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「廃線旅行後記」【掌編小説】

 私の後について無断で部屋に入ってきた男は「いい枕木だ」と言って壁を撫でていた。枕木などではなく、柱ですらなかった。疲れ切っていた様子の男は、壁にもたれてそのまま眠り出した。皮膚と一体化したような薄汚れた服装で、木の枝や葉がついているのかと思ったが、よく見るとそれらは身体から生えていた。

 団地を巡る男がいる。都市伝説の一つとして聞いていた。ベッドタウンとして開発された団地群は、かつて廃線跡だったという。単線の環状線を囲むようにして家々が建ち並び、廃線と共に家も廃墟となっていったとか。廃墟と廃墟の間を廃墟が繋ぐような様子の写真が、一部では有名な写真家の手によって大量に記録されている。それらに魅了された人々が、既にない廃線跡を巡る旅をしていることがある。中には、もうなくなっている廃線を、実在しているかのように歩き続けている人もいる、と。たまたま線路の真上にあった家々の住民は彼の訪問を受ける。人の家に入り込み、二、三日すれば出ていくので害はないと聞いていたが、実際に家に上がり込まれると、理不尽な思いに駆られる。

「何か食べますか?」聞いても答えは返ってこない。彼に見えているのは憧れの廃線であり、現在そこに住んでいる人々ではない。聞こえているのも、廃線と廃墟に住み着いた動物達の鳴き声であり、たまに行き交う同好の士との情報交換のやりとりである。私達のように今の現実を生きている人を、彼は見ていない。
「トカゲしかいない家がありましてね」
「若い人の遺影、数十年前の新聞、綺麗なままの文学全集、そのまま残されていた家がありました。何も手はつけていません。最低限のルールですから」
「暖かい季節にはいつも線路で眠ります。線路の中には、昔走っていた列車の音をそのまま記憶しているものもありますからね」
「環状線ですからね。終わりはないんですよ」
 男は誰に聞かせるでもない言葉を放ち続けている。私は耳を塞ぐこともせずにやがて眠りにつく。日常で我慢しなければならないことは、他にも山程あった。

 大きな傷を受けて傷ついた精神は、その後回復に向かったとしても、傷つく前の状態に完全に戻るということはあり得ない。
「回復した精神」と「まだ回復していない精神」が併存しており、日頃外面に向けては「回復した精神」で立ち向かえているが、同様の傷を抱え込みかねないような出来事に遭遇すると、それは自分に向けてではなかったものであったとしても、「まだ回復していない精神」が顔を出す。時には長引くこともある。人の死といった、避けようもなく、また周囲でいくらでも起こり得ることについて、傷は癒えることはない。癒えた振りをしているだけか、一時的に回復しているように見えるというだけのことである。
 私はそんな内容のメッセージを、親しい友人に送る。彼は最近恋人を亡くした。彼の悲しみはその恋人の死だけでなく、これまでの人生で触れてきた全ての死についての悲しみがぶり返した、という表現の仕方で、暗く深いところに沈んでいる。私の書いたことで彼を救えるとは思えないが、いつかどこかでほんの少し彼の気持ちを軽く出来るきっかけになれば、と思う。
 私自身いまだに諸々の「まだ回復していない精神」と共存しながら日々をどうにかやり過ごしている。

 ようやく廃線跡旅行者が私の家から去っていった。多くは二、三日と聞いていたが、私のところにはまるまる一週間滞在した。その間彼は自分から生える葉やキノコの類を口にしていた。排便する様子はなかった。慣れてしまえば彼の発する空気や独り言も、気味の悪い木目や、茶碗のヒビ程度にしか気にならなくなっていた。私の外出と共に外に出た彼は、しばらく団地の上の階やら下の階やらをうろうろしていた。そうしてまた誰かの部屋に入るか、隣の棟に移動していくのだろう。
 深夜に帰宅すると、彼のいつももたれかかっていたあたりに、写真が一枚落ちていた。件の写真家の写真集から切り取られたものらしい。廃線旅行者達を撮影したスナップショットのようで、若い頃の彼らしい人物もいた。
 部屋に異物のない朝を迎える。また誰かの亡くなったニュースが誰かの憂鬱を引き起こしている。ぐるぐると回る星に住むのだから、ぐるぐると思い悩み続けるのも当然のことと思えた。環状線を巡り、ありもしないものを見つめ続ける。あの男と我々と、何が違うのか。

(了)



前回の「喚起装置」

で、次は「続編さんに書かせよう」と書いた通りに、以前書いた「枯園に廃線伸ばせば駅舎来る」の続編を書こうとしたが、結局違うものになった。

画像は引き続き稲垣純也さんのスナップをお借りしました。

元が縦長なので見出し画像だと切れてしまっているので、元記事を貼っておきます。



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