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恒川光太郎「金色機械」

 おそらくは地球外から来た一族の持ち物であった「金色様」という、「なんでも記憶出来てものすごく強くて声色も変えられて、ちょっぴりお茶目」な機械と、その周辺の歴史。舞台は主に江戸時代中期。山賊、女郎、同心、流民の子など数多くの登場人物の人生が混ざり合い、終幕へと向かっていく物語。書見台を利用しての読書は物語世界への没入率が凄まじく、子供らの嬌声とテレビの音とが響く中でも、問題なく小説の世界観にどっぷりと浸かり、隙間時間ながら445ページを二日で読み終えた。テレビでは録画した「スクール・オブ・ロック」のラストシーンで、AC/DC「Highway to hell」が演奏されていた。私は地獄について語る場面を読んでいた。


「人の世にはな、あちこちに地獄に続く穴が開いている。わざわざ入らんでもいい穴に自分から入っていくことはない。わしはな、地獄に続く穴に踏み込んででられなくなってしまった奴をたくさん知っている。穴の前には立て札が立っておってな、その穴に誘い込むための言葉が書かれている。入れば名誉が得られます、とか、楽をして富が得られます、とか、入らない奴は意気地なしである、とか。感情を刺激されてひょこひょこ入ると、しばらくして迷ってでられなくなり、生涯を穴の中で苦しみ、朽ち果てるのがおちよ。なあ、遥香。剣で人を斬れば死罪。そして女のおまえがそれを承知で全てを剣術に捧げようと、誰かを傷つけるか、最後には誰かに斬り殺されて終わりだ。そんな穴に入りたいと思うか」


 あちこちに空けられた地獄の穴に喜んで飛び込んでいく人達、自らの地獄を自ら作り出して内側に吸収される人達、どの地獄でも満足出来ずに理想の地獄を創造することに一生をかけるもの。
 山の上に作られた鬼御殿は、当初は地球への漂着者の祖先による、義賊めいた集団の集まりであったが、時が経ち代替わりし、汚れ、悪に染まっていく。
 主な登場人物の一人、熊悟朗には、親に殺されかけた時より特殊な能力が身に付いていた。人の殺気は黒い霧となって見える、人の嘘は火花が弾けるのが見え、それと見抜ける。
 熊悟朗が初めて人を殺した時、悪党から立ち昇るおぞましい黒い霧に恐れをなすが、相手は熊悟朗が幼い子供と分かると、疫病で亡くした自分の息子の話など始めようとする。その時には黒い霧は消えていた。それでも熊悟朗は初仕事だから、殺らねば役に立たない人間として殺されるから、殺気を持たない相手を殺す。長い話の中に多くの者が斃れていくが、どれも名場面を作り上げている。決して死なない強靭な機械である金色様との対比もあってか、思い入れのある主要登場人物の亡くなる場面では、読みながら涙ぐむこともあった。

 人は死ぬが物語は、語る者がいれば残る。

「素敵な話ですね」
「みんな死んじまったが、話だけは残る。いつかわしが死んでユキさんが生きとったら、この話を誰かに語って残してやってくれ。そういう男女がいたと」


 飢饉が原因で流民となった人々が出てくる。差別の対象となり、辻斬りにも遭う。ある人物は言う。「誰もが遡れば流民だ」。またある者は化け物についてこう語る。「俺の親父は何でもやってきた。何にでも化けた。あれこそ化け物じゃ」。
 人にはそれぞれ立場があり、そこで生きている。傍から見れば尋常でないように見えても、尋常ならざる世界の中でそれなりに必死で生きている。金色様は強靭な身体と永遠の記録能力でそれらを眺め、時には実力行使で関わっていく。語られた物語を存分に味わいながら、やはりそれだけでは物足りなくなっている。こんな素晴らしい物語を読ませてくれた世界に恩返しする為にも、自分も書かなければと。感想であれ創作であれ。


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