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最強にずるい言葉。「あなたのためを思って」という呪い

今回は、精神科医の泉谷閑示先生著「普通がいいという病」を読んで、そこからインスピレーションを受けた事を書きます!

日本人的な、周りの空気に合わせないといけない、普通っぽく振舞わないといけない・・・といった考えに囚われている人、苦しんでいる人にはぜひ読んで頂きたい良書です!

「あなたのためを思って」

あなたのためを思って、という言葉は最強にずるい言葉だと思います。

相手のためを思う事、真剣に向き合う事、それ自体は尊い面や清々しさもあります。少なくとも、その言葉にはそんな響きがあります。

しかし、そんな道徳観あふれる「美しい言葉」だからこそ、その言葉を用いる人はよくよく気をつけなければならないと思うのです。

その理由は、2点あります。

1 少なからず相手に対する「支配欲」を含んでいるから


あなたのためを思って、だの、真剣にあなたに向き合っている、という言葉の裏には、少なからず

「自分の主張を聞いて欲しい」
「相手に自分の思い通りになってほしい」

という支配欲が含まれています。

2 相手の拒否や反発を封じる拘束力を持っているから

また、この言葉は見ため上「善意」によって相手に差し向けたものなので、相手は 拒絶も反発もしづらいですよね。

 反発してしまうと相手は「善意をないがしろにした人間」=「 不義理なやつ」 という立場になってしまうから。

僕からすると、これは美しさに擬態した「呪い」に感じられるのです。

僕が経験した苦しみ

僕の経験したことからすこしお話をさせていただきますと、

僕は引きこもり当事者として約4年間、自立支援寮に入所し支援を受けた経験を持ちます。

その施設というのは大変苛烈な、厳しい指導を特徴としていました。

今では考えられないことですが体罰が容認されていたり、寮長の価値観に合わない行為・発言をしてしまった場合、「カウンセリング」と称してきわめて長時間にわたり拘束・叱責されたりしました。

分かりました納得しましたすいませんでしたと言えるまで解放してもらえず、数時間・朝方まで解放されないこともしばしばありました。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
分かりました、認めますと完全に白旗をあげるまでそれは終わらず、それはさながら被疑者に対する警察の取り調べのような格好、人格否定じゃないかと思われるような罵倒も数多くされました。

そんな発言を人に対してしまったらお前はもうアウトだ
お前はどこまでクズなんだ

そうした苛烈な指導の結果社会復帰はできたため、その点においては感謝しているのですが、そうしたエピソードがトラウマになった・心に暗い影を落とした側面があるのも正直否めません。

もちろん、過激ともいえる指導を受ける度に、
そこまでは言わなくていいんじゃないか。果たしてそこまで長時間拘束されるほど悪いことを僕はやったのか?そうは思えない。

内心反感を抱く場面もあったのですが、決してそれを口にする事はできませんでした。

そう、それは寮長さんが

「俺はいつでも人に真剣に向き合っている」
「お前のためを思っているんだ」

といった言葉をしばしば口にしていたからです。

それ故、僕は思っていることを口にできず、ただただ黙って言う事を聞いている事しか、出来ませんでした。

抱えた自分の怒りや納得できないという想いは心の奥底に、ヘドロのように沈んでいきました。

結果として、心の底に沈殿していった想いは腐り、腐臭を放ったまま滞留し続け、長期に渡って内面から僕を侵食し続ける事になります。

僕がある種の支配構造に組み込まれている事に気づき、僕自身の想いを語れるようになったのは、ごく最近のことです。

それは本当に「愛」なのかい?

泉谷先生は、著書の中でこう述べています。

愛とは、相手が相手らしく幸せになることを喜ぶ気持ちである
欲望とは、相手がこちらの思い通りになることを強要する気持ちである

僕が受けてきた指導は、「善意」に基づいたものであった。
指導をしてくださった方も、その指導の仕方が良いと思ってやっていた。皆さん「善い」人間であった。真剣に関わってくださっていた。

それは、今振り返っても間違いがありません。

でも、それって本当に僕に向けられた「愛」だったのかなあ?

今は正直疑問に思っちゃうんですよね。

自分より立場が弱い人間に対して何か言葉を掛けるとき、

果たして、
その言葉は本当に愛情に基づいたものなのか?
自分の主張を通したいだけではないのか?
相手を自分の支配下に置こうとしているのではないのか?

今一度振りかえってみて欲しい。かつての僕のような人間を生み出さないためにも、強く、強く思うのです。

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