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小林多喜二「蟹工船」

三浦綾子「母」で語られた小林多喜二の代表作。プロレタリア文学というと遥か昔の遺物のようなイメージもあったが、中身はいくらでも現代に置き換え可能だった。

現代では職場では暴力は鳴りを潜め、法律やコンプライアンスで労働者は守られている、という体裁が取られている。

とある会社の話。

実質は「辞められない事情があるから居続けている」人を使って、キャパオーバーの仕事量を与える。最も効果的なコスト削減策は人件費を削ることだと言って、人は増やさず、むしろ削る。急遽誰かが長期休むことになるとどうなるか。他のものが休みなく働き、長期休暇者が戻れば今度は彼の休みが消えてなくなる。

そんな会社ばかりではないだろうが、排除された暴力以上の圧力、ハラスメントが横行して、職場は回っている。

そんな会社が昨今の流行に乗ってハラスメント教育を始めても、肝心のトップが「これのどこがハラスメント?」と言い出す始末。

置いといて。

いともたやすく死んでいく蟹工船の労働者たち。無視される他船からのSOS。故郷に妻子のあるものや、まだまだ子どものような年齢のものまで、過労や事故であっさり亡くなっていく。誰もが楽しみにしていた故郷からの便りで、子どもの死を知り打ちのめされる漁夫。

時代や環境は違うが、あまり他人事とは思えない。今でもどこにでも蟹工船はある。というより、私たちはずっと蟹工船に揺られている。いつ投げ出されてもおかしくない荒波が、すぐ隣にある。







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