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千人伝(二百二十一人目〜二百二十五人目)※入院中反映

二百二十一人目 脳脊髄液減少症

脳脊髄液減少症は、脳を浮かべる脊髄液が減ってしまっていたため、骨に脳が当たるなどして、激しい頭痛やめまいや吐き気などを起こし続けていた。液が漏れて減ってしまった原因は不明であった。縦の動きが辛いため、しゃがんだり立ち上がったりを繰り返すと、まともに立っていられないくらいの頭痛に襲われた。

脳脊髄液減少症はどのような頭痛薬も効かなくなった際に病院を訪ね、即入院となった。頭をなるべく持ち上げないようにして安静を命じられた。脳脊髄液減少症は本を読み、浅い眠りを繰り返し、病院食を楽しみ、今後を悲観した。

病院の面会は十八歳以上の親族と定められていたため、家に残してきた幼い子どもたちに会えなくなってしまった。妻から送られてくる息子の顔は、遊び相手を失って引きつっていた。


二百二十二人目 繰り返し

繰り返し、は同じような言葉を延々と繰り返していた。脳脊髄液減少症の入院している大部屋の隣の部屋にいる患者らしかった。女児のような声ではあるが老婆であるかもしれなかった。
「火曜日に帰る」「金曜日に泊まる」「昼ご飯」「夜ご飯」といった言葉を繰り返した。
世話をする看護師が相槌を打つのが聞こえた。朝ご飯の直後から昼ご飯を欲しがっているようなこともあった。

脳脊髄液減少症は入院直後は様々な患者のやり取りを聞いていたが、次第にティッシュを耳に詰めて耳栓とすることが増えた。同室の年配男性患者らの、痰を吐く音も耳障りだった。しかし脳脊髄液減少症自身も、遠慮なく放屁を繰り返していた。


二百二十三人目 猿

脳脊髄液減少症は、消灯間近の病室の窓ガラスに映る自分の顔を見て、猿のようだと思った。洗っていない髪の毛が逆立っていた。無精髭とこけた頬が、野生の猿に似た俳優の顔を思い起こさせた。人の名前にあまり興味のない彼には俳優の名前は思い出せなかった。

猿となった彼は妻に持ってきてもらったBluetoothキーボードを使ってスマホに向けて文章を打った。彼のスマホはひび割れてあちこちタッチが効かなくなっていたが、マウスとキーボードを繋げると疑似パソコンのような使い方ができた。あまり頭を動かさずに安静を命じられたが、手足の運動は構わないとのことだった。足を伸ばし、縮ませ、手はキーボードの上に置いて指を走らせた。


二百二十四人目 主治医

脳脊髄液減少症の主治医は、脳脊髄液減少症についての論文を書いたこともある人だった。患者のMRI写真を見てすぐにあたりをつけ、各種検査で診断を確かなものにしていった。

「退屈でしょうから、本など持ってきてもらってください」と主治医は言った。脳脊髄液減少症は、既に本読み放題のサブスクリプションサービス「Kindle Unlimited」で脳脊髄液減少症の書籍を二冊読み終えていた。「便利なものがあるんですね」と主治医は言った。

「一番痛かった時の痛みを十として、今はどれくらいですか?」と主治医は聞いた。
「二くらいです。朝は楽です。昨日の夕方五くらいに感じたので、痛み止めをもらいました」
主治医の白衣の袖は擦り切れていた。脳脊髄液減少症は、自分と同じくらいの白髪の割合を持つ主治医の頭を見た。半数ほどが白いのだった。擦り切れた袖も白衣であるから当然白いのだった。


二百二十五人目 看護師

脳脊髄液減少症の入院している病院には様々な看護師がいる。夜間に入院した際に、ベッドで尿瓶への排尿の仕方を説明された。無造作に下半身を露出させられた際の驚きを脳脊髄液減少症は忘れていなかった。何があろうと排尿は一人で行うと決めた。様々な看護師を見ながらも、誰もが似ているようにも思えた。誰かが血圧と熱を測っていった。誰かが今日の予定を告げにきた。誰かがご飯を運んできてくれた。誰かが尿瓶に溜まった尿を片付けてくれた。誰が誰かを脳脊髄液減少症は覚えようとしたが、すぐに諦めた。


※脳脊髄液減少症(脳が浮かんでいる脊髄液がどこかから漏れ出てしまう病気。激しい頭痛を引き起こす)にて入院治療中のため、連続シリーズのようになっています。


入院費用にあてさせていただきます。