思ってました。
結果、当てられて「秋山好古」と答えて正解。
しかし、袁世凱との関係性は知らなかったので素直に喜べず。
そこで坂の上の雲を読み返しました。ざーーっと。袁世凱のエピソードが出てくるまで。

文庫版の2巻の終わりに出てきました。
ほんとや、すげぇ。


秋山好古

我が愛媛の生んだスター秋山好古は日本の騎馬隊の生みの親です。
そして生粋の軍人です。

しかし、その裏表ない姿を敵からも好感が持たれました。
それが袁世凱との交友であったり、ロシアコサック騎士団との友好であったりします。

こういった実績から外交の達人と呼ばれていたようです。

しかし、本人は至って軍人一筋。軍人は余計なことはしないがモットーです。

そして柔軟性もあります。騎馬隊でありながら日本軍で唯一機関銃を持っていたのです。
もしかしたらここもフィクションで司馬遼太郎による陸軍はあほだということを言いたいのかもしれません。

では3巻を読みました。
そんな3巻の印象的なシーンを回顧します。

3巻の回顧

ロシア軍人の日本軍の評価

駐日ロシア陸軍武官ワンノフスキー大佐「装備や作戦を論じる以前に軍隊道徳が足りていない。ヨーロッパの最弱の水準にたどり着くのに100年かかるだろう。」

ここでいう軍隊道徳とは忠誠心や規律、服従心です。おそらく日本人の得意分野。しかし、ワンノフスキーはそこすらも見えていなかっったようです。

駐日ロシア公使ローゼンは日本の海軍を見て「外国から購入することで物質的装備は整えた。しかし、海軍軍人としての精神面は我々に遠く及ばない。軍艦の操法・運用に至っては幼稚である」と。
同時期にイギリスの海軍関係者も日本海軍を評しており、「世界最高の我が軍に並び得る」と言っています。

そして陸軍相のクロパトキンは日本軍3人に対し、ロシア兵1人で事足りる。と評しています。

なるほど。ロシアの軍人は上から目線。それによって相手を過小評価していたようです。これは現代においてのウクライナ戦争でも同じことが言えるかもしれませんね。

しかし、クロパトキンらの頭が悪いわけではないようです。

伊藤博文がロシアで露日同盟に走り回っている頃、クロパトキンは
「伊藤に夢を見させてやれ」と外相ラムスドルフに言って、同盟をうまくいくように見せかけています。
その理由としては満州鉄道の延線が完了していなかったため、時間稼ぎだったよう。
このエピソードだけ見るとクロパトキンはキレものです。

小村寿太郎の才

「アイヌが熊を生捕りにする方法を知っているか?」

小村寿太郎が日露戦争を例えた表現だそう。
熊はロシアです。アイヌ(=日本)は数の子を海岸に大量に干しておく。
すると熊が際限なく数の子を食べる。そして喉が渇くので海水を飲む。
喉が渇くのでさらに海水を飲む。すると数の子が膨れて熊が動けなくなる。

ここでの数の子は満州であり、海水は朝鮮半島である。

そして小村寿太郎の予言通りとなった。

旅順港閉塞作戦

日本海軍は旅順港を攻めあぐねた。それは要塞化された旅順からの砲撃によるもので、旅順艦隊をウラジオストクに行かせないために動きを封じるために閉塞作戦を考える。

しかし、旅順要塞から砲撃を受けるので全滅は必死である。
そして決死隊(定員67名)を募集したところ2000名を超える応募があったそうだ。
今では考えられない。
この光景を見て、軍神と呼ばれる広瀬武雄らは勝利を確信したと言われている。(国民軍としての士気の高さにより)

しかし、秋山真之はこの作戦を否定している。
1つはむざむざ死人が出る作戦を取る必要があるのか?という点
そしてもう1点は旅順要塞の砲撃が強すぎるという点だ。

しかし、秋山の上官である有馬が作戦決行を指示。
結局、失敗する。

露探

ロシアの軍人たちの日本評は的外れだった。
しかし、スパイの力量は相当高かったようだ。
前述の旅順港閉塞作戦も実行日まで知っていたというのだ。

スパイを東京や長崎に派遣していたそうだ。

冷戦中のスパイ活動もすごかったらしいが、ロシアの諜報活動はやはりいつの時代もすごい。

日本人の好み

日本人の好みは小隊をもって大隊を奇襲翻弄し、撃破するというもの。
源義経しかり、楠木正成しかり。

しかし、実戦は違う。
織田信長しかり、ナポレオンしかり、重要局面により多くの兵、火器を集めた方が勝つのが戦術の基本である。

そしてこの小隊で大隊を撃てるという妄想が大東亜戦争の悲劇を招いたとは司馬遼太郎の弁。
少なくとも日露戦争の時代は敵よりも多くの兵や弾薬を集めようとしていた。

極東総統アレクセーエフと陸軍相クロパトキンの不和

日露の会戦が迫ってくる中で、クロパトキンは日本軍の第一陣を引き込んで奥にいる第2陣を撃破することを主張。
それに対し、アレクセーエフは第一陣をがっちり受け止めることを主張。

結果、折衷案となり一部の兵で第2陣を攻撃するという戦力の逐次投入のようなご法度をやってしまう。

火力のない日本

ナポレオンの登場以降、砲兵の重要性は大きく向上した。
特に騎砲(騎馬隊による砲撃)は必須になっていた。
しかし、そこについていけてなかったのが日本軍だ。
ロシア軍は200万人、日本軍は20万人
国家予算は20億、日本は2億5千万。
日本は10倍の国力をもつ相手と戦争をしていたのである。

海軍は駐日公使ローゼンが評価していた通り、物質的装備は充実していたようだ。
しかし、陸軍は砲兵が圧倒的に足りていなかったようだ。
そして機関銃を持っているのは騎兵隊の秋山好古の部隊だけだ。

そして日本軍は旅順要塞にて機関銃の恐ろしさを知るのであった。

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