見出し画像

千人伝(二百十六人目~二百二十人目)

二百十六人目 日雇い時代

ひやといじだい、は昔を思い出していた。日雇いで一日ごとに職場が変わった。楽な職場もあれば過酷なところもあった。明日はどんなところに行くことになるのだろうと、眠る前に考え始めるとなかなか寝付けなかった。ある日は資材トラブルで一日の予定が二時間で終了した。ある日は修羅場に放り込まれて長時間残業した。

古い時代のことであったので、その日の給料はその日のうちに日雇い元に取りに行った。いくらかの交通費と昼食代を残し、他はその日生きながらえるために使った。実家に住んでいたが家にいれる金は残らなかった。小銭を増やそうとしてギャンブルに手を出して小銭も残らなくなった。

ある時日雇い時代は、いつまでこのようなことを続けていくのだろうと思った。思うだけで何も変わらなかったので、そのようなことはいつまでも続いた。突如身体に限界が来て倒れたのだが、彼は倒れてもなお各地に働きに出る夢を見て足を動かしていた。あの時のあの職場に定着していれば、と夢の中で思い、病院を抜け出して思い出の職場を訪ねたが、彼の理想とした職場は既に潰れており、廃墟となった跡地で彼は冷たくなるまで眠った。

二百十七人目 誕生日命日

たんじょうびめいにち、は殺し屋であった。標的の誕生日を命日とするよう、仕事を行う日程を調停した。誕生日命日には長年連れ添った妻がおり、彼と誕生日が同じであった。毎年二人で同時に誕生日を祝っていたが、病に倒れた妻は、誕生日まで生きることを望んだ。しかし叶わなかった。

延命治療を稼ぐために殺し屋となった誕生日命日は、妻が亡くなった後も殺し屋を続けた。始めてしまえば簡単に抜けられる仕事でもなかった。妻の意志を継いで、祝福の日に標的をあの世に送り続けた。

ある時標的の一人に「本当の誕生日は知らない。捨てられていたんだ」と言われた。「だから命日にはなるが、誕生日とは限らない」と。彼は少しためらった後、標的を撃った。自分の誕生日が本当に正しいかなど、赤ん坊の記憶がないのだから誰にも言い切れることではないと気がついた。妻に両親はいなかった。妻は自分に合わせて誕生日を決めていたのではないかと思い至った。

一緒に祝う人のいないその年の誕生日に、彼は銃口を自分に向けて引いた。

二百十八人目 4DX

4DXは映画館で映画を見ている時に地震に遭遇した。たまたまクライマックスシーンで飛行艇が墜落する場面であったので、長く座席が揺れているのも、映画の効果であると勘違いしていた。何人かの観客が「地震だろこれ」と言いながら出ていったが、多くの観客はそのまま居残り続けた。

映画が終わり、4DXたちが外に出てみると、大地震を報せるニュース映像が館内ロビーに流れていた。先程の揺れが本物であったことを知った4DXは以来映画館に通えなくなった。しかし家にいる時に地震が来ても、映画館にいるような気になってしまった。

ある時、炎上した飛行艇が4DXの住む地域に向けて墜落してきた。映画のように凄腕のスパイと殺し屋と超能力少女が舵を切り、海へ不時着する、といったこともなく、4DXの住む地域は炎に包まれた。何という効果だ、と4DXは思った。あの時館内から急いで逃げ出しておくべきだった、と今さら思った。あの日以来映画と現実は常に混ざり合っていた。あの日以来収まらなかった激しい動悸は、その日ようやく止まった。

※正月に家族でスパイファミリーの映画を観に行きました。クライマックスシーンで座席が揺れ始め、「4DXだったのか」と思っていたら、本物の地震でした。映画館のある場所の震度は3程度でしたが、飛行艇が海に不時着した後も揺れていました。

二百十九人目 劇的

劇的な一秒、劇的な一日、劇的な一年、そんなことは起こらないまま劇的は一生を過ごした。劇的なものに憧れ、劇的な人生を送るつもりであったのに、どのような劇的な出来事も劇的には起こらなかった。そもそも誰もが劇的な一日など送れなくなっていた。決まりきったルーティンを繰り返し続ける日々だった。誰もが「劇的な日々を!」などと言っていたが、それはつまり劇的なことなど起こりようがないと知っているからでもあった。

生まれてから死ぬまでは一本道であり、選択も失敗も栄光も挫折もありはしない。全ての人々はそのように過ごすようになってしまっていた。かつての人々の劇的な一生を記録したものは残されていた。皮肉にもそれらはマイナスの資料として、劇的な日々を過ごせば、寿命まで生きることはできない証拠として残されていた。人々の寿命は昔の三倍にまで増えていた。リスクなく過ごせば人はそれほどまでに生きていけるのだった。

そのような体制は崩壊して、人々は寿命と引き換えに激流に巻き込まれていく日々が再開されるのだが、劇的の生きているうちにはそのような革命は起こらなかった。だから劇的は日々を記録した。記すほどのことなど何もないような一日一日を記録し続けた。その記録は遠い未来、「このように日々を過ごすと長く生きることが出来るが、それでいいのか」と問いかける資料となる。そのことを劇的は知らない。

※斉藤和義「劇的な瞬間」を聴きながら。


二百二十人目 This Hell

「ここは地獄」とThis Hellは言った。彼女はマスコミや宗教団体やトゲを生やした個人から攻撃されていた。それでも彼女は自分のやりたいことを曲げずに生きた。攻撃は増した。同時に彼女を支持する人も増えた。「地獄に堕ちろ!」と叫ぶ人たちに向けて「ここは既に地獄だろ」と反論する人も増えた。

This Hellは先駆者たちが既に堕ちているのなら、地獄に行くのも悪くない、といったことを言った。でもここは既に地獄なのだから、誰も彼も私と同じようなものだ、とも言った。自分を曲げて天国に行くのなら、天国こそが私にとっては地獄だ、とうそぶいた。天国から吐きかけられた唾は彼女の糧となった。地獄から突き上げられる熱狂の拳は彼女を奮い立たせ続けた。

This Hellは世界を巡り、同志を増やした。敵対する者も増えた。誰が正しくて誰が間違っているかなんて、This Hellにとっては既にどうでもいいことだった。地獄が広がれば、地獄でしか生きていくことが出来ない者の助けとなった。救いのある者より、救いのない者に地獄は味方した。This Hellが天寿を全うした時に、天国への門は開かれなかった。天国への扉は彼女の存命中に、既に閉ざされていた。誰もが地獄という日常の中にいた。誰もがありのままに生きていた。

※Rina Sawayama 「This Hell」を聴きながら。


入院費用にあてさせていただきます。