見出し画像

野坂昭如「砂絵呪縛後日怪談」(再読本)

えげつない話だらけの短編集。
奥付を見ると昭和49年発行初版。講談社文庫。定価は240円。古本屋で野坂昭如漁りをしていた頃、だいぶ終盤に買ったもの。年譜もついてるが、昭和42年頃からの仕事量がとてつもなく、43年に直木賞受賞してからは一年が分厚い分厚い。昔私が読み漁っていたのもその辺りの作品が中心で、多くの「自伝的小説」群にはあまり手を出していない。

読み始めたきっかけは町田康だった。インタビュー記事で、影響を受けた作家として野坂が挙げられており、興味を持って読み始め、悪い具合に文体が伝染して、かなりみっともない文章を書いてしまった覚えがある。当時のブログを発掘して確かめようとしたが、それほど野坂乱読期と重なっていなかったためか、一部の記述しか見つけられなかった。本の感想の途中から脈絡なく別の話に移り、結局その本がいいのか悪いのか分からないようになっていた。

性と死と殺人と病とが頻出する短編集で、同時に吉村萬壱「死者にこそふさわしいその場所」を読んでいたものだから、ふと今がいつで、読んでいるのがどちらか、といった混乱を生じたりもした。文体も時代も違えど通じるところがあるような気もする。どちらも好きだ。

屍姦、呪い殺し、刃傷沙汰、臓器売買、媚薬、人身売買、といった話が続く中、最後の「方外者淫斎」だけは一味違う。江戸時代の絵師、渓斎英泉を題材にしてはいるが、その生涯の語り方や自嘲ぶりが作者本人と重なって見えてくる。同時代に生きた北斎と腑分けの場に赴き、人体を知ろうとするが、北斎は死骸の腹に腕突っ込みかき混ぜるようにして確かめていくが、英泉はそれを見て自分との違いを痛感してしまう。奇矯な振る舞いや色好みの振りばかりしていながら、所詮は演じているだけに過ぎず、本物には叶わないと嘆く。

本人の嘆きはともかく画業は一流で現在にまで名声も作品も残っているのだ。

小説の中で英泉は晩年、ボロ小屋に籠もり、団扇に絵を描き続け、誰にも看取られることなく亡くなった。作者はそのようにして燃え尽きてしまいたかったのではないか、と思ってしまった。実際には2003年脳梗塞で倒れ、リハビリ生活をしながらも活動を続け、2015年に85歳で亡くなった。読書から離れていたその頃、私は遠いニュースとしてそれを聞いていた。自分とはもうあまり関係のない人物の訃報として。一時読み漁ってはいても、その後読み続けていたというわけでもなかった。しかし引っ越しの際に本は残した。残さなかった作者も多かったにも関わらず。

再読本を決める基準は曖昧で、これまで処分せずに残してきた本棚から適当に手に取る、というのがほとんどだ。読み始めてみればしっくり来ずに戻すこともある。しかしこの一冊は読み通した。今でも野坂昭如の文体や作品が自分の中に生き残っていた。自分もどこかの誰かのそうであればいいのだが。

かつて古本屋を巡って掻き集めた野坂昭如の小説も、今ではKindleで読めるようになっている。


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,330件

入院費用にあてさせていただきます。