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千人伝(百六人目〜百十人目)

百六人目 空洞

空洞の身体と心には穴が空いていた。物理的な穴であり、風が吹き抜けた。鳥も通り抜けた。小さな子どもの頭なら入るくらいの穴が、腹に三つ空いていた。窮屈になった内蔵は身体の中で手足にまではみ出していた。

服を着れば隠せるので、空洞のお腹に穴が空いていることを、知らないまま空洞と過ごす人もいた。初めて空洞の裸を見た時に驚く者と、「やっぱりそうだったの」と納得する者とに分かれた。
無理矢理な身体の造りに耐えきれず、空洞は二十代半ばで亡くなった。穴の中で暮らし始めている小動物がいて、新種だと言われたが空洞以外には触ることは出来なかった。

空洞は巨木のうろの中に葬られたがった。空洞の住んでいた場所の近場にそのような巨木はなかったので、最後を看取った空洞の恋人が遺骸を海路で運んだ。しかし旅の途中で空洞の遺骸の穴は大きく広がり、空洞を呑みこみ、空洞はどこにもいなくなってしまった。

百七人目 富士三

ふじぞう、と読む。富士三は生まれた時から背が高かったが、長ずるにつれ人の域を超え、高さ三千メートル級にまでなった。さすがに高くなりすぎたと思ったのか、青年と呼ばれるあたりで背は縮み始め、常人の範囲内である三メートルで収まった。

一度膨れ上がった内蔵やら脳味噌やらを無理やり縮めた身体に収めたものだから、巨体であった頃は雄大な思想家であった富士三も、狭い了見の持ち主となり、すぐにかっとなり、些細な揉め事でも暴力を振るうようになった。

現況は過去をも捻じ曲げ、その圧倒的な巨体には美しさも兼ね備えていた事実も意図的に忘れられた。何度かの服役の後で自宅で急死した彼の血液は、かつての巨体を思い出したかのように、一つの湖を作り出すまで途絶えることはなかった。

百八人目 村咬

むらかみ、と読む。村咬はよく村に噛み付いた。長老やら村長やら若者頭といった者に噛み付いた。噛み付いた分だけ働きもした。彼が噛み付いた誰よりも、村咬は仕事をこなした。後になってから「理由があって噛み付いていたのだ」と得心されることが多かった。

村咬は若いながらいつの間にか村のリーダーとなっていた。若者が村咬の真似をして誰彼構わず噛み付いたりもしたが、付け焼き刃の噛みつきでは人はついていかなかった。野球をすれば五打席連続で本塁打を放った。

村を超え、国を超え、いつの間にか星のリーダーに村咬はなっていた。噛みつき続けた結果だった。誰も噛みつく者を見つけられなくなった村咬は、違う星へと向かった。知られているのはそこまでの話である。

百九人目 禍荒天

かあてん、と読む。空にカーテンが降ろされたように、晴天から突然真っ黒な雲に覆われ、大嵐の天候になることである。そんな天候の下で生まれたので、禍荒天と名付けられた。

晴れ男、雨女などがいるように、禍荒天が出向く先々で天候は荒れた。天気予報も気象レーダーも禍荒天の歩くところでは意味をなさなかった。だから禍荒天は生まれてこの方青空を見たことがなかった。

禍荒天は晴天の名を持つ者と恋仲になり、その恋が破れるまでの短い間、青空を眺めることができた。その後の一生で、夜の終わりと朝の始まりに晴天を思い出す日々を彼は過ごした。かつての恋人の顔は忘れても、空の青を忘れることはなかった。

百十人目 午語

ごご、と読む。午語は昼を過ぎると語り始めた。朝の間は一言も口をきかなかった。それまでの静寂を突き破るようにして、昼になった途端に過剰に饒舌に、これまであったことや、これから起こることや、今起こっていることを、息継ぎするのも煩わしい、という風に語り続けた。

午語の語りを記録した書物は予言書のごとく読まれた時期もあったが、そのほとんどはでたらめであり、現在起こっていることとして語っていることも、これまでも、これからも、現在も、起こるはずのないことだったりした。話の真相を確かめようと午語を問い詰めても、出てくるのは質問とは関係のない、際限のない語りでしかないのだった。

午前中の静かな午語は人を寄せ付けた。昼以降の午語は、言葉により人を弾き飛ばした。彼の見る夢は常に朝の光の眩しさに包まれていたので、就寝中は一言も寝言を漏らさなかった。


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